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「積み重ねた時間」2024年3月31日の日記

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・冬に戻って来たかのような積雪から一転、今週は一気に小春日和となり、最高気温が11℃となる日もあった。
相変わらず曇りの日はそこそこ多いけれど、人のエネルギーは日光によってこれほど左右されるのかと思うほど健康的な一週間だった。

フィンランドの四季

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・まず、最近達成したこと。
1月中旬から始まったフィンランドの文学に関する授業をきっかけに始まった文学少女計画。ついに今週、2冊目の洋書を読み終えた。

・あらすじとしては、片親の少年と老婦人が市の図書館をきっかけに親睦を深め、図書館閉鎖に対するデモを主導する中で成長していくというもの。

・前回読んだ「Memory of Water」は感想文を書かなければいけないということもあって、1章ごとにGoogle翻訳をかけながら丁寧に読み進めていたが、この本は文法が平易で専門的な単語も少なく、翻訳アプリをほとんど使用せず読み終えた。
代償として最後の瞬間まで主人公とヒロイン役の老婦人を同じ年齢だと思い込んでおり(時々違和感はあった)、作者が読者に投げかけた質問コーナーで年齢差があることを知ったが、大体の内容は捉えられた(と、信じる)。

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・さらに、日本にいる友人やお世話になっている人たちに葉書を送った。
「こっちからも手紙送るね~!」と言ってくれた人や留学期間を通して度々こちらに遊びに行きたいと伝えてくれた人など、いざ手紙を送りたい人を考え始めると収拾がつかなくなり、家族を含めた7人に一気に郵送したので、初めは書き出す踏ん切りがつかなかった。

・しかし、郵送後にそれぞれにメッセージを送ると「超楽しみ!」と言ってくれる人や「もう1回くらい送ってくれてもいいよ」と言うちょっぴり欲張りな家族、「待つことの幸せをかみしめながら待つ」と嬉しい言葉をくれる人と、日本に到着するまでには数週間あるにもかかわらず、感謝の言葉を貰えるだけで、何だかその労力が報われた気がした。

・そして、市街地にあるケバブ屋さんにお礼を言いに行った(?)。
わたし以外に覚えている人なんていないと思うが、以前イギリス旅行をした際、運悪くヘルシンキでストライキが起こった影響でその日のうちにトゥルクに帰れなかったことがあった。
-1℃の中30分ほど歩いていたわたしの前に1台の車が停車し、全くの赤の他人が声をかけてくれ、何の対価も求めずわたしを家まで送ってくれた(詳しくは2023年12月15日の日記を読んで欲しい)。

・みんなにとっては留学期間のとある1日、数時間の出来事だが、わたしにとってはあまりの人の優しさにトゥルク永住を考えてしまうほど印象的で衝撃的な出来事だった。

・5分もないほどの短いドライブで、4か月以上が経過してからは顔も全く思い出せなかったのだが、相手が飲食店を経営しており住所をGoogleマップに保存していたこともあり、日本への手紙を郵送するついでにその住所にも立ち寄ってみた。

大学近辺のケバブ屋さん

・すると運のいいことに、初めに話したスタッフがその店のオーナーで、しかも「クリスマス前に、車で…」と伝えるとわたしの外見もあって思い出してくれた。
おまけに「立ってないで話をしよう」と言われ、コーヒーとジュースとそれはそれは美味しいケバブもご馳走してもらった(払わせてくださいと言ったけれど断られてしまったため、わたしはただラップランドで購入したメッセージ付きの葉書を渡しただけになってしまった)。

・Googleマップを頼りにすると該当しそうな飲食店が2店舗見つかり、相手の容貌にも確証がない中で数カ月ぶりに訪問するのは恩知らずかなぁと躊躇していたが「いや、どうせ2か月後にはフィンランドにいないし」と思い立って、恩人と再会することができた。

・「せっかくここにいるんだから」というもったいない精神で、渡航前よりも思い切った行動へのハードルが数段低くなり、しかも大体いい結果が生まれている気がする。

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・もはやレギュラーになりつつあるフィンランドのおばあちゃんが、ついに東京に出発した。入れるものなら無理やりダイエットでもして、荷物代わりに同伴したかったけれど、本人から苦笑気味に断られた。

・ここで生活するまでは全く想像が及んでいないことだったが、外国の人が日本に対して持つイメージの断絶は大きい。
「蛇口の水は飲める?」「チップ制はある?」など、日本にいると考えもしなかった前提の違いが浮き彫りになる。
少しでも力になりたかったから、数時間ほどかけておばあちゃん宛に日本を観光する上でのアドバイスをまとめたスライド数枚を作成した。

