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かりそめの池

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コトバノ泳ぐ日
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しじま~道ならぬ鯉(幽寂閑雅)

しじま~道ならぬ鯉(幽寂閑雅)

雲ひとつ無い、蒼の水紋から生まれた。そうして
ただ直向きに底を目指した。
 
 
 
わたしは、どこにも在る。宇宙に底のあるよう、こころ無きものが存在しないよう、それは見えないに過ぎない。

彼らがわたしを訪ねたのは、惰弱からではないはずだ。
脱いでしまうことは誰しもが容易ではない。それでも訪ねたのなら、それは底をみるためだろう。

彼らは最初、ふたつの円だった。交われば共有点が生まれ、そこから座

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きんぎょ~道ならぬ鯉

きんぎょ~道ならぬ鯉

あれはまだ、わたしがわたしを知らぬころ。
いくつもの大きな目玉がわたしを照らしていた。

奇妙な格好のひとならず者たちが、わたしを囲む様を海馬だけが思い出せる。
 
 
 
この子は、ずっと悪夢に生きつづけるでしょう。
ひとならず者がそう言うと、誰かのすすり泣く音がした。あれは、誰だったか。
 
 
 
 
ある日、祖母の家を父が訪ね来た。わたしは蚊帳から出ぬまま、帳をひろげ真ん中に包まり、それは

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きんぎょ~道ならぬ鯉

きんぎょ~道ならぬ鯉

あの帳に描かれていたもの。

それは一見すると、草臥れた涅色の布にしか非ず。しかし能くとみれば、烏羽色の艶めくさかなの群れだった。

どうして気づかなかったのかしら。
季節外れの蚊帳のなかで、さかな達の泳ぐ池を指でくるくると水掻いてみる。同時にさかな達もくるくると廻りだした。さかな行軍の向かうさきには、さかなだけがいる。そのうちに一匹だけ群れから外れ、眺めているとそれは池の底へ、底へと消えてしまっ

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きんぎょ~道ならぬ鯉

きんぎょ~道ならぬ鯉

あの日は、赤い靴とおんなじ金魚を買ってもらって嬉しかったことを思い出せる。ちいさな金魚鉢にちいさな金魚と一緒に列車に乗り込んだけれど、列車のなかを右往左往するうち金魚鉢にすこし疲れて、いつの間にと何処かへ置き忘れていた。
 
 
そんなことも忘れてしまって、けれど彼に出逢って思い出したの。嗚呼、あれは金魚じゃなく鯉だったんだって。

夜はこわくて、けれど彼のおはなしはわたしを放流することなく。
 

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きんぎょ~道ならぬ鯉

きんぎょ~道ならぬ鯉

きんぎょーえー、きんぎょ。

銀の水に映えるは緋色の帯。
歪んだ世界から覗くものは、ひとつの光だった。
 
 
 
いつか、お父さんが教えてくれた。
それらを僻の壁と呼ぶんだって。

今日は、いつもと違う靴屋さんへ寄ったの。
なんだか居心地悪いわ。でも、わたしは知ってた。

お母さんが、この靴屋の店主と時おり川向こうで逢ってたことも。
 
 
もうすっかり、お嬢さんで。
そう言った靴屋の店主は、具

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さかな~道ならぬ鯉

さかな~道ならぬ鯉

舟つ列車の座席からは、金魚を脱いだ少女としじまの眠りが聴こえる。車内アナウンスからは終着駅が告げられていた。

少女が目を覚まし、さかなのある筈を確かめるも、それは空筈の鰭のみ落ちる。再びアナウンスの夕立から逃れるよう少女は、さかなのいた帳としじまを手早に鞄へしまうと、

紅玉の靴を脱いだ代わりに、その鞄からすこし前の古びた靴を手にした。

そうして列車を降り改札の向こう祖母が待つのを認め、少女は

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さかな~道ならぬ鯉

さかな~道ならぬ鯉

その池の主は大いなるしじまのようだった。それは隠れもせず、しかし顕にもせず、さかなを映しやる。

そこへ、さかなの後先を追ってきた赤い綺麗な尾ひれを履いた金魚の地団駄踏み鳴らすと、割れる水の鳴音が三日月の弦を弾くよう静寂をびらん、びらん揺らう。
 
 

