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母から見えるワタシ

おはようございます。
気温は2°、
今回の日本の家族と過ごす旅の
最後のクノイチの日。


日本の3月17日から23日まで春のお彼岸、
トロントではセントパトリックデーが始まって、街を緑🟢一色に染まったような週末からスタート。


いよいよ最終週末となりました。


帰ってきて思ったことは、
母から見えるワタシは、
いつまで経っても
「手がかかる出来ない子」
いつもワタシには本当にハラハラさせられて、心配させられてきたようですが、


そんな母と自分とのギャップに
イライラさせられ、最初は衝突ばかり
していたけれど、
母にはそう見えてしまうし、その電線(伝染)は、妹にも起きていて、

彼女たちから出る言葉にも
ウンザリする自分もいて、


ダンダンと自分自身もダメダメな人になっていくようにも感じて、


でもワタシが彼らと接した時間は
本当に自分も未熟というか、子供だったなと反省したり、


人の記憶はそんなに簡単に書き換えることはできないことを改めて知ることになったこと、


それでもワタシ自身も
日本の家族から見えるワタシでいた方が面白いというか、その方がというか、そんな自分でもいいやと自分の優しさに繋がることが出来ました。


例えば、
何か欲しいものを値段いくらだったよと教えられて、実はその後目の前に現れたもっとお手頃な値段で買うことができても、それをマウントを取らずに、快くありがとうと人の好意を受け入れてその金額で買うことにさえ悦びを得たり、感謝を伝えたり、小さな事であっても、自分が出来ると思うよりも相手に凄いと譲った方が気持ちいいと思えるように成長していました。


何処かに諦めもあり、
長年生きてきた彼らの生き方を変えることもできないですし、人に弁明してもしょうがないし、彼らの生き方をそのまま受け入れてあげることしかできないなと思ったのでした。

カナダの家族はワタシをとても「優秀」な子だと思ってるようですが、


私ができる子出来ない子でもなく、


ただ
そのままのワタシを
ありのまま受け入れてくれていることに
気づきました。

カナダの家族が恋しくもなって、
本当に恵まれたご縁に感謝しています。

家族他人から始まる』
を実感しています♪


最終日が近づくにつれて
母の口から、
バレーボール🏐の試合で
「貴子のおかげで優勝できた」って、先生に言われたことを思い出したようです。
(子供時代は妹が自分の子供時代の小学校でも走る速さの記録が残っていたくらい足が速くて、学校も運動の特待生として行っていた妹と比べて、ワタシは運動が出来ない子として育ったので、運動で褒められることはほぼなかったのでこの記憶は信じられない。)


ワタシの記憶には全く残っていませんでしたが、そんなこともあったっけ。

人の記憶のあちこちには、
自分とは違う感情や出来事が起きてることも親戚や近所の人たちを通して知ることになりました。


特に母親との関係って、
自分の人生にとっても大きく
道標の選択に関わっていたことを思い出したり、

今回も母親の意思では
「まだ帰ってこないでいいよ。」と言われていたけれど、
自分の意思で2月に帰って良かったと思いました。


父の容態も良く、

今はまだなんとも言えないけれど、

父の抗がん剤治療に対する思いも変化して

ワタシが居る限りでは、
データー的な結果でも
前立腺がん疑いの数値も下がって、
膵臓がん値も収まってきて
全体的な血液検査とMRIの結果は
断然に回復に向かっている兆しが見えていますが、この先いくら生きるかは、

父でさえも、ドクターでさえも
誰にもわからない事ですが、


がんという病気と診断され
治療中の
元気な父と妹に会えて良かったです。

ワタシ的には
治療に専念する生き方よりも
日常生活を有意義に過ごせる
生き方にシフトしてくれることを願っています。


コレが最後になろうと
(自分の方が先に逝く場合もあり)
後悔なしですね。

ダメな手がかかる子で大変だと思う母が
その思いで長生きしてくれるだけで嬉しいです。

どう思われようが、
母が元気に生きてくれることが
何よりも嬉しいです。


日本の家族の存在が、
ワタシを成長させてくれたことにも感謝
しています♪

ありがとう

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