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ブータン旅行記 第3章 マニ車とお経

早朝、誰かの声で目が覚めた。
たくさんの女の人が歌っているような、とても落ち着く、耳に心地よい歌声。
お経だ、と気付いて体を起こした。
どうやら丘の上のお寺から聞こえてくるようだ。
時計を見ると5時。
朝のおつとめの時間なのだろうか。
お経を子守唄に二度寝していると、また違う声が聞こえてきた。
今度は男の人の低い声だ。
一人でぶつぶつ唱えてる。
おじさんかな。
同じような声は、その後もあちこちから聞こえてきた。
私は夢うつつの中、ぼんやりとそれを聞いていた。

台所で朝食の卵を焼いているサンゲの邪魔をしながら、そのことを尋ねると、町の人たちが朝のお経を上げていたんだと教えてくれた。
特にお年寄りは、毎朝お経を唱えるらしい。
私はそういうのが大好きなので、とてもいいなあと思ってしまう。
誰のためでもなく、ただ毎朝、生きていることの感謝を捧げる。
この国の人々は神様とつながっている。

おじさんにお礼を言って、私たちは次の目的地へと向かった。
走り出した車の中、キンガさんがなにやら音楽をかけ始めた。
お寺から聞こえたのに似てる。
「これは朝のお祈りデス。毎日聞きマス。」サンゲが言う。
10分弱くらいの間、歌のようにゆるやかなメロディのお経を3人で聴いていた。
もちろん意味は全然わからないけど、なんか、いいなぁ。
 
ブータン人はとにかくよくお経をあげる。
町でお年寄りの人がひとりでぶつぶつ言っているのを見かけることがあるが、あれもお経だ。
暇さえあれば唱えているのである。
さらに、声に出して唱える以外にも、お経を読むのと同じ効果を得られるグッズがある。
マニ車というものだ。

ブータンに限らずチベット仏教のお寺には、必ずこのマニ車がある。
これは円柱の真ん中に縦に軸を通した物体で、手でくるくると回すようになっている。
円柱の中にはお経が納められていて、1回転させるごとに1回お経を読むのと同じ効果があるというものだ。(日本にも鎌倉の長谷寺とかに同様のものがある。)
また、回す時は必ず時計回りという決まりがある。

お寺にあるマニ車は、小さいものは、高さ30センチ直径20センチくらいだろうか。
下側の軸の部分に握り手がついていて、そこをひねって回すのだ。
お寺やゾンの壁には、これがずらっと20個も30個も並んでいる。
それをひとつひとつ順番に回していくのだ。
お寺に行くたびに回していると、手首が痛くなってくる。
一方、大きいものは高さが2メートルくらいあって、これは円柱の底部分に取っ手が付いており、そこを持ってマニ車の周りを回りながら回す。

さらに、携帯用マニ車もある。
こちらは長さ30センチくらいの棒の先に小さな円柱がついているものだ。
円柱には鎖で重りが付いていて、棒を振って重りの力でくるくると回す。
これも田舎のおじいちゃんの必須アイテムである。
道端に座って談笑しながら、ずーっとマニ車を回している老人をよく見る。

これをぜんぶ回していくわけで。腱鞘炎になりそう。


でかいのはでかいので、これまた大仕事である。


驚きだったのは、マニ車は必ずしも人力で回すわけではないということだ。
ティンプー郊外のベガナという場所にある壁画を見に行ったときのこと。
そこにあるマニ車は、水車式だったのだ。
水が流れれば勝手にマニ車が回るのである。
そんなん、ズルちゃうん?!と私はいささか衝撃を受けた。
この場合、お経のご利益はその土地が受けるってことになるのだろうか。
ちょっと微妙な気持ちになるが、しかし、なるほど確かに、人力でなければならない理由などない。
自分のことは自分で、土地のことは土地の力で。
割り切った考え方が何か清々しく、いつも自分にできる以上のことを背負い込みがちな私には、ある種の教訓のようにも思えた。

とにかくブータンの町を歩けばそこかしこにマニ車はあり、タルチョ(※)と合わせてチベット仏教のシンボルとなっているのだ。

また、くるくる回るのはマニ車だけではない。
ブータンではお寺を見学する時も必ず時計回りだ。
お堂の仏像を見るときも、ゾンの大きな建物を見る時も、いつも時計回りに一周する。
さらに、車で道を走っていて途中に仏塔があったりした場合も、車で仏塔の周りを時計回りにぐるっと回ってからいく。(道路もちゃんと円周状に作られている)。
あっちでくるくる、こっちでくるくる。
しつこいくらいに全てが時計回りだ。
つまりこの国では、人も自然も四六時中そこかしこでお経をあげているわけで、そりゃあ幸せな国になるのも同然なのだ。
 
※タルチョ:
青、白、赤、緑、黄の5色の四角い旗が連なったもの。
これも風にはためくごとに読経したのと同じ効果があるらしい。
 



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