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昔のテレビ

今のテレビはコンセントを差し込むだけで電気代の無駄と思うくらいに、観たい番組が少ない。

ニュースはウソと歪曲だらけ、どう見ても学芸会レベルの歌手が出る口パク当たり前の歌番組、何を伝えたいのか分からないワイドショー。

歳を重ねて、未知への興味関心が薄らいだせいはあるだろうけど、わざわざ人生の残り時間を使う価値を感じない番組が9割以上と思う。

別に政治や経済を扱うクソ真面目な番組ばかり望んでいる訳ではない。政治や経済を扱う番組は今もあるが前提がウソだらけで観る意味がない。いっそのこと、政治お笑い番組として放映するなら少しくらい観るかもしれないけど。

そういう意味では馬鹿馬鹿しいことを真面目にやる昔の番組は面白かった。中でも「ラブアタック」は秀逸な番組だった。

関西色がかなり色濃いが実は全国ネットだったので50代より上には馴染みがあるかもしれない。

ヒロインのかぐや姫をアタッカーの男性が射止めることが目標の実にシンプルな構成なのだが、中身が実に濃ゆいし、良い意味で馬鹿馬鹿しい。

かぐや姫を射止めるために、何故か丸太切りをしたり、顔に洗濯バサミを無数に付けたり、ディナーを早食いする。せっかくホテルの名だたるシェフに作らせる意味は皆無なのにわざわざコースの説明までさせる手の込み方は芸が細かい。

小学生だったワシでさえ、あまりの馬鹿馬鹿しさに腹を抱えて笑ったものだ。

挙句に、せっかく競争で勝ち残ったアタッカーが、かぐや姫に振られてしまうシーンは、ある意味お約束の展開でもあった。

思い返してみると、愉快な番組ではあったが、誰かを傷つけてしまう笑いでもなかった気がする。もちろんアタッカーの惨めな姿は笑えるのだが、だからといってアタッカーを心底馬鹿にしている訳ではないし、せいぜい「振られろ」と逆エールを送るのが関の山。アタッカーも振られて傷つくくらいなら最初から応募などしない。

大した予算を費やした番組でもなかった気がする。強いて言えば、司会のノック、和田アキ子、上岡龍太郎のギャラは掛かっていたかもしれないが、まだ皆若くて、そこまで高いものでもなかったのではないか。

時々、応募者不足だったのか、かぐや姫のレベルに疑問の時もあって、アタッカーが真剣に頑張ったのかは定かではない。

今なら絶対にボツ企画だろう。多分、女性をかぐや姫みたく扱って良いのか…とか、アタッカーの人権が…とかクレームは来るに違いない。

ずいぶんと幼稚な世の中になったと思う。ネットにはゴロゴロと無修正のエロ動画、猟奇的な殺戮動画が転がっているのに「清く正しく美しく」なる砂上の楼閣だけが市民権を持って闊歩するのはいかがなものだろうか。

残念ながら、世界はそこまで清らかではない。知らない子どもがいても遅かれ早かれ身をもって知ることになる。

ダメだと教えるなら具体的にダメなモノを見せて、何故ダメなのかを教えないと。ダメなモノは最初から世の中に存在しない前提で接するならウソを教えることになる。

そこは正直に現実を伝えないといけない。

世の中には猟奇的な人もいれば、人を騙して喰っている人もいるし、弱い人を理不尽に殺めて反省すらしない人もいるのだと。だから詐欺や暴力はダメなのだと「自分のこと」として理解ができる。

でも、報いを求めずに接してくれる心ある人もいれば、自分の国のために労を厭わずに汗をかいてくれる人もいる。憎まれることを恐れずに叱ってくれる人もいることを同時に教えてあげないと。

世の中は無菌室ではない。世の中を拭き取る便利な除菌ペーパーなどありはしない。

ラブアタックくらいの番組ができない幼稚さは、まさにお花畑が脳に広がっているのではないか。

光明もある。巷のSNSなどの発信を見る限りは、表現こそ違えど現実の危うさを分かっている人は少なくない。

ただ、智の二極化はもっと進んでいくのだろうな。これがお花畑対リアリストの分断につながりそうな予感はあるけれど。

限られた人にだけでも、自分の想いや考えを伝えて、少しでも考えるキッカケにするくらいしかできないかもしれない。