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リメイク映画『コーダ あいのうた』の意外に気づかれていない変更点

 アカデミー賞の作品賞をさらった伏兵『コーダ あいのうた』。確かに良作・佳作ではあったけど、やはり傑作の領域には届かなかったフランス映画『エール!』(2014年)のほぼの忠実なリメイクだけに、個人的には果たして受賞に値する作品だったのか、やや疑問ではある。
 うがった見方をするなら、実際に聴覚障害を持つ俳優たちを起用した点が、逆差別的に作用したのかもしれないね。

 とはいえオリジナル作と同様に、笑えて、泣けて、感動できる名品だったのは事実。聴覚障害者の家庭は生活音やセックス音がやかましいといったお笑いポイントも含め、筋立てや登場人物はほぼ踏襲されている。
 ただ、『エール!』のあらすじを見返してみて、1つ重要な設定が変更されているのに気がついた。それは舞台(仏→米)でも一家の職業(酪農家→漁民)でもなく、ヒロイン(エミリア・ジョーンズ)のきょうだいが弟から兄に変わっていたこと。
 監督・脚本のシアン・ヘダーは、それによって兄貴にこんなセリフを言わせることを可能ならしめた。「家族が笑われるからって卑屈になるな。お前が生まれるまで、うちの家族は平和だった」
 何だか『アルジャーノンに花束を』のチャーリーが天才になる前の「平和」と似たものにも思えて、少々解釈に困ってしまうセリフではある。でも一方で、こうして健常者が思いもよらない発想や論理、感情に気づかせてくれるのが、この種の作品の1つの使命なのだろうとも思う。
 ただ、「生まれたばかりのあなたが健聴者だと知って、育てていけるかと恐ろしくなった」というお母さん(マーリー・マトリン)のセリフは、さすがにギャグですよね?(『エール!』に比べて『コーダ』ではマジ度が高かった気がするが)
 それとも、そう考えることがすでに健聴者の思いこみなのかしらん?

 劇中の設定だけではなく、社会情勢もまた、『エール!』後の8年間で一点、大きく変化した。すなわち「ヤングケアラー」という言葉がすっかり市民権を得たことですね。
 初めに言葉ありき。『エール!』ではヒロインの旅立ちに一抹のわだかまりを感じた人々も、『コーダ』ではより共感できるようになれたかもしれない。これを社会の進歩と呼ばずして何と呼ぼうか。

コーダ あいのうた
CODA
(2021年、米=仏=加、字幕:古田由紀子)

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