泉鏡花の小説『歌行燈』を読みかえしています。
もう何度読んだでしょうか。小説オールタイムベストをあげよといわれたら、真っ先に思い浮かぶ作品のひとつです。
『歌行燈』が発表されたのは明治43年、いまから100年以上前ですが、鏡花が紡いだことばは時の試練に耐え、今も変わらずいきいきと呼吸しています。すこしも飽きることはない。これからもきっとそうでしょう。
この作品の魅力を挙げればきりがないのですが、たとえば冒頭部分を読むと、流れるような語り口にのせられて、現実からスーッと引き離されてゆくような心地がします。
――ときは「霜月十日あまりの初夜」、『東海道中膝栗毛』の引用にはじまり物語の舞台となる桑名にふたりの老客が現れる。歯切れ良いことばのリズムに合わせて、桑名の夜の風景が映画のワンシーンのように浮かびあがる。描写のうまさに毎回唸らされます。
『歌行燈』が発表される前の年の11月、鏡花は文芸革新会の人たちと連れ立って名古屋・伊勢を旅して物語の舞台となる桑名を訪れています。桑名に到着したのは11月21日の夜、つまり『歌行燈』冒頭に登場する老客二人と同じく霜月の晩に桑名に降り立った鏡花がいた。
その事実がことばに奥行きを与えているのでしょう。霜月のころになると、誘われるように『歌行燈』を読んでしまいます。今年も、やはりそうでした。
ストーリー全体としては能を題材にしており、作品構成にも能の影響がうかがえます。さらに、一つひとつの語りにも能の詞章を思わせる趣があって、能鑑賞に似た、深く潜ってゆくような感覚も得られます。
そんな読書体験は何ものにも代えがたくて、何度も読み返す。
谷崎潤一郎は、鏡花とその作品についてこう述べています。
中島敦はこう述べています。
どちらの文章も、決して言い過ぎではないとおもいます。
ことしの霜月は、『歌行燈』を読み返すだけでなく、鏡花の代表作のひとつ『天守物語』をシネマ歌舞伎で観ました。
シネマ歌舞伎は、歌舞伎公演を高性能カメラで撮影して劇場スクリーンで上映する試みです。2023年11月4日の泉鏡花生誕 150 周年を記念して、今秋は、坂東玉三郎さん主演の4作品『天守物語』『海神別荘』『高野聖』『日本橋』が全国で上映されました。
『天守物語』は読んでいましたが、歌舞伎として接してあらためて感じ入ったのは、鏡花作品のせりふの心地よさ。今回のシネマ歌舞伎上映にあたって、玉三郎さんはインタビューでこう述べています。
なるほど、たしかに音楽的です。
鏡花自身は、文章と音の関係についてこんな風に記しています。
三味線の調弦をたとえに出すあたりは、いかにも鏡花らしい。
シネマ歌舞伎で『天守物語』を鑑賞して、尽きることのない鏡花作品の魅力にあらためて惹きつけられています。この冬は、生誕150年にかこつけて、普遍性と可能性に満ちた鏡花の世界にゆっくり浸りたい。
能楽愛好者としては、いわゆる〈能楽もの〉をひとつずつ読みなおすのはどうだろうと閃いたのですが、ならべてみるとこんなにたくさん……!
――年内にはとても読み切れそうにありませんね。来年の目標にしようかしら。