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CoderDojo という場について、改めて考えてみた。

この記事は CoderDojo アドベントカレンダー14日目の記事になります。

CoderDojo の勢いが止まらない。昨年まで国内のDojo数は100箇所ちょっとだったのに、執筆現在(2018/12/14 16:31現在)には全国に163箇所の CoderDojo がある。子どもたちがプログラミングを学ぶ場としては、学校のような公的機関を除くと国内で1番多いと言える。

なぜ CoderDojo はここまで広がるのだろう? CoderDojo はオープンソースコミュニティであり、Foundation や Japan からの細かな指示(カリキュラムや内容、使うツールの指定など)はまったくなく、各Dojoの自治によって成り立っている。また、フランチャイズではないので始めるにも終わらせるにもお金はかからないし、自分たちの無理のない範囲で続けていけるという点も魅力だろう。

今回のアドベントカレンダーでは、僕の思う子どもたちの学びの場としての CoderDojo について考えてみたいと思う。

なお、先に CoderDojo に限らず、私が子どもたちと接する時のスタンスについても書いているので、そちらも合わせてご覧いただければと思う。
https://note.mu/kiriem/n/nc0cee4e18611

学びの場としての CoderDojo

CoderDojo では「教えない」とよく言われる。これは半分正しく、半分誤った理解だと思う。CoderDojo では「0から100まで全てを教えない」というのがより正確な表現だろう。例えば、0を1にすることも CoderDojo でできることだし、1を10にすることだってできる。(10を100にすることも、時間はかかるができるだろう)しかし、メンターが「教える」という行為をするときには前提条件がある。それは「子どもたちが関心を持っているかどうか」だ。
子どもたちの多くは、学校で受動的に授業を受けている。最近では、アクティブラーニングなどと言われるようになり、「対話的・主体的で深い学び」が求められるようになってはいるものの、すべての場面でそれが実現できるのは難しい。また、学校にはカリキュラムや指導内容が存在し、毎回の授業で到達すべき目標が決まっている。子どもたちがやりたいかどうかは別として、そういった指導が行われていくのが現状である。
学校のスタイルに慣れている子どもたちは、CoderDojo に来ると何をしていいかわからなくなってしまう。「先生」が「これをやりなさい」と指示をしないと、コンピュータに触れることすらいけないと思っている。これは由々しき事態である。
(ここで注意しておくべきは、そうでない子たちもたくさんいるという事実である。CoderDojo関係者なら自分たちのDojoの様子を思い浮かべてもらえればわかると思う。)

CoderDojoは学校と真逆のスタンスを持っている。なにがここまで違うのだろう?

子どもたちがやりたいことをする場

CoderDojo は教室ではない。私はよく学びのコミュニティという表現を使っている。誰も学ぶことに対して文句を言わないし、むしろ応援してくれる。自分より詳しい人がすぐ近くにいる。CoderDojo 全体のコミュニティには、自分と同じくらいの年齢なのにもっとできる人(=ライバル)もいる。多様性に満ちたコミュニティだ。コンピュータという共通の趣味を持った"すべての年齢の"子どもたちが集う地域の場。それが CoderDojo だ。
だからこそ、Foundation や Japan などは他の CoderDojo に区別されることなく憲章に対してフラットであるし、統一されたカリキュラムもない。ここはぶれてはいけないポイントだろう。

やりたいことを見つけるためには

「子どもたちはやりたいことをやるんです!」と言うと、たいていの場合「やりたいことがない子どもたちはどうするんですか?」と聞かれる。これは多くの CoderDojo が抱えている悩みだと思う。ご多分に漏れず、私が Champion を務めている CoderDojo Kashiwa にも、ずっと YouTube を見ている子もいれば Scratch のWebサイト上にある作品で遊んでいる子もいる。
大人から見たら、彼らはやりたいことがわからないように映るかもしれないが、実はそうではないと僕は思う。
彼らは YouTube が見たいし、作品で遊びたいと考えることはできないだろうか?だとすれば、やりたいことは明確なのだ。ただし、これは受動的な姿勢である。これを能動的な姿勢に変えるのがメンターの力量だろう。
例えば、YouTube を見ている子たちには動画の撮影や編集を教えてあげてもいいだろうし、Scratch の作品で遊んでいる子たちにはリミックスを教えてあげてもいいだろう。自分の興味のあることに対して注がれる情熱と集中力は凄まじい。彼らは物を作りながら様々なことを学んでいる。
このような学びを Scratch を開発したMITメディアラボの M.レズニック教授は "Creative Learning"(創造的な学び)と呼び、子どもたちが Creative Learniner (創造的な学習者)になるための要素として4つを挙げている。 
・Project(プロジェクト)
・Passion(情熱)
・Play(遊び)
・Peers(仲間)
これを見たときに CoderDojo はこの4要素をすべて網羅できる!と思ったし、すでに自然とそうなっている子たちもたくさんいることにも気づいた。そして、メンターにもこの4要素に当てはまる人が多いこともおもしろい。少なくとも CoderDojo Kashiwa は、どんな学びであっても許容される、想像的学習者で溢れたコミュニティでありたい。

まとめ

今回もそこそこな文量になってしまったが、CoderDojo という場についてご理解いただけたのではないかと思う。学校や他のプログラミングスクールとは明らかに毛色が違うので、同じ土俵で比較するべきでないと私は思う。
学校には学校の、プログラミングスクールにはプログラミングスクールの、CoderDojo には CoderDojo のいい点や悪い点、役割がある。全てまとめて教育という言葉で片付けるのはあまりよろしくない。

そんなことを思いながら、今日も私は創造的学習者になるべく学んでいるのである。

宮島衣瑛です!これからの活度のご支援をいただけると嬉しいです!