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ブックレビュー「家事か地獄か」

こちらの本は、図書館で借りずに購入しました。

いつも本は図書館で借りることにしています。
というのも、以前はKindleで購入することが多かったのですが、立て続けに「駄本」(といっていいものか・・私にとっての「お金を払う価値のない本」)を購入してしまって、本を購入することに嫌気がさしてしまいました。
本屋で立ち読みして、いいと思った本だけ買うという手もありますが、私の場合、立ち読みしている途中で疲れてきてしまって、もう買っちゃえとなって、で、買わなきゃよかった、となります。



ということで、図書館でまずは借りることにしているのですが、新刊はたいてい一か月は予約待ちになります。
「家事か地獄か」も、新刊だったので案の定予約がいっぱいでした。それで、本屋で立ち読みしたところ、少し読んだだけで「これは面白い」と感じて、お金を払う価値のある本だ、と思い、購入に至りました。

響いた文章の抜粋です。
「老いてアルツハイマーになっても元気に暮らしを全うしたという、驚くべきアメリカの修道女たちがいる。それは、彼女たちが「集団の中で、自分のできることはしっかりと行いながら、環境の変化の少ない暮らしを何十年も続けている」からではないかという専門家の指摘に改めて唸る。」

著者である稲垣えみ子さんは、家事を手放す(=自分でやれる身の回りを便利家電たちに委ねてしまう)ことは、考えることを放棄するに等しい、つまり、アルツハイマーまっしぐら、というようなお考えのようです。
そして、政治家の皆さんに、「家事していますか」という質問をしてみたいというようなことも書いています。

確かに、私たちの暮らしは便利家電のおかげでかなり「時短」になりました。ただ、そこで家事を手放した時間で、一体何をできているのかというと、有意義にボーっとするわけでもなく、自分がかねてよりやりたかったことにチャレンジするわけでもなく、子供と笑顔で遊ぶわけでもなく(時短になっても空いた時間で日中の蓄積疲労が取れるわけではない)、テレビをつけてしまっていたり、スマホで気になったことを調べていたり、そんな「有意義」でないことをしてしまっています。

稲垣さんは、手放した「家事」こそ、頭や手を使えるチャンスなのだといいます。

「使わないものは衰える。体も、頭も。で、現代の我々の暮らしはどうか。便利を追求した結果、それまで人間がやってきたことをどんどん機械に任せるようになった。手で掃除しなくなったし、歩くこともしなくなったし、漢字も書かなくなった。検索ばかりして「思い出す」こともしなくなった。つまりは体も頭も恐ろしいほどの勢いでどんどん使わなくなっている。そして、使わないものは衰える。・・・どこまでも「便利」を追求し続ける今の社会は、実は認知症患者をせっせと増やし続ける社会ってこと・・・?」

そして、稲垣さんは、上の修道女のような暮らしをしようと決意しています。すると、今までの生活は何だったのだろうというような変化を感じたのだそうです。

私も、便利家電に支えられている一人で、食洗器、ロボット掃除機、乾燥機付き洗濯機という三種の神器をフル活用しています。
それでも毎日へとへとに疲れてしまって、子供と笑顔で微笑みあう(?)理想のお母さん像と遠い日もあります。単純に、発熱や頭痛や腹痛や・・といった体調不良で元気がないこともまあまああります。

三種の神器に助けられているはずなのに・・疲れている日はお肉屋さんのコロッケをメインディッシュにしているのに・・なんでこんなに毎日疲労しているんだろう・・・

もしかすると、ヒントはこの本の修道女にあるのかもしれません。自分の世話を自分でする、同じことを毎日する、この繰り返しの中に、何かヒントがある気がします。

手も足も頭もほとんど使わない家事と、ある程度時間はかかっても、その単純な作業の中に毎日のコンディションを整える力のある家事と。なんとなく、家事はすべての準備運動なのかもしれません。私は準備運動せずにいきなり会社でダッシュしていて、足がつったりしてしまっているのかもしれません。

大変に学びの多い本でした。紙の本で買ってよかった!

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