片親だと機能不全家族になる? ある双子の姉妹の話

はじめに 

「あそこの家は片親だから」
 なにか子供同士でのトラブルなんかが起きた時、そう憐憫と嫌悪の入り混じった様なニュアンスを込めて言う人を見たことがあるのでは無いだろうか。他にもネット上でそういったエピソードが語られていたりもする。
 情報社会になって便利になると同時にそういったネガティブな感情を吐露する場が増え、こういった発信を目にする機会が増えた。そしてそういった場面では「片親」というものは感動系の話と胸糞悪い話との二極化されている印象である。その後者の話でよく持ち上げられる存在として機能不全家族というものがある。

 『機能不全家族』
 身体的、心理的な虐待、ネグレクトや家庭内の溝や対立などにより機能を全うしていない状態の家庭を指す。

 家庭の問題というものはセンシティブな問題であることもあり、露呈せずそういう家庭の、ある種の「個性」であるかの様にさせられることがままある様に思う。どこからが機能不全家族と言えるのか、そしてその曖昧な判断基準故に機能不全境界線の様な位置づけになっている家庭も含めると機能不全家族というのは多いのかもしれない。
 とはいえ、理想的な家庭というものは幻の様なもので、実際問題として完璧な家庭の道筋をたどるというものはとても無理難題に近い様に思う。また、完璧で理想的な家庭というものも個人の主観によるものが大きく、具体的な基準をもとめるのもまた難しい。
 
 さて、私は別にそういったものを研究しているわけでもなく、ただの一般人であり、特別な知識があるわけでもない。言ってしまえばただの「主観的な」考えをこの場で書いているだけなので一定数の人間をこの記事で不快な気持ちにさせてしまうかもしれない。それは先にこの場で謝罪させて頂く。申し訳ない。

 一度そういう目で世界を見てみると様々な形で機能不全家族というものは結構身近に存在している。そして私の(狭い)生活圏の中にとある姉妹が居る。その二人の生きる家庭、世界は私の知る常識や文化圏から大きく逸脱している。がしかしその姉妹は間違いなくこの世界に実在している。

ある双子の姉妹とその家庭

 私は高校を卒業した後、とある自動車部品工場の営業兼生産管理といった所謂、工場の事務屋の様な仕事をしていた。給料は低かったし、将来に対しての希望も強く持てない仕事に嫌気が差していた。とはいえ、生きていくためには仕事をしてお金を稼がなくては家賃も払う事はできない。そういうわけで仕方無しに惰性の毎日を送っていた。もっとも、転職した今でも惰性の日々を送っていることには変わりないが。

 その職場で知り合った双子の姉妹がいた。
 二人は2023年、現在時点で26歳(入社当時はもっと若かったが覚えていないし今から逆算するのも面倒なので雰囲気で察して頂ければと思う)。姉妹ともにシングルマザーで、私が知り合った当時は二人の仲も良く、二人とも子供はいなかった。些かばかり派手な、所謂「今どきな若者」だった。少なくとも私の目にはそう映った。私の住む田舎町では当時見たことのなかった今で言う所の「派手髪」で、今ではこの田舎町でも珍しいという程でも無くなったが当時では「珍しい」という印象を受けた。

 二人の父親は幼少期に不倫の末、離婚。その後病死している。現在、祖父母、母親、母親の交際相手、叔母、兄二人と同居している。家族構成はこんな感じであるがこの時点でも感じるものはあるが、まぁそれは置いておく。
 
 二人は私よりも数年遅く入社してきた。当時、現場に奇抜な髪色の女性が入社してくるということで事務所内で噂になったのを覚えている。
 最初に入社してきたのは双子の姉で、彼女は現場に配属された。職務態度なんかに関してはそこまでなにかを起こしたという記憶はない。しかし結構場末な職場で正気の沙汰とは思えない行動を起こし続ける社員が多数おり、問題行動という観点においてはある意味寛容な環境であった為に一般的とされる企業の価値観から見ると問題行動があったのかもしれないが、少なくともそれらは私の耳には届かなかった。
 1年〜2年ほど働いた後に出会い系アプリで知り合った中国籍の男性との間に第一子をもうけ、退職した。その間、私との関わりといえば極稀に現場担当者不在の際に生産計画書を渡すことがあるくらいの関係性で会話というものはまともになかったと記憶している(たしかそのあたりでひょんなきっかけで私と彼女は連絡先やSNSアカウントを交換した。その後、そのつながりから妹よりインスタグラムをフォローされ、妹とも繋がりが産まれた)。
 彼女はその相手とは結婚せず、男性は程なくして中国へと帰国した。その後、相手の男性は出産後2度ほど来日しており、子供とはそれっきりの様子だ。その男性からの養育費等の資金的援助のようなものはない。
 姉の退職後、それと入れ替わる形で今度は双子の妹が入社した。妹も姉同様派手な髪色をしており、やはり事務所内ではちょっとした話題になった。

