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Pluto 小さく死んで大きく生まれ変わる①

今日から冥王星が逆行を開始。今回の逆行は5月2日〜10月11日まで。水瓶座0度→山羊座27度を逆行する。

「死と再生の星」と呼ばれる冥王星は土星と並んで「恐い星」だと敬遠されがちだけれど「10天体のラスボス」として他の天体が起こせなかった変化をもたらしてくれる貴重な星でもある。

変わりたい、変えたいと思いつつも時間だけが過ぎていく、そんな人生に喝を入れるべく様々な形で冥王星は人生に殴り込みをかけて来る。それは決して心地良いとは言い難く、ある種の嵐のようでもあり、冥王星の半端ない破壊力を前に人はひれ伏すしかない・・・限界を試されるような状況をとおして冥王星は人の魂を目覚めさせる。

今日は冥王星逆行初日。水星も逆行中で過去を振り返るのにも良いタイミング。ちょうど去年の今頃に「冥王星が私自身にもたらした変化」について書いていた文章があったのでリライトしてみた。

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来年の冥王星の水瓶座入りを前に自分自身のここ数年を振り返ってみようと思う。

それは冥王星と共に自分が変容していったプロセスでもあるし、コロナ禍と呼ばれる時期に自分が何を考え、どう生きたかということの記録でもある。

それは2019年から始まった。2020年にやって来る約30年にいちどのプログレス新月を控え、仕事も暮らしも30年という大きな流れを「閉じる、仕舞う、まとめる、片付ける」時期でもあった。2019年はkirariを始めて木星が一周、12年を迎えることもあって、年初から「サバティカル・イヤー」として個人の学びを優先しようと考えていた。仕事で新しいチャレンジをするというよりも、少しペースダウンして旅もしながらゆっくり過ごそうと決めていた。

そのタイミングでまるネコ堂のゼミや合宿にも定期的に参加するようになり、言語や思索について深める時間を日常的に持つようになった。それはこれまで星を読んで来た中で自分が当たり前に使って来た「意志、意図、決断、能動、受動、運命、宿命、感情、本能、成長、成熟、変化、変容・・・」など辞書で調べれば、すぐ意味がわかるであろうひとつひとつの言葉と出会い直す時間でもあった。そして以前いちど足踏み入れた哲学の学びを再開することにもなった。最初に哲学について学びを得たのは2010年、あれから10年の時が流れていた。

リーディングは「星と言葉のアート」でもある。それぞれの持つ言葉の意味をわかったつもりになって使うのではなく、自分なりに再解釈してちゃんと自分自身の表現として伝えられるようにしたいと思い、読むこと・書くことに意識的に取り組み始めたのだった。

今思い返すと、それは言葉をとおして自分と向き合うことの始まりでもあったと思う。プログレス新月を前に何かこれまでの自分が解体されていくような心許なさを感じつつ、次の目標もまだ具体的には見えて来ない、そんなトンネルの中にいたような時期でもあった。

プログレス新月前は自分の内なる月がどんどん欠けていく。それは月明かりが日に日に陰り、暗闇の中を手探りで進んでいくような不安を感じる時期でもある。これまでやって来たことに以前ほど魅力を感じなくなり、それに伴って興味や関心、人間関係も変化する。10代後半に人生最初のプログレス新月を体験した当時のことも思い出したりしながら、新月を迎え再び月が満ち始めるまでの時間をどう過ごそうか、いろいろ試行錯誤していた。

まだこの頃(2019年)はパンデミックの前で海外へもよく出かけていた。2020年にやって来るプログレス新月を台湾で迎え、再び環島(台湾一周)するのもいいな~と呑気に考えていた。まさか木土冥のトリプルコンジャンクション、20年にいちどの木土のグレートコンジャンクションがコロナ禍なんて事態に結びつくとは思いもしなかった。大きな時代の転換期に差し掛かっていることは星の動きからも察することはできたけれど、こんな大事になるとは。

世界規模のパンデミックの影響で2020年の夏至に台湾の嘉義で観測する予定だった金環日食も見ることが叶わなかった。普段から日食は見ないと決めていて星を読むことを仕事にしてからも見ることはなかったけれど、プログレス新月を迎え、今までやったことないことにチャレンジしたいという気持ちもあり、台湾で観測できる金環日食なんて二度とないチャンスだと一生にいちどの金環日食観測をとても
楽しみにしていた。

