パニック障害⑤再発

ここからが長い、今に至る この衝撃が長く脳に残ってしまい 忘れてくれない

2009年 新婚旅行にフランスに行く
フランスは高校卒業してから、パリの専門学校に行き3年住んでいた。それも合って、事前にプランを練っていた。

調子が良かった時の会社は業務清算してしまい、ある小さい会社に声をかけれられ勤めていた。
こう書いていると、なるべくして起こっているなと

土日休みはあったけど、休日出勤も多く、夜遅くまで働いた
そのセクションの責任者でもあったので、海外旅行約7泊8日の休みを作らなくてはいけない
睡眠不足の日が続いた

でもパリまでのフライトは今まで何往復かしてるし、12時間ぐらいあるから寝ればいいつもりで、フライト当日も徹夜で乗った。

機内で寝てて、気流に入ったのか少し揺れて気持ち悪くなる めっちゃ揺れるやんと思って 目を開けた瞬間
前の座席の人がもうめちゃくちゃシート倒しており うわ 
狭い(非常識なほど倒していた) という考えとともに

忘れていたあの間隔がくる 予期不安
・気持ち悪い
・閉塞感大
・まだ乗って2時間 あと10時間
これで詰んだ

CAさんを呼び、前の人の座席を少し戻してもらうようお願いするも
申し訳ないけどできないとのこと

CAさんに症状を伝える、何か薬は置いていないか聞いた。
おいていません。→ガーンおわた
これ以上悪化したら どうしようと思いCAさんに伝えると
機内にドクターがいらっしゃるか呼んでみます(テレビで見るやつ)
おわった。。。
その後、外国のよくわからない錠剤を頂ける、藁にもすがる思い

妻と席を替わり だまし だまし 寝て シャルルドゴールに着く

最悪な新婚旅行だったと思う。

それでもなんとか予定通りのプランをこなし、南仏に移動 モナコ
ニースからアムステルダム経由で東京へ

前日の夜からもう半泣き、親にも国際電話

行きもなんとか来れた、帰りも頑張るしかない、苦しくても気絶したらええんやと 覚悟を決める

パリからニースの機内
今までしんどいことたくさん越えてきた、肉体的にも精神的にも、でもここで心が折れた。
1時間半のフライト。
30分経ってから、精神を保つので精一杯、1秒1秒が長い、気を抜くと発狂しそうになる。頼むから誰か殺してくれっと願った。本当に殺してください という究極だった
脳に障害が残ったと思うぐらい、きつかった これが13年経った今も鮮明に刻まれている
気が振れる、発狂する手前で意識を保っているけど、先に脳の方が壊れるんでないかという熱
初めてのパニック障害とは比でない拷問

アムステルダムで乗換の時に、泣いた。これから10時間もう乗れるわけがない
他に方法はないか、考えた(無茶苦茶だけどシベリア鉄道とか)
乗る選択肢ない
めちゃくちゃ弱音を吐いた吐いた
一人だったら乗れなかった、妻が一緒だったので 乗るしかなかった
機内にはいる手前で意識が朦朧とし、血の気が引いた

3列の席に座り、すぐにCAさん(日本人女性)に経緯を説明した
ダメなら今から降りてくださいと言われた。今決めてくださいと →ほんま一生忘れない。恨
その後、チーフCA(エールフランスJAL)フランス人女性かな
私たちと一緒に帰りましょうと本当に穏やかで優しく、お話をしてくださった。辛い時には呼んで下さいと。→一生感謝します こういう人でありたいと思う

僕がとても運が良かったのは、そのやりとりを隣で聞いていた日本人女性( 年の頃20代半ば一人)が私もパニック障害で薬を持っていますと お分けして頂いた。
手がかりはマイケルジャクソンが亡くなった日(機内の新聞)
アムステルダム→TOKYO 
その女性にきちんと御礼も言えず、住所など何も聞けなかったのが、今も心苦しい、twitterとかなら見つけられるかもしれないけどSNSが苦手

そのエールフランス機内の10時間は薬も効き(mgもわからないけどとにかく効いた)
ほんと気が付いたら家で、どうやって成田から家に帰ったのか
もちろん妻も居たので、一緒に普通に帰ってきたのだろうけど、薬が効きすぎて記憶が朦朧

この薬を分けて頂いた女性には、感謝してもしきれない


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