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人生初、文学コンテストに応募した話~1次選考編~

今年の夏、初めてモンゴルへ行きました。
まぶしい太陽、どこまでも続く草原、大地を渡る風の香り。その中で遊牧民の人たちと馬を並べて駆けた感動を忘れたくなくて、文章に残そうとした所、締め切り間際の「ある文学コンテスト」にたどりついてしまいました。
テーマは「馬」。モンゴル帰りの私におあつらえの題材と出会い、直感的に応募したい!と思ってしまった。

作文が苦手な人生を送ってきたくせに。

文学賞応募のお作法など全く知らない私が、モンゴル旅行の感動と心の動きを文字に残したい一心で書き上げた処女作。夏の暑さと、締切間際のプレッシャーと、初応募による要領の悪さにヒーヒー言いながら、何とか書き上げて提出した話がコチラ。

応募作品のコピーを棚にしまうと、この物語は「大人の夏の思い出」としてここで終わった……はずであった。

ところが、この秋まさかの延長戦が残っていた。



突然ですが、筆者、本屋が好きでして。
仕事帰り、少し余力がある時は駅前の本屋を巡回して帰る時間が、私のささやかなHP回復方法。
通称「セルフ・ホイミ」、ベホマほどの回復力はないけれど、私が使える数少ない回復呪文ならぬ、回復行動だ。

10月末、そろそろ薄いコートでも装備しようかと考え始めていた肌寒い夜、いつもの本屋へ立ち寄った時のこと。
文芸誌のコーナーを横切った時に、ふと思い出しました。

そういえば「アレ」どうなったんだっけ?

「アレ」とは、私がこの夏、人生で初めて応募した文学コンテストのこと。
小学生の頃からずっと作文が書けずに苦しんできた私が、勢いに背中を押され、思いつきと怖いもの知らずの見切り発車で一気に書き上げ、締切ギリギリに応募するという、どう考えてもタミフルを不適切摂取したとしか思えないような奇行を起こす事件があったのだ。

応募した事に満足し、その後は応募作のコピーを1度も見返すことなく棚にしまった「アレ」。その存在を不意に思い出してしまった。

確か、8月のお盆前に応募したはず。

沢山の応募作の中から、いくつかの候補作が選ばれるのが秋ごろ、大賞の発表は年内と募集要項に書いてあった気がする。だとすると、そろそろ一次選考発表のはずだ。

思い立ったら、即行動!
私が応募したコンテストは、某月刊誌が主催だった。急いで雑誌の棚を探す。

あった!

判型が大きく、写真が美しい事で知られる某月刊誌。最近今月号が出たばかりらしく、棚の中でも目立つ位置に置かれていた。
さっそく手に取ると、今月はどうやら付録付きのようで、透明なビニールが巻かれ中が見えない。表紙の文字組には文学賞の経過を示すような文言が見あたらない。あれ、発表は今月号じゃないのかな?私の勘違いか。

雑誌を棚に戻して立ち去ろうとした瞬間、手前に見本誌が置かれているのに気がついた。
ラッキー!優しい本屋さんありがとう!

さっそく本誌を手に取り、目次を開く。

ページの下の方へ目線を移すと…… ほら~、あった!
「2023 ○○賞 予選通過作品発表」

やっぱり今月号だった!

発表を忘れていた自分の鈍い脳の事は棚に上げ、己の直感と思いだし力を褒めながらページをめくる。
そこには、期待やワクワクは一切ない。だって、自分の名前がそこに掲載されていない事は己が一番分かっている。勢いと情熱だけで書いた素人作文が、簡単にコンテストを通るほど世の中は甘くはない。そんなにハードルの低い文学コンテストがあれば教えて欲しいくらいだ。

落ちている事が分かっている合格発表、しかも人生をかけた訳ではなく、ただの遊び。もちろん真剣に書いた作品ではあるけれど、仕事が最優先の社会人が、休みの日の遊びとして、貴重な休日を3日間もさいて必死に書いた趣味の文章。
応募後、母にその事を話した所「出せたの!?エライ!提出する事に意味があるの!」なんて、まるで子供を褒めるように労われてしまった作文。
その結果を見るときがやってきた。


