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ラジオ体操とヨガ

私の勤める会社では朝、ラジオ体操が流れる。ただしタンタラーン、タンタラーン、タラララ…という聞き慣れた音楽の次に流れてくる動きの指示は全て英語だ。

インドネシア人向けの配慮で英語版を流しているのだが、その実私の会社で働く工員のインドネシア人はほとんど英語が通じない。そのため配属までの研修にラジオ体を覚えることが織り込まれている。

一方我々日本人も、速いテンポに合わせて詰め込んだ英語の指示を理解して、都度従いながら身体を動かせるわけもなく、昔から覚えている一連の動きを再現しているに過ぎない。ラジオ体操第一しかやらないのでなんとかなっているが、第二ならぼろぼろだろうと思う。誰のための英語版なのだろう。

閑話休題。

先日奥さんに勧められて初めてヨガをやった。曰く、健康にいいらしい。私は生来の身体の固さ故、積極的に器械体操やストレッチの類を避けて生きてきたが、愛する妻の求めでは断れない。この程度のことでこじれて後で喧嘩したくないということだ。

ヨガの先生を指す言葉として適切か分からないが、ここでは先生をヨギーと呼ぶ。ヨギーはインドネシア人だった。ヨギーは我々外国人に教える機会も多いのか、英語が堪能だった。そして堪能すぎる故、インドネシアンイングリッシュに最適化した私の耳では理解し難かった。

初めてのヨガは瞑想から始まった。ヨギーは瞑想の中で自分の全体像、周りの環境へ意識を向けることを説いていた、と思う。個と全、アートマンとブラフマン、まさにインド哲学。地元の大学の文学部インド哲学科は卒業時に須くテレポートができるようになるという噂があったが、私も今日、彼らに近づくのだろうか。

しばらくの沈黙の後、ヨギーは何がしかの指示を出した。しかし聞き取れない。辛うじて聞き取れたのはStill close your eyes.だけだった。私は早速ヨギーの言いつけを破り、薄目を開いてヨギーの動きを真似た。恐らく今日私がテレポートを収得することはないとこの時点で悟った。その後も引き続きヨギーは目を閉じたままいくつかのポージングを取らせた。私はその全てを薄目で盗み見て真似ることで乗り切った。

やがてヨギーは目を開くことを許したので、私は眩しい素振りを見せる小賢しい演技を一手間加えた。

そこから全身を使ったヨガが始まった。普段ほとんど顧みられることのない筋や関節が、ヨギーのポーズを真似することでセルフ関節技よろしく極まった状態になる。さらにブランクのような体勢もあり、弛みきった私はすぐに肩で息をすることになった。半ば朦朧とする意識の中、「なぜインド人はこんな苦行をしながら哲学を…?」といった余計なことも考えた。本当にこれでテレポートできるようになるのか?

限界の近い私をよそにヨギーは私の身体では再現不可能なポージングを続けた。必死に食らいついていく中で、しかし私は自分の中にある種の力のようなものが溜まっていくのを感じた。熱を帯びたそれの名を私は知っていた。ストレッチパワーである。膝に、肩に、腰に、熱いストレッチパワーが溜まっていく。自然と大粒の汗が額を伝った。

きっちり45分をかけた初めてのヨガは再びの瞑想で幕を閉じた。程よい熱気を帯びた身体には心地よい疲労感と満足感、ストレッチパワーが充ちていた。これがヨガか、悪いものではないなと思った。瞑想は思いの外長く続き、しかも最初と違って何の指示もなかったのでいつ終わるか分からず、結局何度も薄目でヨギーを確認する羽目になった。つくづく集中できていなかったが、初めてのことなので致し方なしだろうとどこか爽やかな気持ちで自分を客観視していた。これがヨガの力か。

充実したヨガを終え、その日一日を満ち足りた思いで過ごした私は翌日、しかし鈍い腰の痛みで目が覚めた。すぐにヨガの中のあるポージングに思い至った。腰をひねるその姿勢は過度なストレッチパワーを生み出し、私の身体を知らず痛めつけていたのだ。私は己の身に宿した潜在ストレッチパワーの大きさにおののいた。まだ私にヨガは早かった。そこから解放されるストレッチパワーに耐えられるだけの柔軟性がまだない。

しばらくはラジオ体操で柔軟性を養う日々が続く。

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