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ああ、たぶん、ぼくは悔しいんだ

キラキラなものに出会う。人に出会う。それに対して私は「まぶしいな」「好きだな」と思ってきた。
美しいものが好きで、きれいなものが好きだ。だから誰かが鼻で笑うような絵空事のような綺麗なものも私は大好きだ。

最近になって、そんな人が、まっすぐ見つめられなくなっている自分に気が付く。

綺麗なものは、まっすぐに走り抜けるようにして生きている。
まるで命を、燃やすようにして。
そんな風に生きたかったはずなのに、ふと自分の手元を見た。火傷するのが怖くて力いっぱい擦ることが出来なかった、折れそこないのマッチ棒があちらこちらに散らばっている。折ることすら、出来なかった。僕は本当に臆病者だ。

夢を見る。真白の夢。遠い故郷で見た、雪と同じ白だ。

触れた若干の熱だけで溶ける雪を、私は飽きることなく見つめていた。あの頃は雪を二時間見ていようが三時間見ていようが怒られなかった。……いや、むつかしい言葉も遠回しな表現も必要がない。今だって、そう、今僕が生きている「今」だって、どんなに雪を見ていたってかまわないのだ。だから、これは言い訳だ。


美しく生きたい。美しく生きたかった。
早死にしても、寿命が縮まってもかまわないから、駆け抜けたかった。
「過去形」にするのも、きっと僕の言い訳なんだ。


美しく生きる人が、どうにも眩しくて、目に痛い。

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