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「帰国までの日々/今後の投稿について」2024年5月11日の日記

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・昨年8月に渡航してから約9か月が経過し、ついにフィンランドを離れる時が来てしまった。

・今の心境は、これからへの期待が5割、長いフライトに対する不安が3割、そしてこの素敵な場所を数年は訪れることがないという寂しさが2割。

・5月は帰国が近づいていたこともあって、毎日かなり充実していた。
今日の日記では先週やったことを振り返り、今後の展望についても話そうと思う。

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・市のプログラムを介して知り合った学生ローラ(仮名)とその友人5人、そしてわたしとめいちゃん(仮名)の計8人で、トゥルクの脱出ゲームに挑戦した。

・ローラたちは「この街の脱出ゲームはほぼ全部巡った」と豪語するほどの脱出ゲーム好きで、冒頭に難易度を尋ねられた時「もちろん難しい方で」と言い切っていた。

・その実力は確かで、ゲーム自体は約半分の時間でクリア、どれだけ残りの謎を解けるかという領域までチャレンジし、わたしとめいちゃんは大体の時間はポケーッとそれを見ていた。

・フィンランドらしいなぁと感じたのは、全ての文章にフィンランド語訳と英訳があったこと。状況説明のVTRがフィンランドらしい風景だったり、日本のものよりも手や体を使って解く謎が多かった。

・その後はアウラ川のそばで横一列に座りピクニックをした。
わたしとめいちゃん以外は全員ローラと中学/高校/大学どこかのタイミングで繋がりがある現地の学生で、ゲーム中は正直仲良くなれるか不安だったけれど、わたしたちが会話に参加しているかどうかにかかわらず全員が英語を常に使用して会話してくれていて、素晴らしい配慮だなぁと尊敬した。

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・5月3日/4日は、ヘルシンキに留学している高校の友人のところで一泊させてもらい、巡りきれていない場所を観光しながらお土産を買いあさった。

・電車/バス/歩きの選択しかないトゥルクと比較して、ヘルシンキはトラムも鉄道も通っている。
地下鉄で合流地点まで向かった時「これは魚の港と書いてあるから、港が近くにあるのかな?」などと駅名から推測することができるようになり、知ることは世界をちょっと生きやすく、面白くすることだなぁと再確認した。

・はじめに訪問したのはマリメッコのアウトレット。
1階は左半分がアウトレット、右半分が社員も日常的に使用する食堂となっており、2階は社員のみの立ち入りとなっている。

・定番メニューは15ユーロ(約2500円)のランチビュッフェで、メインの料理1品におかわりし放題のサラダとスープ、そして日替わりデザートがついてくる。
簡単には入手できない材料が丹念に調理されている様子がどの品にも感じられるほか、マリメッコの食器を使って食事できるのも嬉しいポイント。

・予想以上に日本人観光客が多く、わたしたちの隣に座っているのも、お皿を取る時にすれ違うのも日本人という状態。体感は6:4で日本人が多い。
フィンランド語よりも日本語の方が聞こえるのではないかという空間は、フィンランドをどれだけ巡ってもここだけだと思う。

・アウトレットではナプキン、マグカップ、そしてついに鞄を購入。
フィンランドでは学生の多くがマリメッコの鞄を使用しており、トゥルクの住民となった証のように思えてずっと羨ましかったのだ。

・わたしの母親はムーミンのマグカップ、マリメッコ、陶器のイッタラなど留学前からかなりの北欧雑貨コレクターで、親族へのお土産について母親の指示を仰ぐためやり取りしたメッセージが全て「真剣(マジ)」だった。

・母親によると、ここには日本ではもう生産中止となったマグカップが少し値引きされて販売されており、日本では900円の生地が600円、なかでも鞄や服といった高値のものはここでも値が張るが、日本と比較すると1万円~3万円ほど差があるらしい。
縁もゆかりもないと思っていたフィンランドだったけれど、知らない内に我が家は親フィン家庭になっていたのかな、と思うようなひと時だった。

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・映画「かもめ食堂」のロケ地でもあるハカニエミのマーケットホールがある駅で、日本語に遭遇。友人の推測によると、駅を出てすぐの一帯にアジア料理の店が勢ぞろいしていることが要因らしい。

・この日のヘルシンキ大聖堂は絵に描いたような晴天で、今まで何度か訪れた中で最も美しい聖堂が見れた。

ヘルシンキ大聖堂

・「Cafe Engel」という場所で早めの夕食を摂ったのだが、少し値は張ったけれど価格以上の美味しさとボリュームだった。
わたしが食べたサーモンスープはまるごと一尾入ってる?原価大丈夫?と思ってしまうくらいのサーモンが入っていたし、友人が頼んだミートボールはIKEAサイズかと思いきやこぶし大のものが3つ入っていて、嬉しい悲鳴を上げながら完食。

・その後は日帰り観光では中々訪問しにくい場所にある「かもめ食堂」ロケ地の一つ、カフェウルスラへ。

・このカフェはフェリー乗り場の近くにあるのだが、一帯に広がる自然公園の景色と湖が美しく、それまで都会で自然が少ないと思っていたヘルシンキのイメージが少し変わった。