自分に期待しないって気楽なもんだな~なんて、のんきに結果発表のページを開く。

「2023 ○○賞 予選通過作品発表」

ページの上部、横書きでデカデカと書かれた文字にちょっと笑ってしまう。だってまだ一次選考だよ?
もしかして最終発表の時には、もっと大きな文字で何ページもさいて発表してくれるのだろうか。私の想像より大規模な賞なのかもしれない。

説明によると、150篇以上の応募があり、その中から十数篇が予選通過作品として選ばれたとある。
説明の下には、予選を通過した作品名と著者名がずらり。

サッと目を通すが私の名前は無い、当然だ。作文が苦手な素人が必死に書いた文章を、面白く思ってくれる人がどこにいる。
やっと夏の思い出にオチがついたわい。やれやれ。

そんな事を思いながら、雑誌をペラペラとめくる。
10年ほど前、何かの特集が読みたくて1度だけ購入した事がある雑誌。久しぶりにそれをめくりながら、最近の業界の最前線はこんな感じか~、相変わらずフルカラーでどの写真も綺麗だなぁ……ため息をつきつつ立ち読みしてしまった。

世の人が新聞や雑誌をあまり買わなくなり、ペーパーメディアの勢いが弱くなった昨今、多くの雑誌が廃刊、あるいは季刊や特別号のみ、または判型を小さくして刊行する中で、この雑誌は10年以上前からこのままで頑張っている。
もしかしたら10年どころか20年以上前からこのサイズで出版しているかもしれない。業界を代表する月刊誌として、この雑誌にはまだまだ頑張って欲しいなぁ。

上から目線でそんなことを考えながら、見本誌を棚に返そうとするが、なんだか名残惜しくなり、再び結果発表のページを探してしまった。
コンテストの存在そのものを忘れていた割に、最後の最後に欲が出る自分の浅ましさと、諦めの悪さがおかしくて笑いがこみあげてしまう。けれど、こういう性格なのだから仕方ない。
「満足するまで眺めはったらよろし」脳内の大原千鶴先生に呆れられながら、見ても結果が変わらないページを再び開いた。


改めて眺めると150篇以上の作品の中から選ばれた十数篇、さすがは通過率約10%の中に残った作品群である。タイトルを眺めるだけでこちらの想像力を掻き立てるような巧みなものが多い。

募集テーマは「馬」というだけあり、有名競走馬の名前を冠したもの、「新緑」「春」といった単語で爽やかさを感じるもの、家族の事を書いたであろう作品名もちらほら。
他にも「夏競馬」「厩務員」「調教師」といった、競馬ならではの単語も並び、どの作品も内容を想像するだけで楽しくなってくる。

これ全部読んでみたいなぁ~、なんて考えながら一次通過リストを眺めていると、1つだけ引っかかるタイトルがあった。

その作品だけ、タイトルの終わり方が命令形。ハートウォームな内容を想像させる作品群の中で、なんだか不穏なにおいがする1篇。
原稿用紙10枚以内のエッセイのはずなのに、まるで大沢在昌先生か、北方謙三先生の長編作品ような命令形の題名。ミステリーか、あるいはハードボイルド小説にでもありそうなカタイ感じの作品名が1篇だけ紛れていた。

こんな「そそらない」タイトルはダメだわ~、話が想像つかないもん。
なんて、つい偉そうにダメ出しをしてしまう。だってこちらは落選した気楽な身。場外からならば、阪神ファンくらい好き勝手にヤジを飛ばせる。

名前から察するに、どうやら書き手は女性らしい。著者名には、とくだと書かれていた。

ふーん。


ふーーん??

……ふあ゛ぁ゛ぁ゛んん??


オイオイオイィィィィーーーー!?


ワ  シ  や  な  い  か  い  !

それ、ワシや! ワシのことやー!!

突如として陣内智則が降臨し、全力で誌面にツッコミを入れてくれた。
陣内智則さんって無料で脳内まで来てくれるんだな……出張ありがとうございます。

本屋の静かなフロアで変な声が出そうになるのを唇をぐっと噛み締めてこらえる。

く゛あぁぁっ!これ、私が書いたやつー!