 姉は退職した後、体の調子が落ち着いたら復職するつもりだと言っており、実際私の退職後復職を果たしている。ただ彼女の復職とまた入れ替わる形で今度は妹が妊娠、その相手となる交際相手と結婚し退職。
 妹は結婚後、旦那が子育てに非協力的だという事、大麻の栽培を続けていることなどを理由に離婚。実家へと戻りシングルマザーとなった。
 妹は大麻、MDMAなどの違法薬物、眠剤や咳止めシロップの過剰摂取などをインスタグラムのストーリー上に公開(違法なものに関しては国民の義務として警察の通報フォームへとメール済)していたり、そのことについて「日本は薬に厳しすぎる」という持論を展開していた。そういった投稿は一応、親しい友人にのみ公開としたストーリーズであったがそういった行動から彼女の常識というものが伺い知れる。

 その頃から二人の間の関係性は少しずつ崩壊が始まった。事あるごとに互いの悪口をSNS上、例の如くストーリーズ上で言い合う様になっていった。それでも連れ立ってパチンコには行ったりとするようで互いの存在に依存しあっているような様子が伺えた。しかし、それと同時に姉の交際相手の男性が妹と肉体関係を持ったりと、やはり姉妹の関係性は崩壊に向けての確実な一歩目を踏み出した様な印象を受けた。
 それから、姉はクラブで知り合った19歳の男性と肉体関係を持ち、再び妊娠し、二度目の退職となった。その相手は認知せず、些かばかりモメたものの結局泣き寝入りとなったようだ。
 また、姉の出産とほぼ同時期、今度は妹が妊娠。相手は当時の元交際相手だが堕胎。その事実に姉は「悲しくて仕方がない。命をなんだとおもっているのか」というコメントをストーリー上で公開していた。
 それからほどなくして妹は売春を始めた。マッチングアプリを使って客を集めていたがことごとくアカウント停止処分され続け、今では掲示板で募集をかけている様子だ。ホテル代別で2万〜3万だったと思う。金額まではあまり覚えていないが昔ニュースで見た援助交際の相場より少し高かった覚えがある。個人的にその価格設定は些かばかり強気に感じるが買う人間は少なからずいる様子なのできっとその界隈では適正価格なのだろう。
 援交の動機は「金が必要だから」「姉の子供も含め三人の子供を養うため」という旨、ストーリーズに記されていた。
 姉は出産後は少しの間無職だった事もあり、またその際の小遣いを妹が渡している姿がSNS上に公開されていた。そうする必要性については疑問が残るがそういった内容の写真、動画が複数回アップロードされていた為、理由はさて置き金銭の授与が行われていたのは事実のようだ。なんにせよ、子供に金銭面で不自由させまいという(どこまで本気かはわからないが)心意気だけは素晴らしいのかもしれない。

 妹は退職後、売春と並行しガールズバーを転々とし始めた。姉妹揃って長く一つの職場に留まることが出来ない質なのだろうか。
 姉は妹が堕胎したこと、売春を始めたこと、またそれにより性病を患ったこと(その後も通院等の情報は入っていない)等までもストーリーズに公開したりと、一種の嫌がらせのような投稿が増え始めた。しかし堕胎、売春、性病については本人のストーリーズでも公開されていた為、嫌がらせとしてはあまり成立していないのかもしれない。
 また、その一連の売春や堕胎などは本人のストーリーズでも公開されていた為、事実確認は取れているがその頃から互いに「嘘をストーリーズで流している」と漏らすようになり、関係性が一層悪化する。しかしそれでも連れ立ってクラブに行く姿は毎週の様に公開されていた。また、その際には男性の車に乗り、複数人でクラブへ向かう姿、自室で複数名の男性と姉妹が雑魚寝している姿などがSNS上に上げられている。このあたりで二人の関係性の歪さが際立ってくる。


 クラブ通いをしている間、子供は祖母、母が面倒を見ている様で、姉妹では互いに子供の面倒を見ない事実に対して悪態を吐きあっていた。姉妹共通の友人からは「どっちもどっち」という辛辣な言葉が出ていたが皮肉にも本人たちには通じていなかった様子だ。

