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映画「ホットギミック」 感想

【ネタバレ注意】 ※敬称略

2019年7月5日水曜日、関東某所。
当時付き合っていた彼氏と夕方に会う約束をしていたので、映画を一本観てから行こうと「Documentary of 乃木坂」を映画館で観た。
(これもいつかnoteに書きたいな。)


シアターから出てスマホの電源を入れると、
「ごめん、体調崩した…」
と申し訳程度の謝罪付きドタキャン連絡。

前日に飲み会に行き、夜遅くにベロベロになって帰ったのを聞いていたので、予測はできていた。「よっしゃ、予定がなくなったから、もう一本映画を観てから帰ろう」と再びチケット売り場へ。



平日のちょっと微妙な夕方の小さいシアターには、私の他に男性が二人、女子高校生が一人、男子高校生二人組がいた。 

私は映画のお供に塩味のポップコーンとウーロン茶を買って、一番後ろの列のど真ん中の席に座った。横の列はもちろん、それより前の4列分は人が座らないことを、チケットを買う時に確認済みだった。

視界に入るお客さんの反応や、後ろの座席のお客さんが足を組み替える音などが気になってしまうので、特に集中して観たい映画を観る時は、一人で映画館に行って、周りに人が座らないような座席を選ぶようにしている。特に一番後ろの列はお気に入りだ。


この作品はこれが大正解だった。


今回「ホットギミック ガール ミーツ ボーイ」を観ようと思ったのは、脚本・監督を山戸結希さんが手掛けていたから。 


山戸結希さんは、映画界では珍しい女性監督さんだ。代表作は小松菜奈と菅田将暉出演の「溺れるナイフ(2016)」。
まだ観ていないので早く観たい。

「溺れるナイフ」を観ていない私が山戸結希さんの作品と出会ったのは、2019年2月のテアトル新宿。
山戸結希さんが企画・プロデュース兼監督をされた短編映画集「21世紀の女の子」という映画の中の「離ればなれの花々へ」という作品を観た時。
ものすごい衝撃を受けた。

この衝撃はいつか「21世紀の女の子」についての記事も書こうと考えているので割愛する。




映画「ホットギミック」は原作が少女漫画、しかも主演は今や国民的なアイドルになった乃木坂46二期生の堀未央奈ちゃん。正直、完全に舐めていた。

どうせ漫画の実写版だろう 、と。


それがどうだろう。
約2時間、情報過多で一時停止ボタンを押したいと何度も思った。
セリフをゆっくり読み解きたいから台本(脚本)が読みたい!とも。


冒頭で主人公・初(はつみ)が、「妊娠したかもしれない」と言う中学生の妹・茜(あかね)のために買った妊娠検査薬とコンドームを彼女に渡すも、コンドームは必要ないと突き返され、それを橋の上から投げるシーン。

しょっぱなでこれ?!
と度肝を抜かれたのは私だけではなかったはず。


そこからは、モデルとして有名になった初恋の相手・梓(あずさ)、同じマンションに住んでいる幼馴染・亮輝(りょうき)、血の繋がっていない兄・凌(しのぐ)の三人の間で初の心が揺れ動く様が描かれている。


…だなんて、ありきたりな恋愛映画じゃなかった。


何にも染まっていない空っぽの初。
そんな彼女が久しぶりの再会を果たしたキラキラな梓にのめり込むのは言うまでもない。初を彼女扱いしたり、「可愛い」と言って近づいてきたりと、女の子の扱いに長けていたのだから、余計に。
しかし実は、梓が初に近づいたのは、彼女に復讐をするため。
ひっどいやり方で女の子を傷つけるもんだから、嫌いになっちゃうよね。

