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真実。美。命。

職人。音楽家。装飾家。建築家。料理人。作家。映像監督。写真家。役者。舞踏家。。。

感覚の美に秀でた才能を与えられた、芸術家や表現者たち。
究極の美や感動の産みの親の多くが、追い詰められ、狂気に苛まれ、命をも経つ道に誘われるのはなぜだろう、と悶々としていた最近。
二つの映画に出逢った。

"McQueen" 2018 by Ian Bonhôte
Bill Evans: Time Remembered" 2015 by Bruce Spiegel

両者とも、真実と美を追求した。
一人はデザインで。
一人は音で。

美への追求は、技術の探究でもあり。
McQueenはSavile Rowで、St.Martinで、Givenchyで。
EvansはMiles Davisとの舞台や自身のTrioメンバーとの共演で。
磨いた。美を創造する技を。

真実の追求は、自分自身と向き合う時間。
磨いた技で、自分が思う美をかたちにし、表現する真実。
自分とは何か。

これらの追求があったからこそ、
才能が開花し、胸をうつ作品が世に出され、認知された。

でも。
なぜだろう。
人間の世、社会は。
評価されるほど。認知されるほど。
追求精神を奪っていく。
時間を奪い。
静寂を奪い。
傲慢な理想と嫉妬を突きつけ。
本当の真実をあやふやにする。

そして、脚光の中で自分を突き詰めていく過程で。
芸術の産みの親たちは愕然とする。
作品を創造している間の一瞬の世界以外に、求めている美は、真実は、存在しないと気づく。
McQueenであれば、目に入ってくる全ての美に反するものに。虚構に。
Evansであれば、聞こえてくる全ての不協和音に。
恐怖したのではないかと思う。

社会は彼らに彼ら自身の、創造の世界だけに籠ることを許さない。
自分の真実と美を失わないために、彼らは逃避するのかもしれない。
自らの仮想現実、狂気に。
仮想現実に誘ってくれる薬に。
来世に。

テキスタイルは自分の思うように美をかたち作ってくれる。
ピアノは自分の思うように美を奏でてくれる。
自分の世界を突き詰めた極限の精神に、愛は一時的な安らぎをもたらしてくれるけれど。
愛するひとたちの命も気持ちも、自分の気持ちも永遠ではなく、思うように制御はできない。

才能を授かってしまったからこその苦悩。
完璧な孤独。

自分と向き合うことは、存在しているもの全てが本来孤独であるということを再認識すること。
極めれば極めるほど、孤独な景色は暗く、厳しいものなのかもしれない。
それでも、そこに、行ってみたい。自分で感じたい。
これが、表現の源でもあるのだと思う。

If you look inside your heart, you don't have to be afraid of what you are.
There is an answer if you reach into your soul.

真実は自分にしかわからないもの。
自分の身体で、感覚で、心で受けとるもの。
でも、私たちは、錯覚に負けてしまう。
真実はどこかにあると。自分が間違っていると。
身体も、心も、免疫が落ちてしまうと。
悲しい事実に。虚しい現実に。無力さに。
生きる意味を見失う。

わかる。
虚無感。
彼らの跡を追いたくなる。

彼らのいる場所は。
美しいのだろうか。
安らかだろうか。

でも。
I must be strong and carry on.
'Cause I know I don't belong here in heaven.

せめて、彼らの命をかけて表現した美が。
今も誰かの心を動かしていることを。
宇宙のどこかで見守ってくれているといいなと思う。

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