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ケータイを落として思ったこと

ケータイを無くしてしまった。

特に何の不都合も無いのだが、ひとつ思ったのが、ケータイの機能でいろんなことができるがために、それがあることで面倒なことがいろいろと生じているのだということだ。


電話、メール、写真、カメラ、SNS、書類の管理、スケジュール、カレンダー、天気、メモ、買い物、調べ物…
全部できるが、ある意味では全部それをケータイ1台でやっているわけである。

それが無いと困ると言う人が現れるのももちろんだ。
それが無いと死んでしまうと言う女子高生が現れるのもわかる気がする。

確かに、何にもできないのだが、不思議となんともない。
気持ちが焦るとか、不安だとか、不便だとか…そういうのが意外と無いのである。

ストレスゆえにケータイを持ちたくないという人もいるが、手放してみるといいと思うんだ。意外とパソコンだけあればなんとか生活できるんじゃないかと思う。

FacebookもInstagramも、LINEもTwitterもできる。


でも職場とのやりとりは?と思うかな?
職場とのやりとりなんて、家に帰ってからパソコンでやればいいし、なんなら仕事中はケータイなんて邪魔でしかないだろ。
アルバイトをしていたって作業中はケータイいじれないわけだし、同じことなのである。

ほとんど家の中か電車やバスなどでの移動中もしくは休憩中でしかケータイはいじっていないのかもしれない。
それに、もしかすると移動中は本を読んでいるって人もいる。そうしたらもうほとんどケータイはいじらないだろう。


今はみんな、メールやLINEを送ればすぐにでも見られる環境にいるだろうと予測してやりとりしているかもしれないけど、そもそもメールなんて家でしか見られなかったのが普通であるし、そもそもそういったやりとりも、家でするのが当たり前なのである。
そう思っていればなんてことない。

そうやって考えてみると、別にケータイは持っていなくたっていいんじゃないかって思ったのだった。
どこかで電源を確保して、パソコンを通信させることができるならなんてことはないのだな。

なんだかそれを考えると、便利なのは常に連絡ができることと、ちょっと出かけた時の地図さえあれば大丈夫な気がする。
それってもうガラケーでよくないかって話なのだ。
10年くらい前からその機能はあったし、連絡ができて外で会う事ができれば何も不便なことはない。
僕の生活は今のところそんな気がするんだな。

ちなみに、ケータイはどうやら近くの警察署に届いているらしく、明日にでも取りに行こうかと思う。

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