って叫びたい。できたら世界の中心で!


あーあ、20秒前の私に教えてあげなきゃいけないわ。
この不穏でそそらない命令形タイトルをつけたのはお前だ!大沢在昌先生でも北方謙三先生でもない!って。

そう、謎はすべて解けた。犯人はお前だ!徳田!!

金田一少年に指さされて思いだした。
私がこんなタイトルをつけた気がする。もう2ヶ月も前の事だからはっきり思い出せないけど!

そうだった。思い返せば、作品の応募票に命令形のタイトルを書いたのは他でもない、自分なのだ。

先に発表した「人生初、文学コンテストに応募した話」でも書いたように、締切日に間に合うよう発送するにはギリギリのタイミングで仕上がった原稿。用紙の体裁を整え、表紙を作成するので手一杯だったから、タイトルもペンネームも深く考える余裕が無かったのだ。
先の話では割愛したが、タイトルは作品が仕上がった時の思いつきで、ペンネームはこのnoteと同じ「とくだ」という名字にしたのだった。

普段、普通で凡庸な社会人として暮らすために持っているリアルな自分の名字とはかけはなれたペンネームなものだから、誌面で「とくだ」の文字を見つけても、全くピンとこなかった。

そうや、これワシがつけたワシの名前や!

えーっ??
あの暑い夏の日、ひーひー言いながら書いたアレが一次選考通ったの?
私の人生で初めて文学コンテストに応募した作品が?

おいおいおいおい!
ねぇ、編集部の人たち大丈夫?疲れすぎて何かの手違いで一次通過させちゃった?でも手違いだとしてもすっごく嬉しいよ!!
ホントに!大げさではなく、今年イチ嬉しい!

気持ちを落ち着けるため、1度雑誌を閉じて深呼吸。そしてもう一度、ページをひらく。
下から5列目、確かに私がつけた私のペンネームがある。一次通過者の中に私がいる。

…………まずい、血圧あがるわ。

このまま雑誌コーナーで立ち読みを続けたら、調子が悪くなってきそうな予感がしてきた。これは危ない、早く帰ろう。
急いで見本誌を戻すと、後ろのビニールで包まれた新品を手に取り、小走りでレジへ向かった。



帰り道、頭の中がぐるぐるした。
私の処女作が誰かの目に留まった!しかも、150篇以上の中から選ばれた!
予選を通過したということは、私の作品を読んだ人は1人ではないはずだ。少なくとも2人以上の人があれを読み、「まぁ残してみようか」となったはず。しかも文学賞なら、編集部の人や、下読みができる文章のプロが読んだのではないだろうか。

自分で言うとおこがましいけど、それってけっこうすごくない?文章を生業とする人の心に爪痕を残せたって事でしょ?
ビギナーズラックってこういう事だよね。

しかし編集部も、先に連絡くらいくれても良くないか?電話が難しければ、メールだっていい。
「君の作品、予選通したから!」って、連絡くれても良いのに。
……いや、無理か。忙しい月刊誌の編集部が、そんな事をしている余裕なんてないはず。

帰宅すると、何もかもをほおり投げ、いの一番に本棚にしまった原稿を引っ張りだした。
応募したその日、手元に置く用として残したコピー原稿。応募後、もうこれ以上の誤字を見つけて落ち込みたくないので、封印しておいたのだ。

改めて読み直して、少し手が震えた。

とにかく文章が稚拙で、文がカタイことに驚く。
最初に書いた際、応募枚数の上限である10枚を超え、12枚になってしまった原稿。
それを何とか規定枚数におさまるよう、無駄な段落を切り捨てたり、文字数減らすために代名詞に差し替えてみたりと、色々と試行錯誤したものだから、文章の流れが不自然なのだ。冷静に読んでみると、突然変わる場面&書き手のテンションは乱気流の中のプロペラ機くらい不安定だった。
しかも表現がしつこく、言葉が重複しており、読み終えた頃にはこちらがぐったり。

応募前は何十回も読み直し、今の私の最善だと判断して提出した原稿。それが私の手が離れた後、改めて読み直すと、驚くほどくすんで見えた。
あぁ……ここ直したい!
後悔が次々と顔を出して、ため息がこぼれた。

あのー、編集部の方。お願いだから原稿を直させて!
こんなの審査員の目にさらしたくないよ!