 それから、クラブ通いの中で姉が定期的に家出をするようになった。子供は家に残したまま友人、知人の家を渡り歩く生活をする中で、世話になる家主に生活費を入れるため消費者金融で借り入れをし、家主に納めていた。当時彼女は無職の為、消費者金融への返済ができるわけもなく支払いはまたたく間に滞り、その返済には姉の第二子の保育園入園に関する費用等が充てがわれた。姉の主張としては夜な夜な客や友人を連れ込む妹のせいで夜眠れなくなったことが家での原因であるとのこと。それから姉もガールズバー、キャバクラで働き始める。しかし母への借金(消費者金融返済の立替、約60万)の返済は行っていない様子(妹のSNSで母との会話の動画が公開されていた)。いよいよ地獄絵図の様な有様だがまだ終わらない。

 家出の少し前より運転免許証取得の為、母親が出資し姉は自動車学校へ通い始めるも仮免許学科試験を11回落ち、なんとか卒業するも本試験にも仮複数回落ち、卒業証明書の有効期限が切れてしまう。
 妹はその後、前職へ再び復職(ガールズバーと兼業)。しかし欠勤などの理由により非正規雇用となる。
 それから姉は兼業していたキャバクラを退職、ガールズバーのみに。妹も兼業していたガールズバーを退職、工場の非正規のみに。姉と同じガールズバーへ勤めようとするも姉から拒否される。妹は面接を受けたが姉が店に悪い噂を流した為、合格したものの辞退した旨をストーリーズで語っていた。姉のストーリーズ上では「私の権限で落とした」と言っていたが真偽の程は分からない。まぁ、ここまで読んで頂いた方ならばそんなことはもうどちらでもいいと思うはずだ。

 妹の売春を含む仕事に関しては他の家族も公認(発覚当時は親とその交際相手は泣いたという話)、併せて薬物の使用に関しても知った上で放置しているようだ。妹は生活費として家に金銭を入れているが姉は入れていない様子。家族内でも姉の奔放な生活ぶり(私から見ればふたりとも奔放極まりないが家族としては金銭を入れているか否かで変わってくるのかもしれない)により姉の居場所はあまりないようだ。家族での外食に姉だけ置いていかれ家でカップラーメンを一人で食べている姿を本人がSNSにて公開している。
 そんな奔放な生活ぶりのせいか、妹の職場(私の古巣でもあるし、彼女の古巣でもある)に家族に無理やり復職させられることが決定した。
 姉自身は妹がまともに働かないから会社と家族に無理やり働かされると供述していたが「会社から」という下りは疑問が残る。そんなことありえるのだろうか?
 そして、工場勤務とガールズバーの兼業で体力が限界、という内容の投稿が複数回あがっており、その際にはしつこい客に対してのずさんなLINEでのやり取りのスクリーンショットが添えられていた。そういった投稿では客をバカにする様な内容のコメントが主であった。しかし、そんなガールズバーでは給料を前借りし続けており、そのこともあり辞められないのではないか、と妹からは指摘を受けていた。
 
 また、姉妹ともに男性という存在が常について回っている。そういった男性たちとの関係性は交際相手(ある場合においては元)、友人、店の客(と援交の客)、その時々で多少の関係性の名前は変わるものの基本的に常に複数人の男性の存在というものがある。そしてその間柄と関係性などを姉妹間で競い合っている様な印象を受ける。おそらく姉妹同士で互いがコンプレックスになっているのだろう。いがみ合いながらもそれでいて常に依存しあっているという特異な関係性となっている。
 ただそういった男性陣も目まぐるしく入れ替わり、時間をおいて昔の登場人物が再登場したりと変化が著しい。そういった変化の中でも根本的な属するコミュニティの方向性は変わらず、その方向性に一貫して深化している。
 
