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「表」タケミナカタ神話「表」~沼河比売と大国主~



はじめに


諏訪大社の御祭神タケミナカタの神話を深掘りしていく本シリーズ。
今回はタケミナカタの父母にフォーカスを当てていきます。

伝承や神話を通して見えてくるタケミナカタの複雑な家庭環境。
彼が何を思いながら育ったのか、そんなことに思いを馳せながらご覧になってほしいです。

タケミナカタ

※この記事は「表」で下記の続きにあたるものになります。
この記事単体でわかるように書いていこうとは思います。
「表」は考察などを挟むことを極力避けて、あくまで伝承や神話の持つメッセージ性を堪能しようという試みになります。

下記のマガジンは「裏」にあたるものです。
こちらでは考察を行っていきます。


前置きはこのくらいにして本題に入りましょう。

沼河姫について

沼河比売(ぬなかわひめ、奴奈川姫)という神様をご存じでしょうか?

 日本書紀には登場しないものの古事記、先代旧事本紀、出雲国風土記に登場するお姫様で、出雲の王である大国主(おおくにぬし)の妻で、諏訪大社の御祭神である建御名方(たけみなかた)の母とされます。
 沼河姫は高志国(越国、こしこく)の女王とされます。
 これは現在でいうと、福井、石川、富山、新潟あたりに位置する国です。
 このうち新潟県の糸魚川市は翡翠の産地になります。
糸魚川市の翡翠は非常に価値あるものとされ、縄文時代からすでに加工の痕跡があり、日本中で交易に使われただけでなく、朝鮮半島でも糸魚川産の翡翠が発見され魏との交易でも使われたという説もあります。
 こうした翡翠以外にも非常に貴重な宝玉がとれることから古代の高志国の影響力は絶大で、その女王である沼河姫の影響力も大きいものであったろうと考えられているのです。

大国主の沼河姫への求婚エピソード

 以下は一般に広まっている大国主が沼河姫にプロポーズするエピソードになります。

 大国主は高志国に大変美しいお姫様がいると聞き、ぜひとも結婚したいと沼河姫のもとを訪れました。
 それだのに部屋から出てこない沼河姫に対して大国主は熱烈にせがみます。
「私はあなたが恋しくて仕方ない」
「いてもたってもいられずこの扉をこじ開けたいほどだ」
「どうか姿を見せてはくれないか」

 それに対して沼河姫はちょっとエロい感じに誘惑しつつも、「明日になればあなたのものとなっていましょう」などと焦らすのです。

そんな微笑ましい問答の末、翌日二人はめでたく結ばれるのでした。

大国主

大国主の高志国への侵略エピソード

上記のような解釈が通説としてまかり通っているのですが、一度書き下し文を載せますので、大変だとは思いますがご自身で解釈しなおしてみてください。八千矛神命とは大国主の別名です。

大国主の発言
「八千矛神命は 八洲国妻求ぎかねて 遠遠し 高志の国に 賢し女を 有りと聞かして 美し女を 有りと聞こして さ婚ひに あり立たし 婚ひに ありか呼ばせ 太刀が緒も 未だ解かずて 襲をも 未だ解かねば 乙女をとめの寝なすや 板戸を押そぶらひ 吾が立たせれば引こづらひ 吾が立たせれば青山に 鵺は鳴きぬ 狭野つ鳥 雉子は響む 庭つ鳥 鶏は鳴く うれたくも鳴くなる鳥か この鳥も打ち止めこせね いしたふや 天馳せ遣ひ 事の語り外面此をば」

沼河姫の発言
「八千矛の 神の命 萎草の 女にしあれば 吾が心 浦洲の鳥ぞ 今こそば 吾鳥にあらめ 後のちは 汝鳥にあらむを 命は な殺せ給ひそ いしたふや 天馳せ使づかひ 事の語り言も 此をば
 青山に 日が隠らば 射干玉の 夜は出でなむ 朝日の 笑み栄え来て 栲綱の 白き腕 沫雪の 若やる胸を 素手抱 手抱きまながり 真玉手玉手 差し枕き 股長に 寝は寝さむを 奇に 汝恋ひしきし 八千矛の 神の命 事の語り言も 此をば」

どうでしょうか?
捉え方は人それぞれ、という前提の上で、
私にはこの物語が大国主が高志国に侵略ににやってきて、女王の沼河姫に無理矢理に婚姻を申し付け、出てこなければ家臣(鳥)たちを殺すぞ、と脅しているように見えるのです。
それに対して沼河姫は「あなたの妻になるから家臣たちを殺さないで」と説得しているように見えるのです。

出雲という国を大きくするという理想のためには翡翠の管理者である沼河姫との婚姻が非常に重要なものと考えたのでしょう。
たとえ無理やりにだったとしても…。

事実、沼河姫関連の伝承には以下のようなものがあります。

奴奈川姫の夫は松本の豪族であったが、大国主命との間に争を生じた。豪族は福来口で戦い、敗けて逃げ、姫川を渡り、中山峠に困り、濁川(にごりがわ)の谷に沿うて、市野々に上って来た。登り切って、後を望み見た所が、今の「覗戸(のぞきど)」である。大国主命に追いつめられ、首を斬られてしまった。後祀られたのが今の「大将軍社」である。
 豪族の駒は、尚奥へ逃げ込み、遂に石になってしまった。今根知村(現在糸魚川市根知地区)字梶山の向いの黒い絶壁に、白い馬の形となっている。その山も「駒ヶ嶽」といわれるようになった。