そんな自分の期待とは裏腹にコロナウイルスの感染地域は広がりを見せ、事態は日を追うごとに深刻化し、台湾への渡航どころではなくなってしまった2020年の
春。ちょうどこの頃、家族が大病をして長期入院することに。世界が閉鎖的な空気に包まれていく中での入院、闘病だった。入院当初はまだ家族の面会が許されていた。あと数ヶ月ずれていたら一切面会もなく孤独な入院生活になっただろうと思うと、本人にとっても家族である自分にとっても不幸中の幸いだった。

この家族の闘病・入院もその後の自分の生き方を大きく変えるきっかけのひとつになった。闘病を間近で見ていて自分自身も改めて健康のありがたみを実感し、この出来事をとおして家族とのつながりも変化した。

仕事もほぼオンラインに変わり、家族の入院生活のサポートなど一気に暮らしが内向きになっていった2020年の春から夏。友人たちとのやりとりや自分の学びに関することも全てがオンライン化され、新しい状況に心も身体も否応なく巻き込まれていった。それでも時間を見つけて一人で散歩したり、画面越しに久しぶりの友人と再会したり、外食ができなくなり毎食自炊することで料理のレパートリーが増えたり、それなりに日常を楽しむ工夫を重ねていた。

ネットで観る映画やドラマも満喫していた。家にいながら世界中の映画が楽しめるなんて!レンタルビデオ時代を知っている自分にとってはネットの動画配信は便利以外の何者でもなく、こんな時代がやって来るなんて10代の自分が知ったらビックリするだろうな~と思った。このとき観た映画やドラマは渡航が一切できなくなった自分にとって生きた語学の教材としてとても役に立っていたし、それを言い訳?にして1日に何話も連続して観てしまうこともあった。

世界中の国々が次々に国境を封鎖する状況は旅を日常としていた自分の仕事や暮らしを根本から変えていった。それはトランシットの冥王星がネイタルの太陽と月にハードアスペクトを組みつつあることの表れでもあった。

2021年~2022年にかけて、トランシットの冥王星が自分のネイタルの太陽にスクエアを組み、その後、今度はネイタルの月とセミスクエアを形成。星が読める人なら察してもらえるのではないかと思うけれど、これがなかなか手強かった。あらかじめ自分でチャートを読み、ずいぶん前からわかっていたことではあったとしても実際それを体験するのとは全然わけが違う。

冥王星が射手座から山羊座へ移動した2008年頃から本格的にリーディングの依頼を受けるようになり、仕事として星を読んで来た。当時は山羊座の初期度数に太陽がある方にお会いする機会も多かった。ネイタルの太陽にトランシットの冥王星がコンジャンクションするという人生の一大事を体験されている方々とお話しする中で冥王星の激しさ、容赦ない力、人生の大嵐を目の当たりにして、どうお声がけすればよいのだろうと悩むこともあった。当時30代半ばだった自分はまだまだひ弱で人間的な器も小さく頼りないものだった。足りない経験を補うように数々の文献を読み、知識を積み上げていった。今もこの時期に勉強したことが自分を支えている。

あれから10年以上経って、ついに自分にもその番がやって来た。この間に星を通してたくさんの人との出会いがあり、様々な形で星の学びを深めて来たけれど、いざその本番が始まると冥王星の破壊力の凄さに改めて驚くことになった。

さすがラスボス・冥王星・・・次々とブルトーザーのように有無を言わせず、どんどん片っ端から自分が築き上げて来たこれまでの価値観、生き方をなぎ倒してゆく。自分の信念体系をゴソッと丸ごとひっくり返し、書き換えていくような日々。それは自分の心の見たくなかった部分を見せられることの連続で「あんな自分も、こんな自分もいたのか!」とその闇の深さにげっそりすることも多々あった。