 と、まぁ。これが私の目に映る姉妹とその家庭の姿である。

彼女らの家庭は機能不全しているといえるのか

 さて、ここで最初の問題へと戻る。彼女らの属する家庭というものは機能不全家族に該当するのか、はたまた機能を全うしているといえるのか。ということだ。
 一見すると機能不全家族という風に見ることが出来る。母親にあたる姉妹は子供の世話は自身の母、祖母に任せすぎている印象を受けるし、姉は借金まみれで妹は売春をしている薬物中毒ときている。これで機能を全うしているとは思えない。
 しかし、片親の家庭では多少なりとも周囲を頼らなければ苦しいという場面は多数存在するはずだ。ここでこの姉妹の他の家族に頼っているという側面を否定してしまえば逆説的に子供に不自由をさせまいと頑張っている片親の家庭をも否定することに繋がってしまいかねない。しかし、それと同時に彼女らを取り囲む歪んだ背景も屁理屈とちょっとした表現の違いなどで「必死に頑張るシングルマザー像」にできてしまう(妹の薬物中毒に関しては救いようがないがこの問題に関しては一度置いておくことにする)。
 ここで機能不全家族か否か、という問題において一番重要視されるのはやはり子供の幸せ、というところではないだろうか。ところがそういった目線で見てみるとまた難しいもので現状子どもたちが「幸せだ」と答えたならばそれが答えかというとそれもまた違うような気もする。比較対象を知り得ない経験の少ない子供の価値観だけで判断するというのも些かばかり早計な判断とも思える。だからといって第三者の目線からこの環境下は子供の教育上良くない、という判断を下すのもまたそれはその判断を下す第三者の主観というものが大いに影響してくる為、これもまた正当な判断とも言えないような気もしてくる。そういった判断というものを明確にルール化したとする。今度はそれに対応するかのように言葉遊びの様に表現を変えて子供の置かれている状況というものを正当化し・・・。といった風にある種の袋小路に迷い込んでしまう。

 ここでそもそも何をもって機能を全うしているといえるのか、それは「愛情」という要素ではないだろうか。
 これは受け取る側、また与える側の感情、主観によって大きく姿を変えるものである。ある場合においては受ける側にとってはおせっかいに感じられ、しかしそれがあとになってみれば身になっていたことを実感し、愛情として改めて飲み込むことが出来るものあれば、最初から最後まで、あとになって思い返してみてもどうしても見当違いでかえって関係性に溝を産むといったものすらある。だがしかし、そういったものも与える側にとっては「愛情」であることは間違いない。それが結果的に受け取る側にとっての不利益に繋がったとしても与える側にそのつもりがなければそれはあくまでも「愛情」である。
 それらを鑑み、愛情と言うものをこの場では便宜上「相手の事を想っている、というパッケージに包まれたエゴイズム」と定義する。
 ここで愛情というものがいかに不確かなものかということが明らかになった。それはそうとして、それらは受け取る側の状況、状態次第では有益なものにもなりうるし、大いなる不利益を産むものにもなり得るということだ。

 この定義を以て、彼女らの家庭状況というものを考察していく。
 彼女らは少なくとも本人にとっては子どもたちへの愛情をもって接している。少なくともそれは第三者からどう見えるか、というものを完全に度外視し、ただただ本人たちの主観のみによる判断である。「愛情」というものが当人たちの主観によるものである以上、それらを第三者から否定することは不可能になってしまう。その判断は彼女らが日常的に私に向けたDMやSNSへの投稿上で子供に対しての愛情表現を(そう取れる姿を)外部に発信している。その事実で彼女らの愛情というものを認めざるを得ない。
 ただ、それらが行政、法律的に問題があるか否か、というのはまた別の問題である。しかしこの場ではそこではなく、機能不全というものをまた別の視点から見ていこうと思う。
 結局の所、その愛情が子供にどれくらい愛情と言う名のパッケージに包まれた状態で伝わり、納得しているか。ただそれだけが重要となる。それもまた時間の経過やその子ども達が今後属するコミュニティから受ける影響などでも左右される為、現時点で「機能不全家族」だと断言することが不可能になってしまう。
 そうなるとあからさまに肉体的な虐待を受けている場合以外の機能不全家族というものは存在しないという事になる。
 
 となると、双子の暮らす家庭というものは機能不全家族に該当しないのか?という事になってしまうが私の個人的な感想としては大いに機能不全を起こしていると思う。
 それに関してなにかロジックがあるのかと言われるとただの私の主観と偏見によるものだ、という低俗極まりない答えが出てくる。しかしそんなものだろう。とはいえそれで終わらせてしまうのは些かばかり乱暴が過ぎるので次項以降でその答えに至る私なりの考えをまとめる。

