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芳幾・芳年  in 三菱一号館美術館

こんにちは。

東京駅から程近くの三菱一号館美術館で、芳幾・芳年展を見て参りました。
長期休館前のラスト企画展です。

浮世絵や江戸時代の絵はなんとなく好きだな〜というくらいの知識ですが、「国芳門下の2大ライバル」というコピーのもと、2人の作品が立ち並ぶ展示はとても面白かったです。
師匠である、国芳の展示もあるので、師匠の作品を踏まえて2人の作品の変遷が見ることができました。
写真撮影は一定の部屋に限定されていました。

三菱一号館美術館の建物自体もとてもカッコよくて、天井も高くて本当に素敵な空間でした。3階の廊下から外をみると、丸の内の中庭が見渡せて清々しかったです。
駅からのアクセスがいい場所にたくさんの美術館があることが本当に東京の素敵なところだと思います。
調べてびっくりしたのですが、丸の内近辺だけでもかなりの美術館がありました。
今度はそちらも行ってみたいです。

丸の内の静かな空間
平日だからか人は少なかったです。

芳幾・芳年 国芳門下の2大ライバル

月岡芳年と落合芳幾は、江戸時代後期〜明治を生きた浮世絵師です。
お弟子の2人の作品のほか、師匠である歌川国芳の作品も多く展示してありました。国芳師匠の影響を踏まえて作品を見ることができたので面白かったです。

歌川国芳は武者絵や美人画、役者絵など幅広く描いて大人気だったようです。妖怪の絵とお相撲さんの絵、滝行の絵、とても好きでした。

そんな国芳のお弟子が明治維新を迎えたのは、ちょうど30歳前後。今の自分の年くらいに文化の根幹をひっくり返されるような動乱を生きた絵師というのが興味深かったです。ある日、いきなり宇宙船が空に現れるような感じでしょうか。

明治以降、写真、石版画などの新技術や新聞によって浮世絵の人気が低迷していくので、最後の浮世絵師と呼ばれる世代だそうです。
写真の発明によって、内面表現や印象派が生まれた西洋のように、写真は日本画にも大きな影響を与えたのですね。
信じて研鑽してきたものの終焉や価値の変動。どうやって浮世絵を残していくのか、食べていくためには何をするべきか、離れるべきか、を時代の中で必死に考えたんだろうな、と思うと同じ年代として刺さるものがあります。
(今だとAIが絵を生成するような感じなのかな)

器用だが覇気のない芳幾と、覇気はあるが不器用な芳年。

三菱第一美術館公式サイト

同じ師匠、同じ時代、同じ年代だと2人はきっと生きてるうちもライバルとしてお互いに比較されていたのでしょう。人気絵師の番付などがあったようですね。2人は維新後、別々の新聞社の挿絵に起用されます。
芳幾は風刺を描き、そして浮世絵ではなく、新聞錦絵という新ジャンルに行ってしまいます。
一方、芳年は新聞の挿絵も描きつつも浮世絵にこだわり続けて、クラシックな歴史絵の境地を開いていき歴史に名前を残すことになります。弟子2人の道は分かれましたが、各々絵師の道を生きたのが素敵だと思います。師匠は嬉しいでしょうね。

好きなところ

師匠の国芳の作品から続く、印象的な青がとても好きでした。あの時代の青はまだ今の絵の具の青と違って、藍色なんですね。
髪の毛の繊細さがえげつなかった。浮世絵ということはこれを掘った人がいるというコトッ?と、なってしまうくら繊細な毛の表現でした。
お弟子さんもその毛へのこだわりは受け継がれていたような気がします。

すね毛や体毛が描かれているのですが、なんでかいやらしくないんですよね。お相撲さんの絵なんて背中やお尻まで毛が書かれているのにそれが屈強な男の感じを出していて。すね毛やひげがある武者とない武者がいたのですが、描く題材の年齢でしょうか。そのあたりで明確に分けているような気がしました。

現在の漫画だとすね毛は描かないと思うのですが、浮世絵という表現のせいか、画風のせいでしょうか。本当に体毛が良かったです。うん。ポストカード欲しかったなあ。

浮世絵の独特の余白や気持ちのいい塗りつぶしが本当にたまらないですね。

芳幾は正統派浮世絵

兄弟子の芳幾派、正統派の浮世絵を通り、のちに新聞の錦絵(挿絵?)を描くようになります。新聞社の特性なのか、展示されている内容はスキャンダラスな内容や下世話なものが多かった印象です。(昔から他人の色恋沙汰がネタになってたんですね)

正統派な浮世絵を受け継ぎつつも、見切りをつけて新ジャンルの新聞錦絵に行ってしまったのは時代を見る目があったのかしら。

芳幾作
好きだった猛虎の新聞錦絵
これはヒョウでは…?


