僕らは差別が大好き!

前の日記が俺にしては爽やかで正直、書いていて楽しかったし、読んでも楽しかったので、今回はつまんなくて暗いやつを。

一昔前に本田透という作家?の電波男という本が流行り、私も読んだのだ。まあ、普通に面白いし、オタク野郎、キモオタの意見表明、もっというと、ルサンチマンを、恨みを抱えながら生きざるを得ない一部の男の悲しみと生き方を書いた好著だと思う。今は多分、誰も読んでいないけど。

その中で、あまり可愛くない女性のことを左門豊作子、と呼んでいたのだ。

正直、私には衝撃だった。

女性との関わりからくるルサンチマン、恨みを抱えながら生きるオタク野郎でも外見の差別からは逃げられない。

それがはっきり出ているのだ。

逆にいうと、処女でも、童貞でも、キモオタでも、婦女子でも、セクハラオヤジでも、差別からは逃れられないし、自分の中の差別者と向き合わざるを得ない。  

けれども、

そんな事はない!私は男社会に差別されて酷い目にあってきた!だから、私には差別心はないし、ずっと被害にあってきたのだから、それを告発していきたい!

と、そんな女性もいると思う。

しかし、正直に言うと、私にはそんな女性がラジオで問題発言をした岡村隆史と全くの相似のように思うのだ。

自分が酷い目にあってきたから、酷い目に合わせた相手には何をしてもいい。自分を大切にしてくれなかった相手なんてどうでもいいし、大変な目にあってくれてもどうでもいい。自分が良ければ。

多分、ずっと、ずっと、日本はジェンダーの差異のランキングでも下位の方だし、マスコミの方々は欧米で云々と言うし、出生率は下がりぱなしだし、何人も何人も女性解放家は出てくるし、みんな自分が正義と思い込んで、叩いても人に怒られないであろう連中をぶっ叩きまくって、味方をすればカッコいいと思われる「弱者」の味方をして生きていくんだなーだと思う。

そこには、自分が差別者に、加害者に、殺人者になるのではないかもいう恐れもなく、差別という言葉は、人間である限り逃れられない宿痾および運命ではなく、自分が気持ちよく敵をぶっ叩くための鉄パイプに過ぎないのだ。

ごめん。暗くて。

次はさわやかなおはなしにします。



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