身近に存在する機能不全・機能不全境界家族

 両親、保護者から押し付けられるエゴイズム。それらが悪影響を及ぼしている家庭という視点で見ると該当する家庭というものは目に見えた形での家庭環境の崩壊などがなかったとしても、あるいはしていないが故に誰の目にも止まらずその不健全さが蔓延し、病が進行している家庭というのは少なくないのではないか、と思う。
 その中で他者から受けるエゴイズムを自分の中でどうにか納得させて日々を乗り切っている人もいればそれに耐えかね、パンクしてしまう人もいる。なにより恐ろしいのはそういった家庭にいながら自分の家はなんの問題もない、と決めつけ無責任に他者(この場合では表立った機能不全家族)を断罪する者も少なくない、ということだ。
 人はどこまでも主観で物事を判断し、世間との繋がりでその価値観のすり合わせを行うが、家庭について、愛情について、そういったものはどこまでも「人それぞれ」という都合のいい蓋で閉じ込められすり合わせが行われることが少ない。また、昨今の「多様性」という風潮を都合よく捉え、あたかも自分たちの個性であるかのように振る舞い、歪んだ愛情を押し付ける人間関係というものは私達の身近なところに数多く存在している。そしてそれはある種の絶対的な関係性に近い「親子」という間柄においてもそれは変わらない。
 自分は大丈夫、という慢心。「家族」という内面が外へ出ない極小のコミューンが産む歪んだ個性。そういったものは意識しなければ目に止まらずに歪みは肥大していく。
 異常と思えるものこそ、異常の一言だけで片付けずにその根源を俯瞰して見てみる必要があり、そしてその異常性というものは大きさに差はあれど誰しも持ち合わせているものなのだと自覚する必要がある。
 自分の知っている常識というものから逸脱した家庭を「機能不全家族」として、「あの家はおかしい」「あの人はおかしい」と集団で追い込む事により、他のベクトルでの自身の異常性から目をそらし、自分が正しい存在であると錯覚するための不健全さというのは珍しいものではない。そういったことを無意識に行っている人間はニュースでいじめや差別の報道を見る度に同情し、加害者側を責め立てる。ただそれを責め立てている側も無意識にそれと近しい行為を行っているということは往々としてある。
 結局の所、誰も彼もみんな(私にも言えることだが)社会生活を営む人間という生命体として機能不全を起こしているのだろうと思う。
 その事実を自覚した上で、できる限りそういった不全を表に出さないように、誠実に生きようという努力することが必要な様に私は思う。
 件の双子と我々の間にある境界線というものは間違いなく存在はするが、視点を少し変えてしまえばその境界線というものはどこまでも曖昧になってしまう。場合によっては同じレールの上に存在しかねない。
「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないよう気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」
 そんなフリードリッヒ・ニーチェの有名な言葉が一層刺さるのではないだろうか。
 結局の所、機能を完全にすべてを(第三者からの目線、結果に至る過程においても)全うしている家庭なんてものはきっと存在しない。というのが私の考えだ。

機能不全はなぜ起こるのか

 先述した機能不全とはなぜ起こりうるのか。要因を考え始めると多岐に渡りすぎ収拾がつかなくなりそうな気がしてならないが、ざっくり私の偏見に満ち満ちた考察を陳述していきたいと思う。
 
 私が今まで見てきた機能不全家族から感じられる傾向としてその家族を構成する人間の育った家庭がまた、機能不全を起こしているということだ。そういった家庭から産まれたからといって間違いなく機能不全を起こす訳ではないが、そういう確率が高いというのは間違いないだろう。そしてその中でも機能不全を起こしやすい人間の傾向として「自己肯定感の低さからくる自己承認欲求の強さ」あるいは「都合の良い解釈による自己肯定」という要素が挙げられる様に思う。
 そういった性質がどこから産まれるか、というとそれは間違いなく遺伝による脳の構造による性質とその本人の経験により培われたものである。
 顔や体格、毛質なんかが両親、あるいは血縁者に似るように、体の特徴というものは目に見えて表れる。体質のようなものもまた同じである。両親の視力の悪さを遺伝したり、内蔵疾患なんかを遺伝することもそれと同じ様に感情などを司る脳の構造、性質を受け継ぐというのもまた、自然なことだろう。両親の性格の傾向、あるいは知能、そうったものも間違いなく遺伝として受け継がれる。
 さて、そういった視点から見ると先述した機能不全というものは実質的に先天的なものである。ともいえる。まず、遺伝として受け継がれる性質。そして次に幼少期の家庭内という閉鎖的な環境下で受ける影響。この2つは実質先天的といってしまって差し支えないだろう。
 両親から否定され続けた。あるいは年齢を重ね他の社会と触れることで自分の家と他の家とのギャップに常識が揺らぐことで産まれる(場合によってはその両方を受け)自己肯定感の低下。
 自分の価値観が一般のそれと大きく異なり、社会生活を営む上で不都合が大きく生じた際、「間違っているのは自分ではなく社会である」という風に決めつけ、それを固めるために後から都合のいい言葉、理論をかき集め、後付のロジックを固めることで自身の肯定する。理論ありきの答えではなく、欲しい答えを得るためのロジックを生み出す。
 社会生活を送る上で注意深く、周囲に目を向けるとそういった傾向を持っている人間というのは割と居るものだ。
 
