リアリティと共感

物語にとってリアリティの重要性は当然のように語られるところだが、この「リアリティ」が何なのかはそれほど明確ではない。
例えば「殺陣がリアルだ」と言っても現代日本で本物の戦闘を見る機会は無に等しく、一見した迫力や合理性、格闘技などからの類推で判断しているに過ぎない。 こうした「リアリティ」は「本物らしさ」というか「本物のような気がする」程度の意味合いであり、「説得力」と言い換えても良いだろう。

物語の世界を外面(物理世界)・内面(精神世界)に分けたとき、外面のリアリティとは単純に設定などの整合性となる。SFにおける設定もそうだが、距離が離れている筈なのに移動時間が短すぎる、といった単純な不整合も外面的リアリティに影響するだろう。
一方、内面のリアリティはその物語の感情的体験、つまりドラマが成立するかという問題であり、登場人物の感情体験に受け手が共感できるか、と整理される。「Save the cat」というハリウッド脚本術の有名な標語があり、これは登場人物の「危機一髪で猫を助ける」ような場面を描くことで好感を持たせ、観客がその人物に寄り添える、つまり共感できるようにするという手法だ。観客と登場人物の心が近付くほど同じ感情体験を共有できる。
(藤本タツキ『チェンソーマン』の第102話「セーブ ザ キャット」はこれを踏まえて、「危機一髪で猫を助ける」のを人命より優先したとしてもその人物を好きになれるか? という挑発的な皮肉を含んでいる。また勿論その前の二択は「トロッコ問題」を引いている。)

共感のよく知られた分類として情動的共感と認知的共感がある。情動的共感とは他者の感情・情動に触れて「自分のもののように感じる」プロセスであり、感覚的な回路と言える。認知的共感は自分のものとせず「あの人は喜んでいる」といった思考として理解するプロセスであり、理知的な回路と言える。
認知的共感は誰かの強烈な感情体験に共感したとしても同じ体験を味わうのではない、という点で「クールな共感」だが、その強烈さ、また時には深刻さを確かに理解することができる。「説得力」という観点からすれば、情動的共感に劣らぬ力を持っている筈だ。

二つの回路の存在は脳科学(認知神経心理学)の面からも示唆される。
「心の理論」は他者の思考を推測・理解する能力を指し、有名なテストとしてサリー・アン課題がある。他者の誤解などを理解する為には、その人の知っていること・知らないことが自分とは異なると気付き、独立の視点としてシミュレーションできなければならない。心の理論の研究では他者の行動を推測するテストが多く、感情をそれほど扱わない印象があるが、認知的共感も心の理論の一部ではあるだろう。動物としては高度な知的能力であることからも心の理論が前頭前野に関わることが想像されるが、実際に前頭前野や側頭葉と関連することが報告されている。
一方で情動的共感は思考を介さないことから予想されるように前頭前野が主ではなく、むしろ自分自身の情動と同じ島皮質や扁桃体などが活動すると報告されている。他者の運動を見るときに自分が運動するときと同じ部位が活動するというミラーシステムが確認されているが、情動についても同じような原理が働いているのだろう。
(参考 ミラーシステムと心の理論に関する認知神経科学研究の文献紹介

河竹登志夫は作劇術の基本的発想を古典主義とバロックに分類している。(『演劇概論』p.65)
古典主義演劇はギリシア悲劇に始まる「三単一」の法則を守る演劇で、その単一の状況の外で起きることは台詞によってのみ述べられるという。古典主義は静的で主知的である。
バロック系演劇はシェークスピアの時代に始まる「三単一」を全く破るもので、時間・場所の連続しない様々な場面で構成されている。バロックは動的で主情的である。
河竹は古典主義の方が観客の感情移入を誘導するものとしているが、台詞に重きを置く古典演劇は知性による理解を要求する、という点で認知的共感が優位であり、逆にバロック演劇は情動的共感が優位と言えるかもしれない。

アニメで言えば会話やモノローグの内容により心情をなぞらせるのが認知的共感寄りの演出であり、表情や声色の芝居、画面の雰囲気などで心情を感じさせるのが情動的共感寄りの演出と言える。
ただ、アニメで喋るだけの場面というのは絵面が地味になるので、大抵は工夫して動きを付けることで情動的共感にも訴える演出となることが多い。これはメディアの性質がそうさせると言っても良い。シャフト制作の〈物語〉シリーズや『まどか☆マギカ』系列作品の演出では特にそうした内面の視覚化が大胆に行われている。

一方で台詞を廃した演出として印象的だったのが『ガールズ&パンツァー 劇場版』で、その最後の戦闘は実に一つの台詞も無く描かれている。ただ映像や音のみの迫力が感覚に訴える説得力を生み出し、語られぬドラマをも受け手に想像させる。
そもそもガールズ&パンツァーの作品世界自体「戦車道」とは何なのか、安全性は、成立の過程などについて、深く語ることはない。戦車道はただそれ自体の迫力によって説得力を持っているのであり、共感ではないが情動的共感と同様な感覚的リアリティにより成り立っている。

内面に絞って話をしてきたが、こうして見ると外面・内面を問わず、情動的共感・認知的共感に対応する形で感覚的リアリティ・理知的リアリティという二つの回路が浮かび上がる。

感覚的リアリティは現実世界に準じて描けば良く、受け手も前提知識が要らない利点がある。しかしこれはリアリティの限界でもある。世界設定が現実から離れれば離れるほど、この回路は働き難くなっていくだろう。 その点、理知的リアリティであれば論理によってどんな作品世界にも説得力を持たせることができる。SFというジャンルは正にこの開放性によって発展してきたと言えるだろう。


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