初は傷つけられたのにも関わらず、「梓の気持ちに気づけなくてごめんね」と梓ではなく自分を責める。その姿は典型的な自己肯定感が低い女の子。すごくわかる。

そんな初を救うのが亮輝。彼女のことが大好きなのに、ついついいじめちゃう俺様な優等生。とても頭が良いのに初のことになると感情的になってしまう姿は青春そのもの。
初を馬鹿呼ばわりして遠ざけようとするのに、勉強を教えたりと面倒見がよいところなんかは、落ちる女がいないわけがない。

「可愛い可愛くない問題はお前は考えなくていい。俺が提言する。よって条件は満了。以下証明不要。それで決定。他の奴が言う可愛い可愛くないに振り回されるな。俺がそう言ったらそうなんだよ。」

自分のことを「可愛くない」と言う初に対して亮輝のこの一言。
身に覚えがありすぎて思わず手で顔を覆った。
こういうことがあるから周りに人がいない座席を好んでいるのだ。



登場人物のセリフが本当に印象的で、ただひたすら圧倒されたし、そのセリフを際立たせるために計算されたショットと間。

*ショット・・・映画用語。単一のカメラで切れ目なく撮影されたひと続きの画面。映画の最小単位であるが、1シーン、1シークエンス、あるいは1本の映画が1ショットから成り立つこともある。日本ではカットということばで代用する場合が多い。(ブリタニカ国際大百科事典より)

少しばかり大学で「映画論」というものを齧った浅い知識で語るのはどうかと思うけれど、ショットが長ければ長いほど視聴者はそのシーンや登場人物の心情にのめり込んでしまう、そんな効果があるらしい。これは映画だけに限らず、アニメやドラマでも同じだそうだ。

たしかに、一つのショットの映像を意識して見ていない場合、一点に視点が集中するためか一つの感情が高まり、短いショットが細切れで現れる映像を見ている時には、ショット一つ一つに感情が沸き起こるため、さほど感情が高まることはなく、のめり込まないのだ。

授業では「おジャ魔女どれみ」のシーンで比較したが、ぜひこれを読んだあなたも何かの映像作品を意識して観て欲しい。

しかし、当映画ではこれを効果的に用いているシーンだけではない。
意図的に短いショットを重ねたりセリフをかぶせたりすることで観ている側の感情をかき乱したり、少し長い間を置くことで一度冷静さを取り戻すよう促したりと、監督の思うように心が動かされている気がした。


また、ところどころトイカメラで撮られたであろう画質の粗い、若者言葉を使用すると「エモい」風景写真が差し込まれる様は、まさに芸術的な映画だった。
昨今多くみられるテレビドラマの延長として制作されるような映画などとは一線を画していて、まさに「作品」という印象を与えられる。



この「ホットギミック」は上に記したように、原作は2000年から2005年に連載されていた少女漫画。これを読んだのだが、初の妹の茜のシーンはあまり描かれていなかった。

映画では茜の恋愛模様についても印象強く描かれていて、これが等身大の女の子の片想いと姉への思いが入り混じっていて、とてもリアルで痛々しいのもこの映画の見どころの一つだと思う。

「私のほうが若くて可愛いでしょ」
「私のほうがずっとずっといいよ。たくさん男の子のこと知ってるの。男の子と女の子の間にどんなことがあるのか知ってるの。」
「なんで私じゃ足りないの」
「知りすぎちゃった私のこと、知って欲しい」

この茜のセリフは結構心にくるものがあったし、ラストでの前を向いたセリフもひとごとではない。


自己肯定感の低い女子、ところどころBGMがクラシックピアノ曲、トイカメラの映像、などなど私の好みドンピシャの映画だった。
乃木坂ファン、堀未央奈ファンはこの映画を観終わって、わけがわからず首を傾げながら帰っているのだろうな、という優越感があった。

きっと何回観ても新しい発見があるだろう。
2021年2月9日現在、ネットフリックスで配信されているので、少しでも興味がある方には是非観て欲しい。


「ねえ、わかってよ。わかんなくてもわかってよ」
「わからないままで、わかってたよ」

なんとも言えないけれど、このセリフが自分の気持ちを代弁しているような気がした。



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