 件の姉妹からはこの両方が感じられた。また、それらには二人の両親が離婚しているというのも大きく影響していそうだ。
 片親である場合、そういった精神的な不安定さを産むことが多い。という傾向があるように見られる。その大きな要因として「親からの愛情不足」という言葉がよく使われるが、私個人としてはそうではない様に思う。
 片親であることにより、その親はおそらく親であることに対してのプレッシャー、生活を支えなければいけないというストレスといったものが通常の家庭よりも強く感じられることだろうと思う。そういったストレスが日々の立ち振舞にはどうしても漏れ出てしまうことだろう。その子どもたちはそういった微細な精神のゆらぎのようなものを感じ取り、そうでない子どもたちよりも人からの(親からの)評価だったり感情の高まりなどに敏感に反応を示すようになるのではないだろうかと思う。
 ただこの要素に関しては一見「片親だから」ということで大きく括って片付けてしまう人が多い印象を受ける。しかし実際のところ、この要素に関しては片親でなくとも親サイドが強いストレスにさらされ続ける環境下にあることで起こりうるものだ。これは両親の不仲であったり、母親自身の人間関係、父親が社会で受けてきたストレスを家庭内で発散したりなど、様々な要因でどの家庭でも起こりうる。
 その敏感さは外部からの「片親」という視線を一層強く感じ取る要因となり、結果として自己肯定感を下げることに繋がるのではないだろうか。その自己肯定感の低さが承認欲求を産むという結果になる。

 また、彼女らの育った家庭では親が所謂「水商売」という職についている。それが子に対してそういった職業に対しての偏見を薄める材料になり将来的に自身もその道に進む要因の一つとなり得たのではないだろうか。そういった職業についているから機能不全を起こす、ということが言いたいわけではない。ただ子供が成長するにつれてその職に就く可能性がぐんと上がるのではなだろうか、ということだ。
 それと併せ、途中で産まれる親の恋人の存在というものがまた機能不全を助長させる一つの要素となった様に感じる。
 自分より後に出てきた大人の男性の存在が目の前で愛情が注がれている姿を見る。という経験は男性に対してのある種のコンプレックスを産む要因となり、彼女らの貞操観念を欠落させる一端となっていると推測する。
 そういった要素が重なり、彼女たちの間には常に存在の形を変えながら男の存在が居続けるという状況を生むに至り、その男性に対してのコンプレックスが主体的な行動を奪い、あくまでも男性中心の生活様式が産まれた。そしてその男性中心の生活様式を守る為に、結果的に子供に対して時間を割くことが出来ないという結果に繋がったのではないだろうか。
 それ故に、本人たちには子供を育児放棄している自覚がなく、それでいて事実として子供を他の家族に任せっきりにしてクラブ通いを続けているという矛盾を生んでいるのだろう。本人にとっては生活を守るためのステップを踏んでいるに過ぎない。しかし他の人間の目にはそうは映らない。それが今のこの状況なのではないだろうか。
 
 また、彼女らが双子であるという事実もまた密接に関係してくる様に思う。双子というものは姉妹と比べて常に同じ立場である、という状況が産まれる。故にある場合においては愛情だったり、成績だったり、様々な結果がどうしても比べられてしまう(あるいは比べてしまう)。ということになる。それは互いの存在が重荷になると同時に自己肯定を産むための大きな要素となっているのではないだろうか。
 興味深いことに双子のどちらかに交際相手が出来た場合、次第にその男性を含めた3人で出かけるようになる、ということだ。交際相手と二人で、ではなく、三人である。また、関係性がその段に進むとその交際関係というものは破綻の最終段階に進んだというサインでもある。
 そうなると、やれ姉が(あるときは妹が)彼氏に手を出した。と言って別れることになる。そういったところを見てもやはり二人とそれを取り巻く男性関係の歪さが目につく。そもそも男女関係というものは歪に変化することが多い事象でもあるのは確かだがそういった歪さとはまた一線を画したような、また別次元の様に感じる。
 ただそういう風に私が感じてしまうのはそういった側面を偏見の目で見ているからに過ぎない。人は交際関係における自身の汚点、あるいは極端な性質などを隠す(あるいは無自覚故に公言しない)ことが多いのではないだろうか。例えば、わかりやすく、極端な例としてはアブノーマルな性癖など。わざわざ人に言うことでもないし、ということで人目につくことなくその事実はその当事者(あるいはその交友関係まで)に止まりそれ以上流れ出ることはないのではないだろうか。
 ただ、だからといって彼女らの、ある種の「異常性」は否定できるものではないが。
 