翌日、家でテレビをつけると、ある女性が話をしていた。
そういえばこの方、今はコメンテーターとしてテレビに出ているが、確か始まりは記者と作家なんだよなぁ。何かの文学賞も受賞していたいたはず。

テロップに出た名前に何か引っかかるものがあった。どこかで見た名前なんだけど……。どこで見たんだっけ、本屋?
うーん、作家ねぇ。

作家⁉そうか、アレだ!

慌てて、応募原稿のコピーと一緒に取っておいた応募要項を引っ張り出す。
そこには選考委員として、その女性作家の名前があった。
し、審査員。コンテストの審査員先生だ……。

この人が私の文章を読むかもしれないのか。
かーっ!恥ずかしっ。読んでくれる人の顔を初めて見た!

普段、私はこんな風に心のままにnoteで駄文を垂れ流しておりますが、それはあくまでも互いに知らない人だから見せられる心でありまして。
ここでは、自分のみっともない感情や、情けない姿、よこしまな思考もなるべく素直に書くようにしているのですが、それは読んでくださるあなた様と私がここでしか繋がっていない関係だからこそ書けるもの。
もちろん、私の気の置けない友人の幾人かには、個人的にこのアカウントを教えていることにはいるのですが、まぁそれは、私の事をリアルでも本当によく知っていてくれる数人だけ。私の書いたものを読み「アホだねぇ~」「あなたらしいわ」と呆れながら笑ってくれるような親しい友人だけが互いの顔を知っているという関係。
他の多くの読み手の事を知らないからこそ、無責任に自分の心情を吐露できる世界があるというのを、私はnoteを書き始めて知りました。

けれでも今日、私の作品を読むかもしれない人の顔をテレビ越しにはっきりと知り、急にばつが悪くなった。この方がアレを読むのか……。
思わず頭を抱えてしまう。
恥ずかしいなぁと思う。でも処女作が予選を通過した嬉しさがそれを上回り、テレビをつけたまま自分の原稿を読んだ。そして顔をあげれば、そこには審査員であるプロの先生。

この方がこれを読んでくれるかもしれないんだぁ……、ヘヘヘッ。

恥ずかしさと嬉しさが入り交じり、ニヤニヤしながら3度も読み直してしまった。ワシは変態か。


私は少しひねくれたところがある人間なので、主流・はやりに無理に迎合する必要はないし、自分の興味があることを突き詰めている時が一番の幸せだと思っている節がある。だって自分の満足のために人生があるんだもの。
他人から褒められたところで、私の価値が高まるわけではないので、他人から認められることをあまり必要としていない。

だから逆に、多少ガツンとやられても簡単には潰れない自信もある。特に仕事中などは「常在戦場」モードなので、高田延彦ばりの気合いで働いている。まさに「出てこいや!」である。

そんな戦場モードの私の事を、理解ある上司は「ケガだけはしないでね」と苦笑いで許してくれるし、Z世代の後輩からは「その心の強さを分けてください」と頼まれたりもする。
……いや、どちらも私のプロレスラーのような気の強さに呆れているだけかもしれないけど。

だからという訳ではないけれど、最終発表がどんな結果でもどんとこい!という気持ちである。何せこちらは人生初応募、これで上位入賞でもしようものなら、スーパービギナーズラックで祝祭が始まってしまう。
落選ならば落選で「よく頑張った。感動した!」と心の中の小泉純一郎が励ましてくれるはず。
好きなことを我流で好き勝手にやって、爪痕を残せるかもしれないなんて、こんなに嬉しくて幸せなことがあっていいのか。

まぁ、今のうちに自分が幸せであると思い込ませてくださいよ。この幸せも、どうせ最終発表の頃には消えてしまうものなので。ほら、人生ってしょせん自己満足に過ぎないですから。

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