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1月6日は、小寒(2024年)&東京消防庁出初め式&佐久鯉誕生の日&日本初のケーキの宣伝が実施された日

【小寒(2024年)】

小寒(しょうかん)は季節の変わり目を表す二十四節気のひとつで、定気法にて、太陽黄経が285度のときと定義されていて、2024(令和6)年は1月6日に該当します。

中央標準時:1月6日 5時49分

小寒を過ぎた頃からは寒の入りとも呼ばれ、寒の入りを過ぎた辺りに寒中見舞いを出すのが慣例です。


【東京消防庁出初め式】

年の初めに、東京消防庁の消防署員たちが、消防動作の型などを演習・披露する出初式(でぞめしき)は、例年1月6日に行われています。

元は江戸時代のとある正月6日に、旗本が率いる定火消たちが上野東照宮で1年の働きを誓ったとの記録が残っていて、これが出初式のはじまりされています。

当時は、平屋などの木造住宅が密接して建っていたことから火事も多く、定火消や町火消などの活躍はとても重要で、人気もありました。

今日行われている東京消防庁出初め式も、消火活動、救急演技、消防機械部隊分列行進、木遣り行進、梯子乗り、東京消防庁音楽隊、などなどの迫力ある演習は人気があり、例年たくさんの観客が行事を見守っています。

また、出初式は全国各地の消防署でも行われ、地域によって、その土地の特徴が活かされた一大イベント行事です。


【佐久鯉誕生の日】

1746(延享3)年1月6日、信州佐久の篠澤佐吾衛門包道(ささざわさごえもんかねみち)が、三重・伊勢神宮の神主に鯉料理を献上したとの記録が残されていて、この記録が「佐久鯉」の確認出来る最古の記録とされていることから、篠澤佐吾衛門包道の子孫にあたり、老舗旅館「佐久ホテル」の社長を務める篠澤明剛氏が記念日に制定しています。

佐久鯉は、長野県佐久市の気候、風土、千曲川(信濃川)、などの環境下で育った身の締まった鯉で、以前は宮内省や陸軍など、多くの官公庁ご用達だった鯉でもあり、今日でも鯉の博覧会や品評会で、日本一の鯉の称号を数多く得ています。


【日本初のケーキの宣伝が実施された日】

1879(明治12)年1月6日、東京・上野の洋菓子店風月堂が、東京日日新聞に日本初となるケーキの宣伝を行いました。

当時の東京日日新聞に掲載された広告は、
『文化は日々開けていき、すべてのものが西洋風になってきていますが、西洋菓子をつくっている人はいません。そこで当店では外国から職人を雇ってケーキをつくり、博覧会へ出品したところ大好評でした。ぜひご賞味ください。』
という内容でした。

ケーキ自体の認知度も低かった当時、西洋菓子はチョコレートなどと共に高級商品とされていました。

が、簡単なイラスト付きの新聞広告は大きな話題を呼び、話題に違わぬ味も人気となり、店は連日行列をなすほどの反響ぶりだったそうです。

同社が行ったケーキの新聞広告とその味は、日本にケーキを一気に普及させる大きな契機となったと目されています。

そして、この日は、ケーキの日として記念日のひとつに制定されています。

(以上、ネット検索より)

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