 また、機能不全を産むもう一つの多いな要素を占めるのは「金銭」ではないだろうか。あえてここではより俗っぽい表現として「金」と書かせて頂く。
 金とは「この世は金がすべてじゃない」だとか「時は金なり」とか人生というものをはかる上でよく金というものは引き合いに出される。そもそも金とは人間が現代社会を生きる上で必要不可欠なものというのが根底にある。それ故にその存在は人の精神にどれだけ意識しないように努めたとしても影響をもたらしてしまう。
 例えば私自身、稼ぎが少なく慎ましやかな生活をしている。私としては必死に(身を粉にして)働いたり、自身のスキルを磨いてそれで富を得ようという労力を割くのが嫌で「お金が無くても工夫したりしてそれなりに楽しんで暮らしていく方が気楽でいいよな」というスタンスで生きているが、それは「スキルも度胸もない自分のコンプレックスを、自身に都合のいい人生哲学で固めている」とも言いかえることが出来る。僕本人にそのつもりがなかったとしても「無意識に都合のいい見方をしている」と一蹴出来てしまう。
 金という存在はそういうものだ。どれだけ意識をそらしたとしても砂浜の砂の様に隙間という隙間から入り込んでくる。一見、遠目から魅力的に見えたとしても目を凝らしてみると様々なものが目について嫌気がさすという面でもそうだ。浜辺って結構打ち上げられたゴミなんかが目に付くし。
 
 さて、話を戻そう。機能不全と金の関係性だ。
 金銭的な差、というのは人格形成が行われる学生時代なんかでは一層際立つ。そしてその頃に感じる差というものは自身の力ではどうしようもないという類のものだ。流行りのゲーム機が買ってもらえない家庭、服のローテーションがどう見ても早かったり、友達の家に遊びに行って家の違い、出されるおやつ、そういった周囲との違いというものが(至極当たり前だが)大きな影響を与えるように思う。
 して、双子の家庭に関しても大いにその影響というものが感じられる。二人のSNSでもよく「金がすべて」といった内容のストーリーズを見ることが多く、妹の援助交際という金銭獲得の手法を見ても倫理観よりもその獲得に重きを置いていることが感じられる。また、姉も店の客に対して「金を落とさない客はゴミ」というような内容も見て取れる為、やはり姉妹そろってそういう思考を持っていると言える。そういった行動もある場合においては「子供に金銭面で不自由させないため」という理由付けにより自己正当化に繋がる。
 また、金というものは人との差を明確にする線であると同時に人より優位に立つための手段でもある。彼女らは好んでヒップホップ・ミュージックを聴いている。それはかつて貧しかった黒人達の成り上がりの象徴とも言える文化でもある。 それらは形を変え、日本でも一部根付いて居るがやはりそういった文化で根底にあるのは「貧しかったが夢を追い求めるハングリーさで成功を掴んだ」というサクセスストーリーが圧倒的に多い。また、そのサクセスストーリーの中には倫理的に肯定し難いものなども美談として語られる節などが多々ある。
 機能不全を起こした家庭で過ごし、そういった自分の「過去」を意味のあるものとして肯定するためにそういったサクセスストーリーに憧れる。そして実際の努力をするかどうかは別として、手っ取り早く雰囲気を味わえるそういった文化のアウトローな側面に染まっていく。また、そういった文化圏に居る人間は自分と似通った過去を持っていることが多く、それ故に一層そのベクトルへの傾倒が激しくなる。そしてその文化圏の外に居る人間に対して排他的な精神を育み、同じ文化圏で結託し考えが凝り固まる。その結果が件の双子である、と私は考察している。
 
 最後に、根幹のような最たる要因として個人的に強く感じられるのは彼女らの「知能の低さ」だ。
 考える能力や語彙力が十分に発達していないと自身の感情などをうまく言語化出来ない。そしてそれを自分の中で噛み砕いた上で考えたりすることができない。その為、自分を他人に理解してもらうことも出来ず、他人を理解することが出来ない。精神的に未成熟な思春期などが精神的に不安定になってしまうのもそういったところが原因である様に私は思う。故に、彼女らは精神的に不安定で依存体質という面が産まれたのだろう。
 そして彼女らは同じ様な人種とのみ関わりを持つことで都合のいいときには「私は誰にも理解されない」と悲劇のヒロインになり、あるときには相手の理解できない言葉を都合よく捉えて「私を分かってくれている」と解釈する。そうやって生きてきたのだろう。それが彼女達なりの生存戦略だったのだろう。
 彼女らの知能を物語るエピソードとそれに対しての私なりの考察を下記にまとめる。

