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後悔ばかり

『わたしの人生後悔ばっかりやん』
この日ほど こう強く思ったことはない。

2024  2月14日 バレンタインという
覚えやすい日に 私の母は亡くなった。

母が救急車で運ばれた
心臓は止まってるらしい。

荒々しい兄の声を電話できいた時
一緒世界が止まった。

わたし、つい数時間前、ビール飲んでるおかぁさんみたよ。

仕事の間こどもたち見といてもらって、荷物多いからマンションの下まで取りにきて、って頼んで、

いつもみたいにお父さんの愚痴を聞いてたよ。
?えっ、なにが起きてるのいま。
ってかんじ。

父に対する愚痴をいう母に、
『年とってるんやし仕方ないやん、おかぁさんが自分の楽しみみつけーや!』
と、えらそうな事を伝え、
忙しいこと+母のやや酔いモードにイライラしつつ、母を否定するような態度をとってしまった。

なんでなん。なんで今日なん。

病院についた時、
目に涙を浮かべた兄が
『もう手のほどこしようがない、お前がくるまではなんとかと思って、心臓だけは動かしてもらった状態』と言った。

もって朝まで。

ドクンドクンする自分の心臓をなんとか落ち着かせ
声をしぼりだし
『もうなにもできないんですか?』と横にいた医師に聞くと
頷いた。

なんと言ったか覚えてないけど、
たぶん 出したことのないような声をあげたあと
泣き崩れた。
そこから記憶はあまりない。

わたしはなんで今日、おかぁさんにあんなことを言ってしまったの?

なんでもっと早く帰らなかったの?

兄にかかえらるようにして
移動した先には
たくさんチューブが繋がれた母がいた。苦しそうだった。
目が開いたり閉じたりしていた。
これは意識があるのではなく、動態反射でそうなってるって聞かされた。

その状態でも私は事態がよくわからず
ずっと泣いていた、、、涙がでてるのかどうかもわからなくなっていた。

兄の家族が深夜だったが全員母に会いにきて、
最後のお別れ的なかんじになった。
わたしは 仕事から急遽帰ってきてくれた夫と
不安気だった娘2人のことをようやく思い出したようになり、

少し冷静さを取り戻した。でも 電話をできる状態ではなく、兄にお願いした。

いつ 心拍の数値が0になるのか、、、
そんな時間が数時間、、、、

気がつくと朝になっていた。

もう 止まると思った心臓。

でも、母はここから見事な強さをみせてくれる。

頸椎損傷。
意識不明重体。

その状況で10日間。
わたしたちに時間をくれた。
母からもらった1番のプレゼントだったと今なら少しは思える。
この10日間は、
生について。わたしについて。
深く向き合う時間になった。

幸せに生きるってなんなのか。

2日にいっぺんは
危篤で呼び出されたが
そのたびに
幼いころ たまにしかないと思っていた
父と、母と 兄とわたし。
4人家族。
4人だけで過ごす時間ができた。

何かを話したそうに声を出そうとする母に
兄が大きめの声で返した言葉。
『ごめんは言わんでいいからな。
おかぁさんありがとうなぁ。ありがとう。
あやまることなんてなんもない。産んでくれただけで、ほんまありがとうやで』

しっかり者で、やや気が短い兄に
いつも少し気をつかいながら生きていた母。
(あくまで娘目線)
兄のこれを聞いてめちゃくちゃ喜んだと思う。
そして
父が涙を流していることに驚いただろうし、
わたしにはごめんね、といいながら、
泣かないでしっかりしなさい、って言ってそうだった。

母は離れて暮らす自分の母に会いたがっていた。
私はそれをわかっていながらコロナなどを理由に会いに連れていかず、2023年の春に
祖母は他界してしまい、その時も後悔しまくった。

だから 温かくなったら母の故郷に行こうって約束してたのにそれも果たせぬまま。

後悔しかない。
だけど 私は母の死で大切なことに目をむけれた。
母が亡くなった日。
1人になる時間が少しできた。
母の家から自分の家へ帰る数分の道で。
私はしばらく飲んでなかった缶ビールをコンビニで買い、歩きながら飲んだ。
ビールが好きな母。
これしか楽しみはないっていつも言ってた母。

おかぁさん 乾杯、
そう思いながら、涙ながしながら。

もっと、いろんなとこに一緒に行きたかったし
娘の成人式にも一緒に行きたかった。
母の故郷や温泉、ユニバにだって一緒に行きたかった。

私の還暦を祝って欲しかった。
私はこどもの頃寂しかったけど
今はおかぁさんと一緒にいる時間増えて嬉しいって伝えたかった。

その時思った。
こんなに悲しいってことは
私は母を愛してるし、わたしもめちゃくちゃ愛されてたんやな。
母のために家族みんな色々やって
母も愛されてるんやな。

みんな愛されてるのに。
自分が自分愛せてなくて気がついてないんやな。

誰かを幸せにするなんて、無理なんよ。
できるとしたら
幸せな自分を見せること、それが大切なひとを
幸せにするんやわ!

なんかわからんけどそんな気持ちが湧き上がった。

母からの最高のギフト。
わたしはこの先このギフトを大事に生きていく
そう決めた。

もう心臓マッサージはしないと決めてからも
止まった心臓を自力で何度も繋いだ母。

最後の母からのプレゼント🎁

それを大切にして
私はわたしらしく。

これからも生きていく。









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