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クリスマスに思い出す

クリスマスって何だろう?
子どもの頃から当たり前のようにあるけど。

物心ついたころにはクリスマスツリーがあり、サンタさんもいた。あれは昭和の中期。そんな頃から私たちの周りには日本風の「みんな楽しいクリスマス」があった。最初に導入したのはいつかと思ってググったら、なんと昭和どころか明治の頃からあったらしい。えええっ、不二家が初めてクリスマスケーキを売ったのが1910年だって!

バブルの頃は恋人同士が高級ホテルの最上階を予約したり、シャンパンを抜いたりフレンチのフルコースを食べたり高価な贈り物をしたりすることが流行った。わたし自身はあまりそういうことに縁がなかったが、昭和の人間としてクリスマスとは華やかに騒ぐものだというイメージは抜きがたく刻まれている。だから家庭で子どもと盛り上がるか、大人ばかりであればパーティや高級店での食事がないクリスマスって、なんかとてもさみしい感じがしていた。

けれど本来の、静粛な祈りのクリスマスもある。パリピなクリスマスと同様に。それからクリスマスですらない場合もあると、わたしは教育を受けるまで知らなかった。

遠い昔だけれど、教養科目で「宗教学」という講義を取った。全く宗教になじみのない学生に向けてキリスト教を中心に欧米の歴史や文化、宗教の意味などを教えてくれる授業だったが、そこではじめて「過越の祭」というものを知った。詳しくはmagenta-hikariさんが書かれているのでそちらを読んでね。

そこで「ユダヤの人々はクリスマスを祝いません」と言われて仰天した。新旧の聖書とキリスト教とユダヤ教の回だった。そればかりじゃない、イスラム教なんて全然違うものかと思っていたら、やっぱり聖書が啓典のひとつになっている。中国韓国以外の「外国人」はみんなクリスマスがお祝いなのだと思い込んでいた自分はなんてアホだったのかと思う。知らないって恐ろしい。

実は当時もイスラエル人の知り合いはいた。親の知人だった。挨拶するどころか来日時にプレゼントをもらったこともあった。あの人たちにもしかしてのんきに「メリークリスマス!」なんて言ったことはなかったか、思い起こして頭を抱える。ボーッと生きていることが罪になるかもしれないと真剣に悩んだ。だいたいWASPだろうがユダヤ系だろうがヒスパニック系だろうが、アフリカ系の人と顔の平たい東アジア人以外は全部「白人」で一括していたのだから。ウェストサイド物語だってやんちゃなやつらが隣の中学校同士で抗争くらいにしか理解していなかったのだから。

多様性なんて軽く皆が口にする時代になったけれど、わたしたちはどこまで本当にわかっているのだろうか。ちょっと前に「パリのすてきなおじさん」という本を読んでしみじみ思った(一万円選書ありがとう!)。

パリにはふつうに多様な人がいて多様な人生を送っていた。きっと他の大都市でもそうだろう。毎日の生活で常に同じ人種、同じ言葉の、ともすると似たようなことを考えている人としか出会わない島国の田舎に住んでいると、多様性という実感は空にかかる星のように遠い。

でも「知らない」からダメなんじゃない。

知らなければ知ればいいし、教われば良いのだ。一番大事なのは「違うかもしれない」と思ったり、相手のことを知ろうとする態度なのかなと思う。

クリスマスが来るたび、「クリスマスを祝わない」「そもそもクリスマスが存在しない」文化や社会のことを考える。そして無知でボーッと生きていた10代の頃をちょっと恥ずかしく思い出す。でも、こんな風に自分とは異なるいろいろなことを少しは気に掛けるようになったのだから、あの若くて無知だった頃よりは成長していると思いたい。

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