見巧者
4年ほど前のことです。
図書館で借りた馬場あき子さんの歌集『月華の節』を読んでいて、ある連作短歌にぎゅっと心をつかまれました。
「秋風帖」と題するその一連二十三首の前書きには、〈昭和六十年九月十一日、羽沢ガーデンに於いて趙名人に小林十段挑戦す。縁あつて名人戦を観る〉とあります。つまり、馬場さんが囲碁名人戦に立ち会ってうまれた作品です。
印象にのこる歌をいくつかあげます。
馬場さんがここに掬い上げた碁の世界には、勝ち負けにとどまらぬ深い味わいと凄みがあって、読むたびに心を打たれます。
この作品に出会ったころのわたしは碁に関心をもっていなかったのですが、馬場さんの歌をきっかけに知りたいとおもうようになりました。
ところで、馬場さんご自身はあまり碁を打たないそうですね。囲碁雑誌の編集部から段位を問われて「観戦するだけで打てません」と答えたこともあるとか(歌誌『かりん』連載「さくやこの花 〈29〉」より)。
芸術やスポーツ、どんな世界にも自ら体験せずとも真剣に見つめつづけて見巧者になる人がいる。
だれもが見巧者になれるわけではありませんが、先の短歌にふれて以来、わたしも少しずつ碁を観るようになりました。テレビ棋戦などをときおり観たりする程度ですけれど。勉強不足でわからないことだらけ。けれどもおもしろい。
碁を題材にした短歌や文章も、見つけるとつい手にとってしまいます。
数年前、馬場さん執筆の名人戦観戦記が新聞に掲載されているのに気づいたときは、うれしさのあまり思わず声をあげました。
何度読んでも濃密な文章と対局室の写真に写る観戦中の馬場さんの凛とした佇まいに感じ入ります。
こんなふうに、いくつになっても夢中になれるものを真っ直ぐに見つめていられたら。
この日の名人戦を馬場さんは短歌に詠んでいます。
「椿山抄」と題する一連三十首は、碁を観るようになってから知った気持ちとあいまって深く胸にささりました。
なかでもお気に入りの一首を最後に。