見出し画像

旅に暮らす #3 沖縄(後編)

旅というか、放浪というか、でも自分の感覚としては「暮らし」に近い。
そんな日々の断片を綴った手記を。

主観が、偏見の混ざった考えが、ふんだんに盛り込まれていますが悪しからず。


10/5 ~ 10/12  国頭村安田地区に滞在 ボランティア生活


人口100人未満で、飲食店はなく、民宿がいくつかと協同店がひとつ。

昔は陸の孤島と言われていたらしく、今年の小学校の在籍人数は6名。

ヤンバルクイナもたくさん生息していて、海と森がきれいな場所。



10/5

中山コーヒー園で小一時間ほど最後のお手伝いをさせてもらう。別れ際いただいたものから、すごく相手の気持ちが伝わってきた感じがして、温かくて優しい気持ちを味わう。こちらからもお礼の手紙を渡した。またこの人たちに、この場所に会える日が楽しみで仕方がない。


修繕が完了したウッドデッキ!


名護市からヒッチハイク。さすがに安田までは難しいと思っていたので、安田行きのバスが出発する辺士名を目指すことに。

ラッキーすぎる、不思議なミラクルが起きる。1台目が10分もかからず見つかり、(すぐ近くの)屋我地までならと言われて乗ったけど、話が弾んだからなのか?、結局安田まで乗っけてくれた。平日昼間、40km1時間くらいの距離にも関わらず。

名前も聞かなかったけど、素敵な女性だった。看護師をしていたけど、本当は一番頑張りたい子育てが満足にできないことを理由に退職し、今は公園の清掃員をしているらしい。もちろん給料は下がったし、社会的な地位も下がったかもしれないけど、今は3人の子どもたちに夜ごはんを毎日作れるから前よりずっと充実しているって。

自分が本当に時間とエネルギーを注ぎたいことを知るため、心や身体の声に耳を傾けること、そしてそれをちゃんと尊重してあげられること。なんていい生き方なんだ、と思う。

もうきっと会うことも話すこともないのだろうけど、それでいい。ちゃんと僕の中でも彼女の中でもお互いは存在していて、それが何かいい影響を与えてくれるはずだから。


安田に到着。カメラを片手にしばらく地区内を探検していた。

ここに来たのは、さとのば大学のつながりで知り合ったおもしろそうなおじさんがいるから。それ以上でもそれ以下でもなくて、どんな場所なのかも全然知らずにとりあえず「ボランティアで何でもするのでタダで泊まれる場所ありませんか?」で来てみた。

到着初日、夜は地域のおっちゃんたちの飲み会に混ぜていただいた。心を開ききっているとかでは全然ないのがわかるけど、いい意味で率直で、「お前は10日くらいしかいないんだろ~?だったらな~、」みたいに言ってくれるのがすっきりしていて気持ちがいい。


さばの水煮と冬瓜の簡単おつまみ。シークワーサーはあちこちで取り放題。


10/7

一日に数回流れる放送や、朝・昼・夕方の音楽がなんだか懐かしい。海士に住んでいた頃みたいだ。


ちなみに朝の音楽は7:00で、早すぎずちょうどよい。海士は6:30で、特に冬はちょっと早くないか~と心の中でぼやいていた。


安田の名物(?)、朝8:00くらいから協同店前にちょこちょこ人が集まっておしゃべりをしている「コーヒータイム」。今日は1年が終わっていくね〜という話がちらっと出た。振り返ると、去年にも負けないくらいのたっくさんの出来事と自分の変化がつもっていて、それがエモーショナルな気持ちにさせる。それで泣けてしまう。

|昨年度の区切りに書いた文章|



10/8


小さな用事があっておばあのお家にいったら、知らない間に縁側でおしゃべりタイムが始まっていた。戦争の話が印象に残っている。聴けるうちに、聴けるだけ聴いておきたい。

日差しがすごかった



中山コーヒー園にコーヒーの木で作った指輪が販売されていて、真似してつくってみた。アートナイフを公民館で借り、グラインダーも使わせてもらい、紙やすりだけ95円で購入して指輪ができあがった。


工作は楽しい


仕事終わりの夕方、堤防に座ってマングローブ林を眺めながら、ここにくるきっかけだったコバさんとビールを飲んでいた。こういう時間が好き。当たり前じゃないことを肝に銘じながら、なんともいえない心地よさを味わっていた。

安田によく遊びに来ているという家族が今日から4日くらい滞在するとのことで、一緒に夜ごはんを食べるために歩いてログハウスまで向かう。

道中、お庭でBBQをしている3人組に声をかけられ、どうぞどうぞと言われるがままに、おいしいビールやらお肉やらをご馳走になった。


こういうことがよく起こって、本当にいいの?と思うけど、わざわざ向こうから誘ってくれたし、おいしいごはんや偶然の出会いの喜びを共有できる感じもして、図々しくいただくことにしている。


沖縄では遠慮しててもしょうがないよーってよく言われる。この人たちにも同じことを言われた。おもしろい文化だなあ、日本にいる感じがあまりしないなあ、と感じることが多い。


「お金は循環させるものだ」、とコンクリート会社の会長さんが語っていた。たくさん儲かったらその分従業員にボーナス2,3回と与えるし、取引するときもそういう視点を常に持っていると。