カフェウルスラ

・その日は少し夜更かしして、友人と一緒に「かもめ食堂」を見た。
わたしはフィンランド渡航前の夏休みに一回、友人は未視聴だったが、渡航前は全く聞き取れなかったキャストが話すフィンランド語が数単語は聞き取れるようになったり、当時は分からなかった映画の描写に意味づけができるようになった。

73‐5

・翌日。
ムーミンショップにお土産を買いに行ったら、本物に出会った。

・その後訪れたのはフィンランドを代表する菓子メーカー、ファッツェル。
ちなみにフィンランドのお菓子事情は、チョコレートからクッキー、グミに至るまでほぼ100%の確率でファッツェルのロゴを目にするほど、ファッツェルに独占されている。

・フィンランドで最も有名な公共図書館、Oodi。

・やっぱりわたしは北欧の図書館の雰囲気が好きだ。
Oodiはデザイン性が強く、屋外のテラス席や館内のカフェのおかげで日差しの下でゆっくり読書できるようになっている。

・3階建ての建物は1階が受付と貸切シアター、2階が3Dプリンターやミシン、多目的ルームなどのスペース。
3階の図書室へと続く階段には「悩んでいる人へ」「罪を許す人へ」などの記載がある。図書は万人に開かれているということを示すメッセージだろうかと解釈した。

・天気も良かったので、イチゴとパンを買って公園でピクニックをした。
公園は1月に訪れた時よりもずっと賑わっていて、午後5時にもかかわらず真昼のような明るさだ。
今度訪れる時は観光客として、フィンランドを存分に楽しもう。

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・先週の日曜日には、トゥルクの市立図書館で「Japanese Day」という日本の文化体験イベントがあった。
わたしは主に子ども向けの書道コーナーを担当。
お客さんが書きたい言葉や自身の名前を日本語に訳し、ひらがなで書いてもらう。

・「すし」「なつ」「ねこ」「パパ」「ママ」などの単語をリクエストされることはあったが、大半は「名前を日本語風に書いて欲しい」という要望だった。

・5人家族全員の名前を書いたり、中国に留学経験があるというおじ様が「ひらがなは中国語に比べ曲線が多く難しい」と独自の見解を示してくださったり、ローラ(仮名)がやって来て「あなたの名前が書きたいの」と言ってくれたり、時間の流れがあっという間だった。

・名前のリクエストの中では、日本語では書くことがない「ぺっぴ」というお名前が可愛くてスタッフ同士で微笑み合う瞬間があった。

・イベント終了後、図書館のすぐ外でパレードに遭遇。
この日はフィンランドの南部の都市のボーイスカウト/ガールスカウト団体が一堂に会するという1年に1回の特別な日だそう。

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・月曜日、ようやく寮の近くにある屋外サウナを訪れた。

・4つのサウナ小屋があり、静かさや暑さに応じてレベル分けされている。
熱したサウナストーンに水をかけ、水蒸気によってさらに内部の熱を上げる方法をロウリュというのだが、中にはバケツの仕組みによって延々とロウリュが続き、追い打ちをかけるように現地の人々が水を足し続けるのでものの数分で退散する部屋もあった。

・暑いと寒いの振れ幅が大きすぎるのがフィンランド流。
外に出ての休憩、ぬるめの温水プール、-30℃の氷部屋、そして近くの湖の「寒さ」とサウナを計2時間ほど繰り返す。

・入浴後は売店で買ったソーセージを焼いて食べた。
プール帰りのアイスみたいで美味しい。

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・水曜日、ついにトゥルクでも数本の桜が満開になった。

・中心部を横切るアウラ川沿いや公園に数本植えられている桜の木。日本とは異なり、まとまった桜の一帯があるというよりは本当に個々で植えたい人が植えているという印象だった。
花自体も梅のように色鮮やかで、日本では珍しいこぶしサイズのハチがぶんぶん飛び交っている。

・出発前最終日は、チューターのリリー(仮名)を家に招きピザとマスカットをお供に映画鑑賞をした。

・渡航直後、初めて知り合ったフィンランド人が彼女で、ほとんど空っぽの寮や近所のスーパーを案内してもらった。
当時と同じスーパーで合流し、パッキングを半分済ませたほとんど空っぽの寮まで案内すると、その時のことを鮮明に思い出した。

・まだまだ英会話に苦手意識があり、意思疎通もやっとだったあの頃。
今はわたし自身のリスニング能力も上がっているうえに、9ヶ月間トゥルクで生活してきたというベースがあるから、共通点が確実に多い。

・彼女はチューター業務を2年間連続で行なっていたのだが、自身の学業と業務の忙しさを鑑みて翌年は一旦休止するという。

・計6名もの留学生を担当し、かつ留学生全員が集うグループに寄せられる質問にも積極的に回答していた彼女を、わたしはとても尊敬していたし、彼女は「自分が知らない社会を生きてきた人と話すこと」の面白さを気づかせてくれた。

