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思考の過程② 小さな円

絵を描き始めた記憶

実家は経営管理事務所だった。

じいちゃんが経営管理士だったので、私はいつもじいちゃんとばあちゃんと過ごしていた。

家にコピー機があったから裏紙がたくさんあった。

じいちゃんから裏紙をたくさんもらってずーっと絵を描いているような子ども。

物心つく前からずっと描いていたからいつから描き始めたのかはわからない。

5歳の頃、私はよく和室で絵を描いていた。

描いていたのは直径2cmに満たないちいさな円。

何度も何度もゆっくりゆっくり鉛筆を走らせる。

楽しくはなかった。

それでも飽きずに円を描き続けた。

絵が得意という感覚

小学校2年生になった時、当時流行っていたドラゴンボールの絵をずっと描いていた。

悟空がスーパーサイヤ人になってみんな大盛り上がりしていた時、私は淡々とその絵を描いていた。

当時、カーボン紙を使って絵を写すのが流行っていた。

絵を描き終えた私のもとにクラスメイトが勝手に集まってきて見せて見せてが始まった。

絵を求められるのは単純にうれしかった。

その中の誰かが「カーボン紙を使って描いたんじゃないの?」と言い出した。

鉛筆で描かれたスーパーサイヤ人の絵をまじまじと見るクラスメイトたち。

「これ絶対カーボン紙だよ!」

「じゃなかったらこんなに上手い訳ないじゃん!」

どこからどう見ても鉛筆の線なのに、クラスメイトたちにはカーボン紙のトレースに見えたらしい。

私は否定も肯定もせず、白けた目をしていたと思う。

優越感やバカにしたような気持ちではなく、ただただ、クラスメイトたちと私との違いだけを感じていた。

この感覚はその後ずっと続くことになる。

絵を描くのが嫌いになった頃

小学校の図工でも中学校の美術でも、絵を完成させたことはほとんどなかった。

自分の中から絵が出てくるまで時間がかかる。

絵を描き始めてからも細部にこだわるから時間がかかる。

授業の時間だけでは到底描き上げられない絵ばかり浮かんでくる。

クラスメイトは思い思いに絵を描き上げていく。

彼らを見ていても全く理解できなかった。

ただただ、制作の過程が私とは全く違うと感じた。

描き上げられない私の絵は描きかけで終わり、紙も絵具も時間も想像も無駄になった。

そんな図工や美術の時間が繰り返されるたびにつらくなった。

いつまでこれを繰り返させられるのか。

私は他の人がいるところで絵を描くことが大嫌いになった。

小さな円の意味

中学生の頃、ふと思い出したように小さな円を描いた。

いびつな円がひとつ、ふたつ・・・

まん丸の円はひとつも描けない、小さい頃からずっと。

私はまん丸の円を描きたかった。

まん丸の円さえ描けたら満足だった。

いびつな円は楽しくない。

いびつな円は下手くそだ。

私はいつまでも下手くそだ。

5歳からずっと、小さな円はいびつなままだ。

いびつな円は、私だ。

クラスメイトや家族には、この思考はわからなかった。

伝わりさえしない思考を、伝わらないまま抱え続けた。

不完全を愛しはじめる

大人になって小さな円は描かなくなったが、その思考は残っていた。

20代

文章を書くようになっても、この文章が誰かを傷つけたりはしないだろうかと不安だった。

絵を描いても、思い通りに描けなかった絵はすぐに捨てた。

ギターを弾いても、一度間違うとまた最初から演奏した。

何をしても何も完成させられない。

まん丸の円を描けないように、ずっといびつな円を捨てていた。

いびつな円は私にとって美しくない。

世に出る作品たちのなんと美しいことか。

私には生み出せないのだろうと、圧倒的な違いを前に打ちのめされた。

30代

いびつな円は不思議なことに、だんだんと魅力的になっていった。

いびつなままで、そのままで心を揺さぶる文章、絵、音楽が、私の中から生まれてくるようになった。

いつのまにか私の心だけでなく、人の心に届くようになった。

世に出る作品と私の作品との圧倒的な違いは、私の中で氷解した。

そして今

きっかけは、何だったのかわからない。

でもそれからというもの、不完全を愛するようになった。

誰もが抱える不完全さは、私にとって30年以上かけて愛するまでに至った。

言葉では決して辿り着きようのない不完全への愛。

私だけの感覚を手に入れた。

不完全な私を愛する

相変わらずいびつな円を描き続ける私は、いびつなままで生きている。

いびつな私は下手くそだ。

今はもう、その下手くそを愛してる。

いびつなまんま、下手くそなまんま、そのまんまを愛してる。

いびつさは不完全だから引っかかる。

私の心に引っかかる。

人の心に引っかかる。

何かを生み出そうとする魂が、そのいびつさをとっかかりにして私の中を這い上がってくる。

いびつさが必要だった。

まん丸の円はもう描かなくなった。

もう何も違わない、私とあなたは人と人。

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