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SS【愛でる】#シロクマ文芸部

お題「梅の花」で始まる物語

【愛でる】(814文字)

 「梅の花が満開らしいぞ。見に行くか」
 そう言われたけど、私は首を横に振った。毎年毎年、一眼レフのカメラを抱えて撮影に行く夫に付き合うのはウンザリだ。
 「悪いけど一人で行ってきて。私、今日は頭痛がするの」
 軽く嘘をついて断った。
 夫は「そうか」とだけ言って、さほど残念そうでもなく、いそいそとカメラの準備をして出かけて行った。お昼もいらないと言ったから、きっと夕刻まで帰ってこないだろう。

 私は清々として伸びをした。ああ、いい気持ち。肩の力が抜ける。
 いったい、毎年同じような写真を撮りたがる人は、なにを見ているのだろう。夫の様子を見ていると、花の美しさそのものを愛でているようには見えない。光の加減とか角度とか…それはもちろん『美しい写真』を撮るためなのだろうけど、その撮った写真さえも、公募に出すものを選ぶためだけに見ている気がする。

 あなたはいつ梅の花を見ているの? どの瞬間を愛しているの?

 私は台所に行き、珈琲を淹れようと豆を挽いた。
 ゴリゴリと手で挽く時の振動と音、そして立ち昇る香りが好きだ。湯を沸かし、適温を計り、挽いた豆の上へゆっくりと注いでいく。細い糸みたいな湯の流れを見ていると、心が鎮まる。
 できた珈琲を持って、日当たりの良いリヴィングに戻る。シンとした、静かな日曜の朝。

 私は目を閉じて珈琲を一口飲み、梅の花を想う。
 瞼の裏にくっきりと蘇るのは、満開の枝垂れ梅だ。青空を背景に、濃淡のあるピンクの花びらが重なりあっている。

 隣には、夫ではない人が微笑んでいる。
 「梅の香りがするね…」

 ずっとずっと……ずっと昔のことだ。
 でも私は、その時の彼の顔も声も、梅の花の香りも、いつでも思い出せる。あの瞬間、私はすべての感覚で、あの人と梅の花を感じていたから。写真なんて一枚もないけれど。

 あの瞬間だけを、今でも私は愛している。

 手の中で、珈琲カップが冷めていく。
 そういえば、もうすぐ春彼岸だ。

 …あの人は彼岸の梅林で、今も梅の香を愛でているのだろうか。


おわり

© 2024/2/17 ikue.m

小牧幸助さんの『シロクマ文芸部』イベントに参加させていただきました☆

投稿は一週間ぶりです(*´ω`*)
過去作を推敲して書き直したり、読書時間を増やしたり、良い時間の過ごし方をしています☆


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