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「裏」タケミナカタ神話「裏」⑥鹿勒 記紀の暗号解読 竹内宿祢=タケミナカタ

▼はじめに

記紀および関連伝承・書物は暗号で時系列や時代は大して意味を持たないと下記の記事で考えました。

今回は本格的にその暗号解読に挑んでみようと思います。おそらく納得できない方の方が多いと思いますし、その場合は頭のおかしい奴が何か言っている、と思ってください。詳しい証拠は気が乗れば記述していくので現時点では大まかな概要を載せます。

▼高天原のエピソード=高志国の侵略

高志国の女王で翡翠の管理者・沼河比売(ぬなかわひめ)

彼女は八岐大蛇を祀る巫女で櫛名田比売(くしなだひめ)になります。また天照大神(あまてらす)でもあります。素戔嗚命(すさのお)がやってきた高天原とは(少なくとも記紀の暗号上は)高志国になります。このとき大国主(大己貴命(おおなむち))と素戔嗚命のエピソードが重なります。ようするに、大国主の高志への侵略エピソードが素戔嗚が高天原で暴れまわったエピソードです。そこに、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨のエピソードも重なります。これは瓊瓊杵尊の降臨と高天原の岩戸隠のエピソードの登場人物が似通っている点からです。

つまり、素戔嗚(瓊瓊杵尊、大己貴命)が高志国へ降臨し、八岐大蛇を祭祀する女王(沼河姫、櫛名田比売、天照)に婚姻を迫る。このとき天機織女(あまのはたおりめ)が亡くなり天照が岩戸に籠るのですが、これは沼河姫が大国主の求婚に対して部屋から出ていかず、家臣を殺さないでと懇願したことに繋がります。機織女は栲幡千千姫命(たくはたちぢひめ)で実際は天照その人と考えます。つまり、素戔嗚が高志を攻め、その中で天照の称号を持つ姫が亡くなり、次の天照が立てられ素戔嗚と婚姻した、ということと考えます。故にここでの天照は二柱でありながら一柱です。この一連の策略を考案したのが瓊瓊杵尊に付き従った神々、ということになります。栲幡千千姫命は思兼命(おもいかね)の妹で、天忍穂耳命(あめのおしほみみ)の妻です。糸魚川市の伝承では沼河姫には元々前夫に松本の豪族がいたが、大国主との戦争で亡くなったとあります。この松本の豪族が天忍穂耳命、ということになります。

多分糸魚川市で撮った写

そして、この高志国の女王は磐長姫(いわながひめ)とします。瓊瓊杵尊に嫁いだが容姿が美しくなく、実家に帰される。これは沼河姫の容姿が実際は美しくなかった、という伝承や高志国に逃げ帰る伝承と重なります。このとき、「磐のように長く反映するために磐長姫を瓊瓊杵尊の嫁に出したのに、それをいらないということですね?」、という父、大山祇命(おおやまつみ)の言葉は不老長寿の象徴の石、翡翠と重なるでしょう。

そうしたとき、磐長姫の妹、木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)はだれにあたるかといえば、神大市比売(かむおおいちひめ)になるでしょうか。

▼大歳と饒速日について

素戔嗚と神大市姫命との子に大歳神(おおとしがみ)と倉稲御魂(うかのみたま)がいます。大歳神は香用比売(かぐよひめ)と婚姻し大香具山戸臣神と御年神(みとしのかみ)を生んでいます。ここで重要なのが大香具山戸臣神。つまり、饒速日命と天道日女の子、高倉下(天香久山命(あめのかぐやま))であります。故に饒速日=大歳神、と簡単にしたいところで実際神話好きの方にもそう思われていますが、饒速日の父は天忍穂耳命で松本の豪族になるとしました。その松本の豪族を殺害したのは素戔嗚=大己貴命です。故にこれは忍穂耳への系譜仮冒で本来、大歳と饒速日は別の神であったものの系譜上同一とします。これは饒速日の子に宇摩志麻遅命(うましまじ)がいることから生じます。

▼竹内宿祢という称号の乗っ取り

饒速日は天道日女(香用姫)とは別に三炊屋姫(みかしきやひめ)という妻がいます。この姫は長脛彦(ながすねひこ)の妹で、子が宇摩志麻遅命です。

饒速日の系図に非常に似通った系図が存在します。それは古事記における孝元天皇の御子、彦太忍信命のものです。

この系図の重なりから見えてくるものがいくつかありますが、一番に高倉下=竹内宿祢となることが特筆する点でしょう。竹内宿祢が子の葛城襲津彦と三韓征伐へ向かったエピソードと素戔嗚が子の五十猛と共に新羅へ降り立ち紀伊国まで戻ってきたこと。高倉下が神武東征の際に紀伊の熊野で一行と出会ったこと、これらが同心円上にあります。