すこし窮屈になってきたみたい。そうして苦笑いする彼女は赤い尾ひれを臆せずと脱け出してゆく。

彼女のとなりでは、小さくなってしまったしじまが少し

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さかな~道ならぬ鯉

さかな~道ならぬ鯉

さて、話しはどこへ跳んだのか。そう言って
さかなは、冷めたものを手に夜をみた。
 
 
 
覗く窓には白妙の横顔映る。それは、少女というには少し優艶なる。開きはじめ花の頃のようだった。

柳髪の垂れるや見え隠れる項に暁月夜照る。
 
 
そのくちもとには、最早白になく紅のしじまが似合うだろう。足元の赤い靴は、矢庭に階段を昇り始めていた。今し方までの少女が面影を粧う。その様に

さかなは、つづく軌条

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さかな~道ならぬ鯉

さかな~道ならぬ鯉

夜光のレールは月へと伸びる。

つきのなか、つきのなか。

車内アナウンスが停車駅を告げると一瞬、窓の外が真っ赤に染まり、そのあとを直ぐ様と真っ黒な世界が飲み込んでいった。

そこには残像すらも無い。正確には、車内灯の薄ぼんやりとした橙すらも外に漏れずにいた。それはまるで、光をも吸い込んでしまうような漆黒。

列車が停車すると扉の開く音がした。しかし、それ以外の音は無い。乗客の乗降する気配すら無か

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さかな~道ならぬ鯉

さかな~道ならぬ鯉

ひと度、ふた度、み度、夜を迎う窓に映る少女のくちもとでは、白いクリームがいったり来たりしている。

白かったクリームは、都度に色を変え形を変え、最後は蟾蜍となる。然うして跳びはねた行く末は、池のなか。

 
 
然うして、蛙はさかなの口のなか。
少女はさかなのくちもとで笑う。
 
 
 
ぽーん、ぽーん。

窓の向こうでは、ガリレオが時を駆けてゆく。
月の大きく開いた夜。つづく

さかな~道ならぬ鯉

さかな~道ならぬ鯉

夢のはじまりは夜だったか、朝だったか。
追随したのはどちらか、
起点はどちらか。

夕暮れの赤だったなら
 
 
夜の黒、朝の白とは対極になく。
 
 
 
さて、はじまりは夜だったか、朝だったか。
 
 
さかなは、そのようなことを誰にいうでもなく心に話す。少女を映す窓はまだ夜だった。
 
 
 
徐に座席から腰をあげると、
窓の映す少女と目が合った。仄か赤い眠たげな目は心做し不安を訴えているよ

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さかな~道ならぬ鯉

さかな~道ならぬ鯉

蓮池の鯉も食わぬ泥がある。

蓮の葉を渡る少女の足元では、赤い靴に露をのせ小歩くたび跳ねる滴を鯉が食う。
 
 
十六夜の鯉ゆらぐ、絶え絶えに金色、銀色のゆらぐ終焉。
幾らかの救えるものたちを少女は連れた。

まだ見ぬ池を
まだ知らぬ池を
 
 
 
ととん、ととん
列車が夢を通過してゆく。

いつの間にと眠っていたさかなが目を覚ますと、先に目を覚ましたのか少女は窓の向こうにいた。
 
 
 

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さかな~道ならぬ鯉

さかな~道ならぬ鯉

ひとは往々にして顕示と抑制を繰り返す。
さかなの世界もそうであるように。

あれは遠い昔、まだ池に棲むころ。
さかなにも群れがあった。
 
 
ひとがひとの道を往くように、さかなはさかなの道を往く。そこに列車はないけれど、そこに舟はないけれど鰭があった。

皆が当たり前に持つものと信じて疑わなかったのは、そこが池であったから。すぐそばにある深遠の森すら知れず。
 
 
 
鵺の鳴いた明ける日に池が

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さかな~道ならぬ鯉

さかな~道ならぬ鯉

赤い月の夜には鵺が鳴くってお母さんに聞いたことがある。
今夜は赤い月だから、きっと鵺が鳴いているのね。
でも、鵺ってどんな姿をしているのか知らないの。
あなたは知ってる?

少女は窓に映るさかなに向かって訊ねた。
さかなは目を閉じていた。
蒼玉と紅玉は窓の向こうに夜を見つめている。
 
 
鵺の聲を聞いたことはあるかい。

そう話したのは蒼玉だった。

わたしは遠い昔に一度だけ耳にしたことがある。

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