 まず、姉に関しては運転免許試験を落ち続けた上に最終的には卒業検定を失効している。それに至るまでに相当回数の試験を受けた上で、だ。運転免許試験は問題をよく読み、理解し、最低限の暗記をすれば受かるものである。それをそこまで落ち続けられるという結果がすべてを物語っている。
 妹は姉の様なエピソードこそないもの、DMでのやりとりの中で常用漢字が読めない(これは姉でもあった)、事象を理解せず短絡的に答えを導こうとする様子などから感じられた。
 そういったところから彼女らには論理的思考能力と一般常識・教養とされるものの著しい欠如が読み取れる。
 それらは本来であれば家庭、学校といった小社会で培われてくるものではあるが、彼女らの属するそういったコミュニティのなかでは必要とされなかったのだろう。あるいはそれらに触れる機会があったがそれを必要と思わなかったのか。何にせよ身につかなかった。
 また、親が子供(彼女ら)を常に庇護対象として、あるいは自分より下の存在として見続けていたことが彼女たちから知性を奪った要因の一つになっているように思う。
 借金を親が肩代わりして返済したり、双子が子供を放置して遊びに行く事実に対して説教をしながらも代わりに面倒をみたりと、最終的には親が面倒を見る、という構図に終わりがない。本来であれば一定の年齢になると精神的に距離というものが開いていくものだ。それは実家に暮らしていたとしても起こりうるものだ。しかし彼女たちの家庭では「親と子」という子供の頃からの上下関係というものが濃く残っている。
 ただ、そんな親も恐らくこの姉妹と同じ様な家庭で育ち、同じ様な人間性を備えているのではないだろうか。少なくとも双子の妹が薬物を使用していたり売春をしていたり(しかもその客の男性を子供も暮らしている家に連れ込み性行為に至っている)、していてもそれを黙認している。それは本人の中でリスクを分かっていながらもそれ以上の思考を停止している結果ではないだろうか。自身に都合のいいように、娘のことだから自分には関係ない。という解釈をした結果がこの黙認という結果ではないだろうか。
 子供に対して自分が優位に立っているというという想いと、娘はもういい歳だから勝手にやっているだけ、自分には関係ないという想いが常に同居しており、都合のいい解釈をいったりきたりしているのだろうか。
 そうだとするとそういった性質は間違いなく双子に継承されている。そういう意味では双子はある意味では被害者とも言える。だからといって加害者になっていいという理由にはならないが・・・。
 パチンコなどのギャンブル、男女関係、家庭環境、そういった要素などにより「そういう人達だから」という短絡的なロジックが生み出されてしまいがちだが実際はパチンコなどの要素も関係している事は間違いないがそれらがだけが直接的な原因となり得る訳ではない。結局、様々な要因が複雑に重なり合って産まれる結果だと言うことだ。
 
「一つの文化圏のなかでの価値観に凝り固まり、排他的になる」というのは彼女らを取り巻く文化圏に限らず様々なところに存在する。最近ではネットカルチャーでも目にする機会が多いのではないだろうか。他の文化圏の人間を「ダサい」「馬鹿だ」と決めつけ、知ろうとせずに自己正当化のための道具に使う。そういった不健全さというものは意識して見てみないと分からないものだ。
 どんなものにもそれに至る経緯がある。それが正当なものかどうか、はまた別の問題として。そして自分は無関係だと思っていた人間もその渦中に居り、そうやって自分は関係無いと思っている人間は一見して異常性が表に出ていないが故に逆説的に自分は正常だと決めつける。
 結局は同じ穴の狢と言える。凡才で凡庸な感性の持ち主の私にはそれ以上の事は何も言えない。
 ただ、それらは間違いなくこの世界に実在している。

最後に

 以上の理由を以て、蛇足に次ぐ蛇足になってしまうが、双子は機能不全家族だと私は判断する。しかしそれと同時に私自身も機能不全を起こしているし、他の家庭でも同じだと思っている。少なからず多少の歪は起きている。ただ、それをある程度理解した上で、自分なりに考えて行動を起こしていくというのが必要なのではないだろうか。
 昨今、ネットなどにより情報が飛び交い、簡単に答え(あるいは答えのようなもの)が得られる様になりそれに飛びつき自己完結を起こしてしまう人が多いように思う。しかしそういう答えに妄信的になってしまうのではなく、それをもとに自分自身を取り巻く環境にあてがい考え直してみる必要がある。
 これを読んだ人が少し自分の内面、あるいはそれを取り巻く環境を見直すきっかけになることを祈って。
 かしこ。

 

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