芳年は革新派

一方、芳年は浮世絵が生き残っていくために浮世絵師として表現を磨き続けます。

当時の人気は芳幾の方があったようですが、現在の評価や名を残すという意味では、「月岡芳年」のほうが知名度は高いですね。
やはり一つの浮世絵という世界を突き詰め続けた、新しい表現を探し続けた数十年が2人の今の評価を分けたのでしょうか。(一世を風靡した芳幾ももちろんとてもすごいことは前提で)

美術館の雰囲気にも合う浮世絵
鳥のふわふわを出すために絵を凹ませているのが面白かった。
芳年作
光の入り方最高

浮世絵は毎度、彫る人たちの作業や工程を考えると本当にこれがペタンペタンと作られていたのか疑問に思ってしまいます。あまりに細かくて、色が鮮やかで「嘘です〜これは筆で塗ってます〜」と言われても納得してしまいます。



芳年、あれなんか漫画みたい。

芳年の絵は、なんか漫画みたいだな、というのが感想でした。
構図や人物・馬の表情が今の漫画にも通じるものがあります。ロマンチックであり、ダイナミックであり、子どもの時に読んだ少女漫画、中学生の時に読んでいた少年ジャンプを彷彿とさせます。BLEACHのキャラクターに変えてもそのまま違和感ないのではないでしょうか。

芳年武者シリーズ、全点が見ることができました。
もう構図がかっこいい!!馬の目とか、表情とか、影の入り方とかもう最高!

芳年、晩年の作品群 月百姿(つきひゃくし)

新聞の挿絵や師匠の影響が色濃い武者絵が続きましたが、晩年に作った月をテーマにした連作「月百姿」がとても魅力的でした。
実在した人、架空の人、さまざま出典に基づいたいろんな時代の有名無名の人物が月と共に描かれた100図です。(展示されているのはそのうちの十数点)

辿り着いた境地であり、明治政府の欧化政策への反抗

キャプションより

キャプションにはそのように描かれていましたが、私は師匠から受け継いで兄弟子と切磋琢磨した伝統的な文化や浮世絵を愛していたのかなと思いました。愛や静けさ、月下の風を感じるとても美しい絵だと思います。なんといってもロマンチック。

明治維新、文明開花、その大きな変革の中を生きた芳年が最期に描きたかったものというのがとてもロマンチックな作品群でとても胸にくるものがありました。
生涯をかけて研鑽し続けた芳年、名前は100年その先ももっと残っていくのでしょう。
血みどろな絵を描いた人としてではなく、繊細な月を描いた芳年として後の世にも語り継がれてほしいです。

展示も綺麗
好き〜(曾我の仇討ち)
好き〜
晩年の鳥

サインがかっこよくなっていたのでパシャリ。

1886年あたりのサイン
1889年あたりのサイン
このサインめちゃかっこいい


撮影NGゾーンでしたが、芳年の晩年の作品の肉筆画もとても良かったです。
学問の神様の絵で、筆の力強さや迫力が印象的でした。

気になったこと。

「月百姿」のなかに1つだけ、「つき百姿」と月ではない文字で書かれているものがあって気になりました。キャプションもそれだけ「つき百姿」でした。英語訳はどれも同じでした。

何か意味があるのでしょうか。とっても気になったのですが、特にわからないままです。きっと意味はあるのでしょうが、ちょっと調べてみようと思います。

月百姿
つき百姿 「千代能」
これだけ つき百姿




浮世絵はとても昔のように感じていますが、たかだか150年ほどしか昔ではないのですね。ひいおばあちゃんくらいの時代かと思うとびっくりします。残っている絵も色鮮やかでびっくりしました。


三菱一号館美術館 新しい私に出会う

丸の内にある三菱一号館美術館は
1894年に建設した三菱一号館(老朽化のため1968年に解体)を復元したものだそうです。明治期の設計図や写真、製造方法や建築技術を忠実に再現したものだそうで、かなり三菱のこだわりが詰まった建物として2010年に生まれ変わったそうです。

19世紀〜20世紀初頭の建築物って本当に素敵ですよね。
クラシカルというのか、独特の重みがあって。

建物の中も素敵
天井高


併設されているカフェ、「cafe 1894」はかつて銀行の営業室だったそうです。当時の面影を素敵なのですが、平日にもかかわらず待ち時間50分で断念しました。
ランチとディナーは事前予約ができるようなので、閉館前に一度行ってみたいです。


展示概要

芳幾・芳年 国芳門下の2大ライバル 
三菱一号館美術館
2023/2/25-4/9

建物メンテナンスと設備入替工事のため、4月9日から長期休館となります。
閉館前のラスト展示なので是非見てみてください!

精進します。

切り絵作家 ひら子

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