竹内宿祢と味内宿祢(うましうちすくね(うましまじ))は異母兄弟になるが次にようなエピソードがあります。

第15代応神天皇紀応神天皇7年9月条高麗人・百済人・任那人・新羅人らが来朝した際に、応神天皇の命でそれら韓人を率いて韓人池を造った。
応神天皇9年4月条天皇の命で武内宿禰が筑紫へ百姓の監察に遣わされた際、弟の甘美内宿禰が兄を廃そうとして天皇に讒言した。天皇は武内宿禰を殺すため使いを出したが、真根子壱伎直祖)が身代わりとなって殺された。武内宿禰は朝廷に至って天皇に弁明すると、武内宿禰と甘美内宿禰は探湯で戦うこととなったが、武内宿禰が勝った

武内宿禰 - Wikipedia

深湯(盟神探湯 くかたち)とは発言者の内容が嘘か本当かを測定するもので、熱湯に手を突っ込み真実を述べているものは火傷しない、というものです、ここでの味内宿祢の計画は実際には成功し、竹内宿祢に入れ替わっていると考えます。深湯(クカタチ)についての別の段での記述があります。

允恭天皇4年9月条には、上下の秩序が乱れて、本来のを失ったり、わざと高いを名乗る者も出てきたため、それを正すために甘樫丘甘樫坐神社)で盟神探湯(くかたち)を行ったという記事がある。各自が沐浴斎戒し、木綿の襷をつけて探湯を行い、正しく姓を名乗っている者は何ともなく、詐りの姓を名乗っている者は皆火傷をしたので、後に続く者の中で詐っている者は恐れて先に進めなかったので、正邪がすぐにわかったとある。この条の註記には、「或いは泥を釜に入れて煮沸して、手を入れて泥を探る」という手順が書かれている。さらに「或いは斧を火の色に焼きて、掌に置く」ともある。

盟神探湯 - Wikipedia


ここに手を突っ込むのです!!

何が言いたいかというと、竹内宿祢の子孫を名乗る人物が多発しその中で嘘発見器として盟神探湯が使われる。ここで本来の竹内宿祢の一族(高倉下)が偽物とされ、偽物(味内宿祢)が本物とされた、ということです。竹内宿祢の身代わりになったという壱岐直氏の祖、真根子ですが、以前の私の記事で壱岐値氏の祖が雷大臣、中臣烏賊津で松尾神社の摂社の神職であることを述べました。

ウマシマジ=味鋤高彦根で大山咋命と同心円上の存在で雷の神格をもつこと、この雷神勢力と諏訪の風神勢力が対立関係であることも述べました。真根子は実際のところ味内宿祢の身代わりとなったと考えます。これらのことが武御雷と建御名方命の戦いです。

つまり、武御雷が氷の剣に手を変化させた→手が氷なら火傷しない(真根子を(死人)を使ったトリックか?)。
タケミナカタは手を失った→盟神探湯に失敗した。

ここで本来の蘇我氏であった高倉下(もしくはその子、天村雲)=タケミナカタが偽物として追いやられます。以下の記事で高倉下=天香香背男命、としました。

天香香背男命はタケミナカタと同一視される神ですから、きちんと繋がる形になります。

上手く成り代わったウマシマジは系譜を仮冒し大歳と饒速日が同一になるようにしたり、出雲と高志の関係が良いものであったかのような説を流布。つまり、信越を勢力下にいれていった、ということになるか、もしくはここで暗号書であるため、ループしてウマシマジ(味鋤高彦根)=素戔嗚というようにもできるかもしれません。年をとっても泣き続けて仕事をしなかった、というエピソードが重なります。

タケミナカタが本来の竹内宿祢の一族、つまり本来の蘇我氏である、という主張が諏訪からも暗に出されているように感じます。それが修補諏訪氏系図、というものの記述です。

建御名方神ー伊豆早雄命ー八縣宿祢ー建志名乃命ー武美名別命ー八重隈根命ー弟足男命ー加禰足彦命ー武沼河命ー会知速雄命ー真曽我男命ー…。

もっと言うと、クシナダヒメ=沼河姫としましたが、クシナダヒメの子は八島士奴美。先代旧事本紀では八島士奴美神の別名を大己貴命とし、粟鹿神社の書物『粟鹿大明神元記』では蘇我能由夜麻奴斯弥那佐牟留比古夜斯麻斯奴(そがのゆやまぬしみなさむるひこやしましぬ)と記述されています。ここの大己貴はウマシマジによる系譜仮冒と考えて本来は天忍穂耳命で本来の蘇我は元から信越勢、ということになります。

▼終りに

本当はもっと進めたかったのですが疲れたのでここで終わりにします。
皆さんもぜひ記紀の暗号を解いてみてください。
読んでくださりありがとうございました。

このシリーズは下記から。

作業の様子。早く終わらせて解放されたい。


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