つまらないプライドや他者との比較から生まれる劣等感に押しつぶされそうになったり、幼少期の心の傷が夢でも再現され、悪夢にうなされることもあった。

それでも今回の人生でライツ(太陽・月)がトランシット冥王星のハードアスペクトに見舞われるのは今後の人生ではもうないかもと腹を括り、とことんジタバタしてみよう、やれることは全部やるっ!と心に決めた。(十分長生きしたら出生の月とトランシット冥王星のコンジャンクションを体験するけれど、それこそ本当に死を迎える時期になるかもしれない・・・)

この数年、冥王星がもたらす荒波にもまれながらも毎日コツコツと心の変化を書き続け、小さな足跡を残して来た。瞑想をし内観することで自分の心の暗闇から逃げ出さない強さも養っていった。ホメオパシーの助けも借りて心身の根本からの改善にも取り組んだ。それらがようやく少しずつ実を結び始めたのを感じられるようになって来た。

死と再生の星・冥王星。
その名の通り、生きながら小さな死を迎えた、今はそんな感じがしている。

どんな苦しみも痛みもそこに留まり続けることはなく毎瞬変化し続ける心と身体を通過していくものでしかない。そして、その波に飲み込まれることなく心を平静に保ち、移りゆく様を観察し続けること。そのプロセスから気づきを得て日常に戻り、実践していくこと。言葉にすると簡単なように思えるけれど、これを頭だけでなく身体で体感し理解するには時間がかかる。自分の場合は主に「書くこと・読むこと」という言語とのつながりを通して、日々の自分の変化を観察していった。

この間に文章面談を続け、表現の仕方や文体を変えてみるということにも取り組んだ。文体というのはその名の通り、文の体であり、自分の言葉や表現が持つ体質そのものでもある。それらを変化させていくことは実際の肉体を変えること(例えば、減量や体質改善など)と同じくある一定の時間がかかる。そして根本からの改善を望むなら、これまでやって来た対処療法的なやり方を手放し自分自身と向き合うことも求められる。それは自分に忍耐強くあることを学ぶことでもあった。

冥王星の洗礼を受け、日々のいろんな場面において良い意味で粘れるようになった。以前ならとっくに諦めたり投げ出したりしていたことも、きちんと自分の手で掴んでおく底力のようなものができて来た。そうしているうちにコツコツ地味に書くことをとおして自分の文体のみならず暮らしや生き方も変化していった。

それでも今もまだ言葉にできないこと、したくないこと、言葉にしたいけど思うように表現できないこと、未完のままで放置された数々の言葉が自分の心の中にある。それらがいつか形になる日を楽しみに書き続けていきたい。

~ 注釈 ~

まるネコ堂
言葉の場所、まるネコ堂は文章面談、哲学書を読むゼミや読書会、まるネコ堂芸術祭などいろんな形でこの数年の自分の歩みに大きな影響を与えている場所。

プログレス新月
セカンダリー・プログレッション(Sec.Prog)1日1年法における個人の新月。約30年にいちど起きる。1日1年法は生まれてから20日目のチャートがその人の20年目の人生を表すという考え方がベースになっている。

アスペクト
チャート上のふたつの天体が取る中心角度。その角度によってハードとイージーの2つの分類があるが一般的にはハードが困難をもたらすとされ、イージーは調和的に作用するとされる。これまでチャートを読んできた感触でいうとハードには様々な形で人を刺激し成長を促す役割が与えられているので単純に凶角と見做すことはできない。またイージーも甘えや依存につながることもあり幸運とはいえないケースもある。3つや4つの天体で構成される複合アスペクトもある。

トランシット
現在の天体の配置。経過図。

ネイタルチャート
生まれた日、出生時間、出生場所から導き出す出生図。

 スクエア
チャート上のふたつの天体の取る中心角度が90度。ハードアスペクトに分類され、内的葛藤、焦りなどをもたらすといわれる。周囲にも比較的わかりやすい形で表現されることも多く、本人も自覚的になりやすい。挑戦と挫折を繰り返す中で自分への理解が深まり、内面の成熟が促される。

セミスクエア
チャート上のふたつの天体の取る中心角度が45度。スクエアの与える葛藤がより自分自身に向かいやすい形で表現される。人知れず悩む、自分を責めてしまうなどエネルギーが内にこもりやすい。

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