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オトナ

恥ずかしい話、50歳を過ぎた自分がいかにガキっぽいなぁと思うことが増えてきている。

実年齢と逆行するのは肉体だけであってほしいのに、精神が逆行するのは支離滅裂になってしまう。

子ども時代に本来ならワガママを言う時期に言わない良い子を演じる…いや演じざるを得ない環境だったためか、人として成熟する筈の40歳台からこの傾向が顕著になってきた。最近では娘たちからも幼児性を揶揄される始末。君らを幼児から大きくしたのはワシやないか…。

ただ、オトナになるってどういうことなのかは実はハッキリとは分からない。

単純に性行為を済ませたということでもないし、表面的な調和を保つためだけに人に迎合することでもないような気がする。

世の中の矛盾を知って飲み込めるようになるにはなっていない。だから自称ガキなのだ。

スマートに物腰柔らかく対話するけれど、自分の考えは曲げていないのがオトナなのかなぁと憧れを込めて思っている。ワシには無理だ。怒るとウイークエンダーの桂朝丸になる(今のざこばさんね)。

多分だけど「認知的不協和」に強いことがオトナの条件なのかもしれない。

【意味】認知的不協和(cognitive dissonance)とは、①人間が自分の中にふたつの相反する認知と、②その認知によって不快感を感じることを意味する社会心理学の用語です。(リベラルアーツガイドより引用)

不適切な例だが、分かりやすく言えば、あわよくば若くて綺麗な女性と触れ合いたい…けれど、不貞行為はしたくない…そんなところか。

ワシの認識が間違いでないなら、認知的不協和には子どもの頃から日常的に出くわしている。

カネはない。けれどあのプラモが欲しい…なんて場面はしょっちゅうあった。

それを合法的に解決する方法は、1カネを貯めて買う 2親や買ってくれそうな親戚を籠絡する 3諦める 4欲しいと思ったこと自体を忘れる のいずれかでは。

もちろん、非合法を含めれば、5親のカネをくすねる 6他人のカネを盗む 7店からかっぱらう(いわゆる万引き)もある。

5から7は当然リスクが伴う。リスクを冒して発覚してしまうのも子どもならよくある話。ただ、5から7は普通に大人もやってしまう人がいる。笑えない話だが。

大概は3から4に移行するパターンで終わる。流行りのものが欲しくなっても買えずに、後から振り返ってみて買わなくて良かったみたいなパターンならなおよし。

ただ、タチの悪いパターンがある。子どもの頃にしたいと思いつつ、諦めて心の奥にしまい込んでいたことを思い出してしまうパターンだ。

簡単な例えなら、子どもの頃はカネがなくて数本しか買えなかったうまい棒が今なら30本まとめて買える…みたいな話。

腹が減ってうまい棒をアホほど食べたいと思ったことが有れば(そうはいないか)、分かりやすいと思う。

うまい棒なら傷は浅くて済む。これがプレジャーボートとか外車になると大きな話になる。ローンを組めば手に入るかもしれないからだ。

さて、ワシは今から何を欲しいと思えるのだろうか。

あれば良いなと思うものは自分だけの部屋くらいなものか。あとは心穏やかに過ごせる日々、そしてデブと言われない身体。

若くて綺麗な愛人…いや構ってあげられる体力も気力もないからアカンやろ。せいぜい月に一回で充分か。

オトナなのかガキなのかも分からなくなってきた。