僕はまた別の人に、今日与えてもらった分よりちょっと多く与える行為をして、それが循環になることを目指したい。


映画「ペイ・フォワード」


夜遅く、ちょっとした勘違いで、酔っ払いに怒鳴られ、ものすごい形相で胸倉をつかまれた。自分にとっては初めての出来事。

僕自身は怪我もしてないし、もちろん恐怖は覚えたけど後に引きずる感じではまったくないからそこは何でもよくて、でもただ子どもたちに変な傷が残らないといいなと祈るのみ。父親が胸倉をつかんでいるところは見えていないけど、きっと怒声は聞こえていたと思う。


ただ、きっとこれは氷山の一角であって、世の中で日々生まれている傷や痛みと比べたら、まだましな方なはずだと思う。ちゃんとお金を稼いで養っていて、普段はすごく丁寧で温かい人だし、子どもたちへの愛情もすごく感じる。


拾ったサンゴでつくったネックレスが壊れてしまったけど、これぐらいで済んで本当によかった。僕も、相手も、相手の周りの人たちも、この地域の人たちのためにも。


家族と食べたハイケイ(卵を産めなくなった鶏)。
肉はかなり固いけれど、うまみはとても濃い感じがする。


10/9

昨日の一件の相手方、ぼんやり何があったかは覚えていたらしい。コバさんが話をしてくれた。

一方に距離を詰めるのが得意な人がいて、もう一方に苦手な人もいる。今回学べたのは、苦手な人は、顕在的か潜在的かそれをコンプレックスのようにもっている可能性もあるということ。自分は確実に打ち解けることが得意な人間で、だからこそ、そうでない人に対して配慮ができていたいから、できる限りこのことを心に留めておく。

このことをnoteに書くか、かなり迷った。明らかにリスクはあると思うけど、でもそういうことを何も書かなくなっていくことにも違和感があって、責任や怖さも感じながら今回は出すことにした。


SUPを教えているコバさん。2人とも、いい背中。


みんなで仕掛けてとったカニ。かなりでかかった。
ファミリーは料理する余裕がなかったので、僕が引き取って味噌汁にして、泊めてくれている人に半分わけていただいた。カニを調理する工程はちょー簡単に撮影して、ちょー手抜き編集をして、子どもたちに送った。ちょっと手間だけど、なんか、こういうのが大事だと思ってやる。


協同店に置いてあったconteという雑誌を読んでいて涙が出そうになる。横で塗り絵をしている子どもたちがいなかったら、きっとボロボロ涙を流していたと思う。

やんばるの森、沖縄の人々が守ってきた暮らしと伝統、人間と自然の関わり方。そういうものに、心を動かされていて、いつかここに暮らしてみたいと感じる。いつでも手に取れる場所に置いておきたくて、すぐにネットで中古のものを購入した。


「来なさい」にしびれる。


10/12

NHKが安田で密着取材をしていて、それがいいきっかけになり、泊まっているお家のお隣さんの畑を手伝わせてもらうことに。夏野菜が終わった後を簡単に耕して、畝を整えたりした。ぺちゃくちゃおしゃべりをしながらやる作業の時間が好き。休憩の時ちょっと食べさせてもらったミジュンの佃煮がめっちゃおいしかった。

エンディングらへんでほんのちょびっと映ってた。安田の人たちがポッと発するグッとくる言葉がところどころにちりばめられていて、かつ取材班の魅力たっぷりな3人組を思い出しながら見ていると、なんだかいつもと違う気持ちで番組を味わえた。


安田で知り合った、沖縄移住を考えている人のいろんな話を聞かせてもらいながら次のボランティア先まで送ってもらう。楽しい時間だった。習い事の先生がめちゃくちゃ怖い人で人の顔色をすごく伺うようになったとか、他の人から聞いた別の話と同じ構造に見えたり。自分自身を守るため、キャラをつくっていく、キャラを演じることが癖になっていくところとかも。

暴力。肉体であっても言葉であっても、それ以外の何かでも、自分の日々の行動や言動はどんな影響を周りに及ぼしているのか?と常に問い続けていたい。というか、みんなで生きていくんだから、義務とまではいかずとも、意識し続けて然るべきだよね、と思う。かといって「何も言えなくなっちゃう」わけでもない、絶妙なところがあるはず。


車で送ってくれた彼女は、「安田の人たちは誇れる地元やふるさとがある。それがうらやましい」と言っていた。僕は地元の小金井という町そのものに特別な思い入れはないけれど、そのことが寂しいとか思い入れの強い故郷がほしいとも思わないなあなどと考えていた。

じゃあ自分にとっての”ふるさと”や”故郷”ってなんだろなーと思いを巡らせていると、ふっと「僕は地球とか大地がふるさとだと感じているかも」ということに気がつく。山や森で寝転がる地面とか、畑仕事をしている時の土とか、旅をする中で出会ってきたいろんな風景たち。大地とのつながりみたいな感覚がちょっとずつ育まれていくことが自分としては結構嬉しいんだな~と。


かといって、「地球全体が自分の家みたいだ!」とか、「わたしと地球はいったいなんだ」とか、そんな風にはあまり思わなくて、これは温度感をうまく表現するのが難しいところ。




記事を読んでいただきありがとうございます。僕の体験が僕の中だけにとどまらず、図書館に並べられている本のように、気になった人の手にもとってもらえるものになったら嬉しいです。
おもしろいと思ったら、ご友人やお知り合いの方にぜひ紹介してほしいです。

投げ銭用のペイペイも公開させていただきます。。ただし、幸運なことに、今は日々充実しながら生きていくのに十分なお金は手元にあります。それでもなお、ということであれば、とっても喜んでありがたく受け取らせていただきます。




この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

いただいたお金は、その時に世界がいきいきしそうなこと、輝きが増すと思うことに使います。