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ねこペティREMIX#6「いちご」 (エッセイ「ダブルスタンダード」)


「いちご」
(Strawberry)

たべないわ


にくさかなしか

くちにしないとか

すましたりゆうじゃ

ありません

たべたらさいご

ちにうえた

やじゅうみたいな

かおになるもの


今回登場したねこ:マリー

1歳半メス。大人のレディに憧れている、ねこカフェのアイドル。



ダブルスタンダード


いわゆるお菓子のイチゴ味と、実際の苺の味との間に横たわる広くて深い溝。
決して同じではないものを、どちらも「いちご」として認識する、ダブルスタンダードがまかり通る世界に僕らは住んでいる。

ただ、あの「イチゴ味」のベースになったのは、僕らが子供の頃食べていた、潰したいちごに砂糖と牛乳をかけたあの味のほうじゃないかと勝手に思っている。
2~30年前の苺は小粒で今ほど甘くなく、そうして食べるのがほぼきまりのような感じだった。
僕は潰すのが下手くそで、逃げたいちごや牛乳でよく机の上をビシャビシャにした。
あれこそが、当時「苺味」のスタンダードだったのだ。きっと。


はじめて絵でお金をもらったのは大学生の時。きりえじゃなかった。
美術出版社でバイトをしていた友人の紹介で、そこで出す色鉛筆本の、絵描きの一人に入れてもらった。
技法書ではなく、「色鉛筆でこんなたのしいことができるよ」と示す見本帳のような、とらえどころのない不思議な本で、もらったオーダーも「とりあえず色々描いて見せて」というこれまたとらえどころのないものだった。
僕は授業をサボって毎日絵を描き提出し、その8割方ボツをもらった。
合格になったもののテイストを膨らまし、なんとかOKの作品を規定量仕上げて無事本は出版された。

ボツの量は自分の技術の未熟さが原因だと、打ち上げまでは思ってた。
僕はそもそも色鉛筆画家じゃない。逆によくこんな素人を使ってくれたなありがたいことだと。

「君の絵を社内で目利きの先輩に見せたら『絵かきに憧れてる文系の男の子の絵ね』だって」
そのとき担当編集さんに言われたひとことが今も忘れられない。

ショックで悔しかったより、いやになるほど合点がいった。
本は、ポエムに絵をつけるページがあるようなメルヘン寄りの内容で、僕もそれに合わせて擬人化した動物などをたくさん描いていた。
でもそこに描いた、たとえばくまなどは、「絵本にでる動物さんってこんな感じだよね」というイメージからでっち上げたものでしかなく、実際の熊から自分なりの造形を創り上げたものでも、生きたキャラクターとして自分の心を経由して出したものでもなかった。
からっぽで表面的な、僕が描いたけど僕のものだと言いきれない中途半端な絵。
ぼくはそれをごまかそうと砂糖を入れすぎ、甘々な牛乳で机をビシャビシャにしていたのだ。恥ずかしいったらありゃしない。
大量のボツは技術だけの問題じゃなかった。もっと根本的な、絵に向かう覚悟の問題だったのだ。

僕には、胸を張ってこれが自分のスタンダードだと言える表現が必要だ。

この頃と前後して、僕はきりえを始めている。
「なぜきりえ?」その理由の中には
「甘くなりすぎず、こぼさず上手に苺ミルクが作れる器だから」
みたいなことがけっこう強くあるけれど、
うまく伝える自信がなくて、これまで喋ったことはない。

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