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エッセイの書き方を知らない【第七回】踊ってない夜を知らない

♪踊ってない夜を知らない

終わりだ。このエッセイは終わり。
このタイトルをやりたかっただけなんだよ。本当に。

ぶっちゃけた話をするとフレデリックはこの曲くらいしか知らない。
あとは「峠の幽霊」という初期の曲を下北のライブハウスで聴いたくらいしか記憶がない。

「オドループ」がはリフとリフレインのリズム感で作られているのであれば、こちらの「峠の幽霊」はメロディーによる雰囲気によって作られた曲だろう。記憶の中ではもうちょっとバンドの「たま」っぽい雰囲気をまとった曲だった気がしたのだが、実際は大分ポップだった。

「オドループ」が出た頃はバンドはフェス特化型が幅を利かせていた時代で、四つ打ち、もしくは、ノれるキラーチューンが無ければバンドじゃないみたいな扱いを受けていた。そんな中現れたフレデリックの「オドループ」は大いに歓迎された。多分。そうでなければ1億2千万回も再生されないだろう。
まあ間違いなくキラーチューンではあるしノれる曲だしフェス受けする曲だなあと思う。
けれども僕の中でフレデリックは夜明け前の下北のライブハウスでしっとりと「峠の幽霊」を演奏していたバンドで時代が止まっている。まあ、興味を持てないバンドとは得てしてそういうものになりがちである。

個人的な話をすると、フェス特化型バンドはあまり好きではない。というよりも感性にピンとこなかった。ノれるしカッコいいとも思うが、自分の琴線には触れなかった。それだけの話だ。
おそらく高校時代にこれらの楽曲に触れていたらまた感想は違っていたのかもしれない。多分ドハマりしていたとも思う。
けれども僕はもう色々と落ち着いてしまっていた。ハマるには年を取り過ぎていたのだ。
なのでどちらかと言えばYogee New Wavesの楽曲が染みるような、そんな感じだった。

この曲を聴いては東京に思いを馳せ、結局離れられない地元という呪縛をいかにして解こうかと考えていたりしたことを思い出す。
僕の地元も都会と言えば都会だ。けれどもそれはその地方でみた中で最も都会というだけの、地方都市である。
やはり東京はコンプレックスだし、いつかは必ず住んでみたいなとも思う。
けれども結局抜け出すことの無いまま、一生を終えるのだろうなと今は考えている。
これは悲観でも何でもなくて、20代で地元に根を張ってしまったら、その後は抜け出すことは出来ず、ズルズルと張った根から栄養を吸い続けるだけで満足してしまうだろうというのは、自分自身で感じている肌感で何となく察しているからだ。
多分おそらく早い段階で都会に散っていった友人たちから見れば、僕も時が止まったままの、興味の持てないバンドみたいな扱いになるのだろう。

仕方ないので僕は踊り続けるしかない。地元で、せめて存在感を出し続けられるようにダンスを続けるしかない。それが例え盆踊りだとしても。

【結城】

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