君がつらいなら病気でいい
強迫性障害のつらいところは
『強迫行為をやめたいのにやめられない』
この一言に集約されると思います。
自分がおかしなことをしている自覚もやめたいという願望も常に持っています。
しかし、その想いよりも強迫行為を優先させてしまうのです。
治療ももちろん一朝一夕にはいきません。
なので両親には理解はできなくともせめて症状を知っていてほしかった。
「やりたくてやっているわけではない」
「本当はみんなの気持ちを大切にしたい」
「分かっていてもやめられなくて申し訳ない」
「治したい」
わがままな要求を強要するのではなく知ってもらうだけでよかったのです。
そしてできれば風邪を引いた時のように「つらいね。大丈夫?」と言ってほしかったのです。
なお作中の、強迫観念のきっかけとなった出来事は推定です。
「なんとなく自覚したな〜」という出来事です。
私の場合はうっすらとした自覚のあと少しずつ症状が進行していって、気が付いたらかなりしんどいところまできていました。
ちなみに本を貸してた友人にも漫画にも格別な思い入れがあったわけではありません(もちろん好きなんですけど!)
だからこそ突然「さわりたくない」となったことに驚きを隠せませんでした。
『心身ともに健康』
という慣用句があるにも関わらず、なぜか『心』の健康は軽く捉えられがちです。
「甘え」
「わがまま」
「自己責任」
他人から見ればそう見えたとしても当人がつらいのならそれは「つらい」と言うほかありません。
使い古された表現ですが、平熱36.5℃の人の37℃と35℃の人の37℃はちがうのです。
症状が改善された今、当時を振り返ると泣いてばかりいたな、と思います。
何が一番悲しかったんだろうと考えた時に
「家族が歩み寄ってくれなかった」
ことがつらかったという事実に気付きました(この考えを受け入れるのにも時間を要しました)
私は今も昔もポジティブ。
家庭も作中の通り体育会系の厳しい家ながらみんな明るく元気。
そのため自他ともにはじめは症状を受け入れられませんでした。
誤解を恐れずに言うと、「精神の病気」というもの自体に偏見と抵抗があったんですね。
こんな言い方になってしまって本当に申し訳ありません。
そのくらい「自分はならないし、こんなのは甘えだ!」と根性論に持っていくような人間だったわけです。
しかし、風邪と一緒でなるときはなるのだな、とお恥ずかしながらつらい思いをしてやっと気付くことが出来ました。
(文系なので医学的見地はないです…あと、言い方が悪くて本当に申し訳ありません…)
つらいときに誰かが味方になってくれるとそれだけで希望になります。
でもそうではないことも多いと思います。
渦中にいると理解しない周囲を恨みたくなりますが仕方ありません。
私たちが「つらい」ことを周囲は「つらくない」のですから当たり前です。
自分が経験していない「つらい」を理解するのは難しいことです。
だから自分のために、同じように何かに「つらい」人のために、今回拙いながらも漫画にしてみようと思い立ちました。
導入部分だけですが、
ひとりでがんばっている人が少しでも共感できて、
感情の捌け口になれたとしたら、こんなに嬉しいことはありません。
この漫画で言いたいことはこれにつきます。
自分の気持ちをどうか大切にしてあげてください。