Tervetuloa=Welcome
ヨーロッパは美術館の展示全体が撮影可能な場所が多い

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・そして早いことに、ルームメイトと過ごす最後の一週間だった。
一緒に行ったラップランド旅行の際「おにぎりがもう1度食べたい」という可愛いお願いを叶えたくて、共通のチューターであるリリー(仮名)を加えた3人でおにぎりパーティーを開催。

・主食はおにぎり、副菜はルームメイト宛に届けられた仕送りのハムとチーズ、デザートはフィンランド料理と、3か国の料理が一堂に会する特別な日となった。

・写っているのはカンパニスという、フィンランドのカレリア地方に伝わるパンとお菓子の間をとったような料理。
食感はしっとり系のクッキーで、フィナンシェに似たバターたっぷりの濃厚な味がする。

完成モデルはこんな感じ
Mämmi(マンミ)

・「世界で一番まずい飴」とも評されるサルミアッキと並ぶほどの珍味・マンミも食べてみた。
日常的に販売されているサルミアッキとは異なり、マンミはイースターシーズンのみの食べ物だ。

・同日の朝に行われたフィンランド語の授業でも試食する機会があったのだが、日本人留学生の中には「ごはんですよ」に似ていると言う者もいた。
羊羹とチョコが合体したひんやりとした食感で、超まずいというわけでも美味しいというわけでもない絶妙な味。甘いよりではある。
クリームをたっぷりとかけて食べるというのが主流で、大嫌いというわけでもないが好き好んで食べるというわけでもないという、何とも言えない感情を抱いた。

・午後6時から開催したパーティーは深夜0時まで続き、充足感と数時間英語で話し/聴き続けた疲労もあり久々にぐっすり眠った。

・チューターはフィンランド人の中でもかなり英語が出来る方で、ルームメイトも「うんうん」という相槌を未だに続けてしまう自分とは違いハイスピードに話すので、留学開始から数か月は「5:4:1」くらいの分量で会話に加わることしか出来なかった。

・しかし、双方と何度も会話を重ねてきた甲斐もあり、リスニングに関しては何を言っているかほぼ聞き取れるようになり「4:4:2」くらいの割合で話せるようにもなった(約6時間のパーティーでの1割増だという事実を評価してほしい)。

・特に笑った瞬間は、お互いの国の言葉を各々の国の発音で読んだ時だ。
日本とフィンランドの発音は「J」を「じゃ」ではなく「や」と読むくらいの差異しかなく、驚くほど似ているのだが、フランス語はほとんどの語尾を省略して発音する。
そのため、フランス人がこちらの文章を読むと時々全く違う読み方になったり、逆にこちらが向こうの想定しない単語を作り出すことも多かった(たとえば、Bordeaux(ボルドー)を、日本とフィンランドでは「ボルデアウクス」と発音してしまう)。

・興味深かったのは「外国語を読む時はUを付け足すのに、日本語はどうしてUを発音しないの?」という質問だ。
たとえばフィンランド語で友達を表す「Ystävä」だが、日本風に読むと「ウスタバ」(実際の発音もそう聞こえる)となるように、単体では発音できないアルファベットが登場すると、日本人は「Usutava」と母音を付け足して読む方法を模索する。

・しかし「おはようございます」「お元気ですか」といった日本語の挨拶を発音する際、わたしたちは全く意識していないのだが、外国人にとっては「す」がSuではなくSのみに聞こえるらしい。

・宴もたけなわ、深夜に近づくにつれ哲学的な話にも踏み込み「自分以外の人物一人一人に『自分が人生の主人公だ』という意識があると思うと怖くなるよね」「時間がないと言うけれど秒や分といった概念は本当は目に見えない、何を基準に決められたのか」という話になった時は、日本から遠く離れたヨーロッパの人も同じことを思っているんだ!とこっそり感動した。

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・昨日はめいちゃんに誘ってもらい、中心街にあるビュッフェレストラン「Kawaii Sushi」に初めて訪れた。

・平日料金は15ユーロ(約2400円)、祝日料金は19ユーロ(約3000円)で終日滞在可能となるこのレストラン、実際に行ってみるとクオリティは存外高かった。
ごくたまに日本では中々見ない方向性の色合いの寿司を見かけるが、シャリが多少大きいくらいで、サーモンやエビを載せたシンプルな寿司は回転ずしと大差ない味だ。オーナー夫婦が中国人で中華も食べ放題という点もポイントが高い。