・また、留学生のほとんどはチューターと頻繁に連絡を取らなくなっている状態で、渡航した8月からここまで縁が続いているのはかなり珍しい。お互い連絡がマメな方ということもあるだろうが、フィンランドの知識をたくさん教えてくれ、わたしの英語が進歩するのを寛大に待ってくれていた彼女には感謝しかない。

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・帰国当日。
駅まで送ってくれた時、めいちゃん(仮名)がもう気軽に会えない距離だからと手紙を渡してくれた。
彼女は東北出身だから、同じアパートに住んでいた今までとはまた違った距離感になってしまうだろう。

・「栞(仮名)と会えたことはこの留学中トップ5には入る幸せなことだった」と書いてくれたけど、彼女の努力する姿とユーモア、何気ない会話の一つ一つに元気づけられていたのはむしろわたしの方だ。
変な話かも知れないけれど、間違いなく留学生活で最も仲良くなった人で、末長く縁が続いて欲しいと願う人でもある。

・空港に到着。
国際便のゲートの中でも、EUの中と外で分かれているらしく、EUの外エリアにあるムーミンカフェを久しく見ていなかった。
当時は慣れない環境に適応するのに必死で楽しむ余裕など全く無かったのだが、今は穏やかな日差しの下でお土産探しをする余裕まである。

・フライトは12時間以上にも及ぶ。
元の生活に期待する気持ちがあるのは勿論だが、いざ飛行機が離陸し、緑一色の地面がどんどん離れていくのを見るとどんどん感傷的になってしまった。
昨日までここに暮らしていたのに、少なくとも数年は戻ってくることが無いんだろうなぁと考え出すと、フィンランドに渡航し生活してきたこの9ヶ月間がおとぎ話のように思えてきた。

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・これからの話をしようと思う。

・まず、わたしは大学を1年間休学している。なので秋学期の授業が始まる9月中旬まで、ぽっかりと空白期間が生まれることになる。

・それまで何をするかというと、まず5月中は日本にいる会いたい人に一通り会いに行く。
一朝一夕では語り尽くせないほどのお土産話がある。しかしそれ以上に、留学を通して自分が更に成長したということが、長期間会えていない人たちに目に見えて分かるようになっているといいな。

・就活もそろそろ真剣に取り組み始めるタイミングだということは理解しつつも、せっかく世間一般の大学生よりも時間に余裕がある中でそれだけに時間を割くのはもったいないという思いがある。

・なので、正確な日程も場所もまだ未定だが、今はリゾートバイトのような「お金を稼ぎながら地域の人や観光客の方々と交流できる」サイトでひたすら求職活動中である。

・元の生活に戻るためには新しい住居とお金が必要だ。留学を終え、挑戦したいことがたっぷりあるこれからの4ヶ月。
移住体験をするにはいいタイミングだと思う。

・その一方で、知らず知らずのうちに大学生活に置いてけぼりにされる恐怖が働いているのか、大学のオープンキャンパスや日本へやって来る留学生を支援する試みにも積極的に応募した。

・また、学部で公募しているインターンにもチャレンジした。
この時の面接審査が非常に厄介で、いざ気合を入れてZOOMに入室して間もなく、面接担当の教授が入学当初からお世話になり続けている人で、両親の目の前で就職の面接を受けているようないたたまれない気分になった。

・アルバイトの面接とは本気度が段違いで「ただやりたい」よりも自身の持つスキルをどのように繋げられるか考え、それを分かりやすく文章にすることにとても苦戦したが、提出を終えひと段落した今では「自分の書いた結果を他人に見てもらう」経験だけでも応募した意味があったのではないかと思う。

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・最後に、この日記に関して。
心の整理整頓にもなっていたこの日記だが、これからフィンランドに留学する人の参考にしてほしいという思いがあり、いきなりではあるが今回を最終回にしようと思う。
ただ、フィンランドでの生活にすっかり慣れた現状、帰国後気づくことも多いだろう。なので番外編として1、2回更新したら、このアカウントを使用しての投稿は一旦休止する。

・毎日更新とはほど遠い頻度だが、累計20万字を超えるほど書きたいことに溢れた刺激的な日々を送れたことを誇りに思うし、この習慣を続けたことで、書くことが好きだと再確認できた。
Note上かそれとも自分だけのクローズドな空間かも定かではないが、帰国してからも日記は書き続けようと思う。

・しかし、このアカウント上での活動は終わりではない。
おこがましいかも知れないが日記を読んでくれたことで将来の読者の行動に変化があれば、わたしとあなたの関係性は継続しているし、フィンランドで過ごした日々や人々との交流は今ここに生きているわたしの中に息づいている。

・赤の他人だった人からのコメントや友人の「見てるよ」という言葉に身が引き締まることもあった。
他人からの視線を意識しながら書くことの重要性も実感しているが、誰も知らない状態から自分のペースで、思うままに書く時間もあっていいと思うのだ。

・書きたいことがいつもまとまらず、終盤は一回一回の分量が特に長いものとなってしまいましたが、フィンランド留学記はここで一区切りつけようと思います。

・次回は再訪記でお会いしましょう!
この広大なインターネットの世界で、また巡り合うことができますように。

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