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2024 助走

いよいよ2024年が始まった。

節目の年。

スタートはオーストラリアから🇦🇺

今年は跳ぶ👟

これまでの治療家人生が"助走"だったと肯定するために。

進路を考えた時に、たまたま知った柔道整復師。
整骨院に行ったことなければ、知り合いもいない。ただ開業できる、スポーツトレーナーになれる。それだけで進路を決めた。看護、介護分野は、これから必ず必要になると思ったが、自分は続ける自信がなかった。

【東京】

柔道整復師の資格を取った後、すぐに東京へ向かった。田舎にいても、経験を積むのに時間がかかると思ったからだ。
就職先は、スポーツトレーナーの仕事を行う整骨院。一般の方は、もちろんプロスポーツ選手のトレーニングやケアも行うところだ。
体育会系で鍛えていただき、周りの方々に支えられ自分のベースができたのはこの時だった。
プロ意識というものを教わり、準備の大切さを学んだ。

今は何があっても、この時期に比べるとなんでもできる気がする。

【鍼灸】
トレーナーの仕事を目の当たりにし、鍼の存在を知る。手技にこだわる先輩もいたが、鍼に興味を持つ。たまたま受けた試験で入学金が免除になり入学。しかしながらお金がなかったので

パン屋→学校→整骨院→居酒屋

目まぐるしい生活だった。
ここでも、クラスメイトに支えられ、なんとか追試もなく進級できた^ ^

鍼灸=即効性

腰、肉離れ、筋肉痛の回復。
トレーナーの引き出しとして、飛び込んだ。

しかし鍼灸という世界は、未だ底が見えないくらい広く深い沼だった。。。


【東洋医学】

とても可能性がある医療であり、歴史もある。
様々な治療法や流派が存在し、世界中で取り入れられている。

トレーナーの世界にも、アメリカで東洋医学をベースに治療をする先生がいらっしゃり、とても良い勉強になった。
最近、10年振りくらいにトレーナーの世界で仕事をする機会を得たが、あまりそういった先生はいないようだ。

【ドイツ】

鍼灸師になってすぐ、修行の道か、外に出るか悩み、カナダへ行くつもりが、言葉も何も知らない知り合いもいないドイツで生活したくなりドイツへ留学する。

当時、サッカー選手がドイツに行き始めた頃だった為、今ほど日本人はいなかった。

言葉もわからないまま、(英語も)ほとんどのチームにアポなしで突入し、トレーナーとして働きたいと訴えたが、当然ながらオール不合格。
インターンすらも認めてもらえない状況だ。
今考えると、日本でそれをやっても無理であろうということは容易に想像がつく。
その時はとにかく動くしかないと思っていた。

ドイツに来たのは、それだけではなく、ピラティスを考えたピラティスさんの国である事。リハビリの勉強と医療といえばドイツというイメージ、リンパドレナージュの本場。というトータル的な興味からだった。もちろんヨーロッパ中を旅行した。

偶然出会った、オーボエ奏者の方から、オーケストラのコンディショニングをすることになり、普段は、日本食の料亭で働きながら、整形外科で見学し、オーケストラのケアをしていた。招待していただき、ベートーベンの曲だけをやるコンサートとの事で楽しみに行ったが、まさかの一曲も分からず…自分が知るベートーヴェンの曲なんて、ほんの一部だということを思い知った。コンサートやオペラは、素人の僕が聴いても圧倒されるものであった。

夫婦でオーケストラに所属し、預け先がないという時は、ベビーシッターもやった。その3歳の子こそが、僕のドイツ語の先生だ。
『タートゥーターター』救急車の音
数も数えられなかったので彼に教わった。

そんな事が、広がり日本からの駐在員の方からマタニティケアの話や、不妊治療の鍼を日本で受けていたという話がきた。

収入のベースは、料亭だったが治療家の火は灯していた。

【命】

元々、不妊治療は勉強していた分野で、専門的に行いたいと思っていた。
逆子の治療で、教科書通りに赤ちゃんが動いたり、治療が目に見えて結果に繋がるようだった。

ドイツ滞在中に、その方も妊娠され、また妊娠された方も出産された。
初めての感情で、とても嬉しく、感動したのを昨日のように覚えている。
数年後、自分の子供が産まれた時には、感動しすぎて号泣した笑

同じ時期に、東日本大震災や祖母の他界とドイツにいながら命というものを感じた。

トレーナーでプロやアーティストのケアをする事が目標だった。それはそれとして、とても華やかな世界であったが、自分のやりたい事は、東洋医学をベースとした、様々な症状で困っている方の治療をする方向へ向かっていく。

鍼灸学校で教わった先生は、気が見えるという。真似できない技術を持った方だった。
しかし、鍼灸の不思議な世界とあやふやな効果、
結果が出るようになり始めたのは最近だ。

【不妊治療】

帰国後も不妊治療を中心とした治療院で働き、命の誕生を聞く嬉しさは、何物にも変え難い。
不妊治療やその他の疾患についても、ホルモンバランスや生活習慣など様々な要因がある事、千差万別であり、これさえやればというものが見つからず、脳に何かあるに違いないと思った。

【脳梗塞後遺症】

脳の勉強と脳の治療の為専門院に転職
理学療法士に教わりながら、リハビリを含めた治療を行う。脳科学についても勉強した。
今までの常識も何も当てはまらない、治療するのが嫌になる日々だった。結果も出ず、症状もバラバラで噛みつかれ、怒鳴られ散々だった。
親族にも、脳梗塞患者がいた為、麻痺が残るんだな。くらいの認識が大きく変わった。

【予防医学】

日本には、まだ浸透していない予防医学。
数千人の脳梗塞患者から、話を聞くとやはり、様々ではあるが原因を感じている方が多い。
予防医学を世の中に浸透させる事ができたら、自分がどれだけ価値がある人間になれるだろうかと考える。

【美容鍼灸】

こんなに病気の種類があるのかというくらい、色々な病気の方を治療し、東洋医学だけでなく、自律神経治療も重要なポイントである事を感じた。そんな中、顔に鍼を打つことが脳に与える影響も大きいと感じ、美容鍼灸院で顔に鍼を打つ研究をする事にした。美容から予防医学に繋げられるという点も魅力だった。
顔に打つ鍼は、やはりリラックス効果が高く、脳梗塞の方でも効果を感じた。

【開業】

まだ不完全ではあるが、ピースが揃う気がしたので開業を決めた。何がしたいのかを自問自答すると思い浮かぶのは地域貢献だ。
地域の人の健康の為に、働きたい。
問い続けると、

予防医学の普及と研究

という目標が2024年に掲げた目標となった。
これまでの全ての経験が、今年跳び、羽ばたくための助走だったと言えるように。

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