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・寿司から話は逸れるが、めいちゃん(仮名)はわたしにとってこの留学で出会えた一番の親友だ。

・しかし、性格は全くと言っていいほど正反対。わりと楽観的なわたしに対し、めいちゃんは時々相手のことを考えすぎる節がある。
もし自分たちの人生をグラフにするとしたら、終始60~70%幸福の状態を上下しているのがわたしで、どれだけ嬉しいことがあっても40~50%の状態をさまようのがめいちゃんだ。

・ただ、永遠にマイナス思考というわけでもなく「帰国はしたいけどめいちゃんと定期的に会えなくなるの寂しい」と言うのはいつもわたしの方(めいちゃんは東北地方出身である)で、めいちゃんはいつも「うちと会えなくなるのほんとに可哀想だと思う」と返す。その情緒不安定さも彼女の魅力である。

・勿体ないなぁと思うのは、わたしは彼女をとっても尊敬しているのに、彼女自身の自己肯定感が一向に高くならないことだ。
「坂口栞」という人間の人生を最も近くで観察し、そろそろ自分の欠点が分かってきた。わたしはかなり自分勝手な人間だ。

・集団行動をするにあたっても、どんな時もわたしには軸を持った確固たる目標が別にあって、それを無視したまま集団に従って行動することに耐えられなくなる自分が時々いる。5人以上になると特に顕著で、集団の外から自分を見下ろしている自分が必ずいるような気分になる。
「みんなが嫌」というよりは「したくないことを無理やりしている自分を見るのが嫌」という感覚で、だからこそ自分以外の全員が下の階で話している時も自分だけのうのうと読書を満喫できる。

・めいちゃんは経営学を専攻しており、授業はグループワークが中心だ。
秋学期、隙あらば旅行し3つほど授業を受けて満足していたわたしに対し、めいちゃんは平日ほぼ毎日授業を受けていて、欠席もしなかった。

・本人は「ただ座っているだけ、何にもしてない、誰にでもできる」と言うけれど、わたしは誇るべきだと思う。
自分が嫌だと思うことは簡単に、徹底的に避けるわたしと違い、めいちゃんは「嫌な自分」でいる瞬間を耐えることが出来る。それはわたしには出来ないことだ。

・学業の面から見れば、受けている授業の数も、活動の内容もめいちゃんの方がぐっと充実していると思う。
なのに、めいちゃんは留学期間を「楽しいこともあったけど、辛いことの連続だった。壁が永遠に続いてる感じ」と評した。

・自慢をしたいという意図は全く無いけれど、約7か月以上のフィンランド生活は結構、いや正直かなり楽しかった。人生で最も有意義な時間だったと言えるくらい、悔いなく過ごせている自信がある。

・留学に対する肯定感の高さは、ここで出会った人々との交流に起因する。
チューターのリリー、ルームメイトのメアリー、市のプログラムで出会った隣の大学のお姉さんとおばあちゃん、寒空の下家まで送ってくれたケバブ屋さん、日本語サークルをきっかけに近隣を案内してくれた友人。

・彼らと半年以上継続して交流することで「帰国後もフィンランド語の学習を継続したいけれど、練習相手がいない」と話すと、ありがたいことに「わたしに電話してきなよ!帰国後も連絡を取り合おう」と言ってくれる人たちに出会えた。
留学期間で取得した単位数からは見えない人との繋がりがあるから、わたしは自分と、自分が積み重ねてきた時間を誇りに思っている。

・ただ、その事実にかまけて学業をおろそかにしているのも事実で、めいちゃんと比較すると努力やかけた時間の差は一目瞭然だと思う。
自分に向いていない、苦手意識があることでも責任感を持って取り組むことができる貴方を、わたしはとても尊敬している。アウトプットを留学中常に繰り返してきためいちゃんが成長していないはずがないと思うのだが、本人がどうしてもそれを認めてくれない。それもめいちゃんらしいけど。

・フィンランドに到着して初めて口にしたパンが涙が出そうなほど美味しかったこと、電車の方向を間違えて1人で名前も読めない駅に置き去りになったこと。
ショックの連続で永遠のようにも思えた留学当初から、帰国までいよいよ50日を切ってしまった。

・春は新しい出会いの季節でもあり、別れを惜しむ季節でもある。
春の寒さに触れた時、涙よりも笑顔を連想する季節になるよう、最後まで自分らしく。

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