最近は、自分の感性が今までの人生で1番鋭くなっている。 私が好きな綺麗な世界を頭の中で作り上げては、 現実の世界に立ち戻った時、とてつもなく残酷な世の中に嫌悪感を抱く。 成長過程によくある感覚だから、ここから自分の何かが発達する、そんな気がする。 でもすごい疲れる。 知らない間にインプットした何かを アウトプットする力がない。 こういう時どうしたらいいんだろう。 もっと周りに流されすぎず自分の中でコントロールしていかないと、自分を見失いそう。 私の中で何が起こっているのだ
これまでの人生、人に怒られたり嫌われたりすることが少なかった。 何でだろう。 おそらく、自分は周りの人に壁を作って、この人なら自分を出しても大丈夫かも、と思えないと自分のことを話せないし、悩みや本音を言えない。 だから、友人も少ないし、それ故、喧嘩なんて友人同士でしたことがほぼない。 目立つことが苦手だからか、度が過ぎるほど真面目だからか、 怒られることもしない。 親の喧嘩はしょっちゅう見ていたけれど、、、 だからかな、学生時代は結構放っておかれていて、自立した今の方がよ
やりたいことがたくさんあっても、どうしてもできないことや今の自分には難しいことが多くて、どうしたらいいのか考えていた。 不死身だったらできるのかな、とか考えてみたけれど笑 それもそれで変わっていく世の中や独り残されて大切な人や物を見送ることって結構辛いと思う。 幸い?私は人間だから・・・笑 寿命はあって、動ける限度みたいなものもある。 その中でできることをできる範囲で精一杯やっていくしかない。 私はだいぶ後ろ向きに物事を考えてしまうから、 前向きに考えてもらえそうな人に
社会に出てだいぶ時間が経って、 まわりの同期と比べてはいけないけれど、 やっぱり私は挫折しているような 少し脱線しているような感覚がずっとある。 休職と復職を何度も繰り返しているし、 場所を変えてもそれは変わらず不安定な日々。 環境も自分も不安定。 学生時代から、この仕事に就こうと思っていたから、自分が何をしたいか、わからなくなったのは初めての経験かも知れない。 どこから道を外してしまったのか、 それは明確にわかっているけれど、 誰のせいにも、何が原因なのかはとても複雑
「私の産まれた年は良かった」と上の世代に言われて、その年に何があったのか調べてみた。 オリンピックが日本で行われて激動… 携帯やパソコンが普及… 景気も悪くて事件も事故も多かった。 その人にとって良い年だっただけかも知れない。 青春だったのかも知れない… 私の人生は産まれた年から始まり そこから80年は生きるとしたら、良いことも悪いこともたくさんある。 その年がいいからと言って、そこから死ぬまで安定した人生なんて25年生きていて、もう既に送れていない。 心が痛むニュ
最近ネットで、 毒親、親ガチャなど親についての造語をよく見る。 昔から、子どもが悪いことをすると、 「親の顔が見てみたい」と言ったり、 問題のある家庭で育つ子どもを見て、 「子は親を選べない」と言ったりする。 「子どもが問題を起こしたら親の責任、 親のしつけが良くないから、子どもが問題を起こす。」 そういった先入観が、 親になることのハードルを上げているように思う。 子育てに正解も不正解もないように感じる。 だから、家庭の背景を知らずに、 表面だけを見た他人が土足で踏み
言葉は時に、凶器になる。 自分の言いたいことを相手に伝えただけでも、 受け取る人によって、相手を傷つけ、憎しみや妬みの感情を植えつけることもある。 自分が伝えた言葉で相手がどんなに感情を抱いているか、その言葉がどんな影響を相互の関係に影響を与えているか。 声として発する前に考えて言葉を伝える人は、 どのくらいいるだろう。 私はそれができているだろうか。 1人ひとり考え方が違うように、 言葉の受け取り方も違う。 人に伝えたいことがある時、 特に怒りや憎しみの気持ちが強い