 市野々という村名も、元は「一奴奈」であったのが、「一布」となり、更に市野々と変わったのだという。

大国主は沼河姫の元々の夫である松本の豪族と戦争し、沼河姫を奪っているということになります。

沼河姫のその後

大国主の築いた出雲国。
この国は日本海沿岸部の交易によって成立する国でした。
出雲を出発した船は北九州から朝鮮半島に交易品を運び、空になった船で海流に乗って出雲へ一気に戻ってくる。この時の交易品は翡翠をはじめとした高志国産の宝玉が大きな役割を担っていました。
つまり、この国の平穏や成功は沼河姫の我慢によって成り立っていた国といってもよいでしょう。

自分の夫を殺した大国主と何を思い過ごしたのでしょう?
許して愛そうとしたのでしょうか?
それでも許せなくて、愛されなくて深く傷ついたのでしょうか?
そして、大国主との子であるタケミナカタをどう思っていたのでしょうか?

それらを推し量ることはできません。
しかし、彼女は最後にはすべてを投げ出してしまいます。

以下はその伝承になります。

奴奈川姫の命は御色黒くあまり美しき方にはおはさざりき。さればにや一旦大国主命に伴はれたまひて能登の国へ渡らせたまひしかど、御仲むしましからずしてつひに再び逃げかへらせたまひ、はじめ黒姫山の麓にかくれ住まはせたまひしが、能登にます大国主命よりの御使御後を追ひて来たりしに遇(あ)はせたまひ、そこより更に姫川の岸へ出(い)でたまひ川に沿うて南し、信濃北条の下なる現称姫川原にとどまり給ふ。しかれとも使のもの更にそこにも至りたれば、姫は更にのがれて根知谷に出でたまひ、山つたひに現今の平牛山稚子ヶ池のほとりに落ちのびたまふ。使の者更に御跡に随(したが)ひたりしかども、ついに此稚子ヶ池のほとりの広き茅(かや)原の中に御姿を見失ふ。仍(より)てその茅原に火をつけ、姫の焼け出されたまふを俟(ま)ちてとらへまつらんとせり。しかれども姫はつひに再び御姿を現はしたまはずしてうせたまひぬ。仍て追従の者ども泣く泣くそのあたりに姫の御霊を祭りたてまつりしとなり。


出雲を飛び出した彼女の胸中は如何様だったでしょうか。

悲しみや絶望が占めていたのでしょうか?

あるいは、初めての「翡翠の女王」でない自分に解放感を覚えていたのかもしれない。

それともその両方のが複雑に揺れ動き、混じわっていたのかもしれません。

そして、最期の瞬間は何を想っていたのでしょう?

その狭間で


国を大きくしたいという理想を抱えて母を冷遇する父(大国主)。
苦渋を味わい、耐え続け、最後には自分のことも捨てて逃げてしまった母(沼河姫)。

タケミナカタにとって両親はどのような存在だったのでしょうか?

出雲での日々で何を感じ過ごしたのでしょう?

母を蔑ろにした国、沢山の孤独を自らに課した国。
それなのに何を思って最後まで一人きりでも国を譲ることに抵抗したのでしょうか?

タケミナカタの胸中にあったのは、
「なかったことにしたくない」
そんな思いだったのかもしれません。

父の理想、その裏にあった犠牲。
母の耐え続けた「強さ」と「弱さ」。

それらさえ、誰も戦うものがいなければ無かったことになってしまうのです。

失敗も
悲しみも
憎しみも
涙も
弱さも
残虐な事実も

何一つなかったことになどしたくなかった
そして、そのイシの強さが形となったのか

彼らの伝承は今も残っているのです。


沼河姫とタケミナカタ


最後に

あなたにはなかったことにしたい過去はありますか?

頑張って生きていればきっと

「場が迎えに来た」、「この時のためだった」

そんな経験をするはずです。
というより、そんな風に思えるように生きていたいし、あなたに生きていてほしいのです。

そんな生き方には「なかったことにしていい過去」なんて一つもないでしょう。

全ては「この時のため」に繋がっているのですから。

今からそれを探しに出かけましょう。
「この時のため」に心を育てましょう。
自分にとってのそれは他人のどれにも当てはまらないから、すごく途方もないような、考えるだけ無駄なように思えるかもしれません。

けれど、少なくとも見ようとしなければ絶対に見えはしません。


あなたの中にきっと宝石みたいな何かがあるよ


それを見つけられますように。


日本海沿岸部の交易等々に関して非常に興味深い考察をされています。今回参考にさせていただきました。

ここまで読んでいただき、どうもありがとうございました。

このシリーズは上記から。

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