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個人的な子育ての意味づけ

私が個人的に考える自分自身の子育てに対する意味づけを綴っておこうと思います。

「HSPなのにお子さん3人いるなんてすごいですね!」と言っていただくことが多いです。

そのときにいつも説明するのは、私がHSPを知ったのは3人目が生まれた後だったということです。

これは、子どもたちが存在しない世界線があったかもしれない話になってしまうのであまり大きい声では言えませんが、もし結婚や出産の前にHSPを知っていたら、私はどんな選択をしたのかわかりません。

子育てすることをためらったかもしれない(実際に体力や責任などの面でためらう気持ちもありましたが)、結婚というライフスタイルを選んだかもわかりません。

結婚した10年ほど前は、大人になったら結婚しなければならない、子育てをしなければならない、いわゆる普通の人生を歩まなければひとりの大人として一般社会で認めてもらえない、そんな思い込みがかなり強くありました。
今の自分自身の価値基準でいたらいったいどんな人生を歩んでいたのだろうと考えることがあります。

普通の人生を歩まなければと一般的な社会モデルに合わせて生きてきて、気がついたら子どもが3人いました。

子育ては気力体力がつらい面もたくさんありましたが、子どもとのコミュニケーションは自然とできやりがいもあり、1人目、2人目となんとか子どもたちのいる生活に適応していきました。

コロナ禍の最初の緊急事態宣言中に3人目が生まれたときは、未知のウイルスに子どもがおかされたらどうしようと本当に生きた心地がしませんでした。

そんな中でも、パートナーは夜勤もある激務のためそれを承知で、なんとかワンオペ中心で3人育ててきました。

そこにはまだあまり言語化できていないような様々なつらさがあって、そういう様々な体験や感情の答え合わせになったのもHSPという概念でした。

私が3人の子育てをさせていただいている意味を自分なりに考えました。

これは、結婚や出産を選んだことや子どもが複数人いることがえらいとかそういう次元の話ではなくて、あくまで私個人が3人を育てることを意味づけしたものです。

自分の気質やタイプをよく知らないうちに3人の子どもを授かり、今HSPというものを知ってそこから自分の人生や子育てなどの生活を紐解いています。

私がそのような境遇にある意味は、私と同じような気質で悩む方、HSPのパパママさんをはじめとする子育てに関係する方、何らかの情報を必要としてくださる方に、何か私がお届けできるものがあるからなのではと感じています。

また、私が人生を紐解き自分らしく生きる姿を我が子3人に見せることも、きっと意味のあることだと考えています。

この境遇は自分の人生に大きな意味があることなのだという信念を持って、私のもとに来てくれた子どもたちと向き合い、学びや体験をアウトプットしていきたいです。それが私の人生の意味のひとつです。
このようなマインドで日々子育てをしています。

最後までご覧くださりありがとうございました。

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