見出し画像

木原事件 「事件性なし」の殺人事件(4)


この物語はフィクションであり、登場する人物は全て架空の人物です。

警察庁長官が「事件性なし」と言った件を自分はどうすべきなのか、数日悩んでいた猿渡検事は心を決めると何度か連絡のあった民雄遺族と12月25日に面談する約束をします。それは直接遺族に会うことが捜査の第一歩だと考えたからでした。民雄の母親に土下座してお願いされると猿渡は思わず「この事件はしっかりとやって行きます」と答えます。それは自らへの決意表明でもありました。

今の時点でこの事件を警察に再捜査させようとしても捜査一課長がはっきり事件性なしと言っている以上、部下がまともに捜査をするわけはありません。そこで地検刑事部の捜査官を使い検察独自に捜査を開始することにしました。猿渡検事はまず2018年の再捜査時点で分かったことを整理することにしますが、当時の捜査記録は捜査が突然中止となった為、一つに纏められたものは存在せず大塚署や当時の担当刑事のメモを頼りにするしかありません。猿渡検事は大塚署に残っている資料がないかを確認すると同時に再捜査時の担当刑事のリストを作成しました。そこには当然、山下刑事や斉藤警部補の名前も入ってます。戸川検察捜査官は斉藤元警部補を地検に呼び出し、週刊誌に語った以上の細かいことを聞き出します。ただ斉藤は基本的に取調官なので話の内容によって当時の担当刑事を呼び、それぞれが持っていた捜査メモに基づく詳細を聞き取りました。

しかし結論は結局当時と同じところで止まってしまいます。逸子は「淳と民雄を居間に残したまま、子供と寝ていた」と証言しましたが、推定死亡時刻から判断して淳が現場に到着した時に民雄が死んでいたことは証明されていて逸子の証言が嘘であることははっきりしています。しかし再度任意で逸子を事情聴取したところで彼女が無言を貫くことは目に見えています。山本淳から事情聴取した際の「逸子が民雄に言われるままに刺した」という証言は重要ではあります。しかし淳が電話で呼ばれたことは事実であったとしても、逸子から聞いたと言うこの言葉については逸子自身が「そんなことは言っていない」と否定しているので平行線のままです。従ってこの証言だけでは逸子が被疑者と断定することは不可能です。

斉藤元警部補は遺体の解剖鑑定書や現場の状況から判断して逸子が実行犯とは思われないと考えていました。そして猿渡検事もその意見に賛成でした。逸子の父親・謙三か兄の洋次が犯人である可能性は十分にありますが、それを物理的に証明することは出来ません。2006年当時の物的証拠は少なく捜査が難航していたある日、戸川捜査官は猿渡検事に弱音を吐きます。「猿渡さん、この件で彼らを起訴するのは難しいですよ」猿渡は「そうだな~」と言うしかありませんでした。「しかしな〜!これが他殺であることはどう見ても間違いないよな〜」と呟きながら猿渡はひとつのことを思いつきました。「警視庁の捜査一課長がこの件は自殺で矛盾はない。従って、追うべき犯人もいないと言っていたが、彼はなんでそんなことを言ったのだろう?これは捜査一課長の職務怠慢ではないのか!」思いつくと猿渡検事は警視庁警務部監察官室に電話を入れることにしました。「本件は犯行に使われたとされる凶器の指紋が拭い取られていることだけでも自殺と判断することは出来ません。もちろん、再捜査当時の裁判所への申請書類でも事件であることは明らかです。それなのに何故、捜査一課長は事件性はない、自殺で矛盾はない、探すべき犯人はいないと公言したのでしょう。しかも遺族からの刑事告訴に対してもろくに捜査をせずに事件性なしとして送検しています。これは捜査一課長として明らかな職務怠慢ではありませんか?」

警視庁警務部は検察からの通報に大騒ぎとなります。過去に警視庁捜査一課長が秘密漏洩で逮捕されたことはありましたが、職務怠慢で追求されることなど前代未聞の話でした。この話は警視総監まで上がり、総監としても監察をする前に警察庁長官に事前報告せざるを得ませんでした。何しろ本件は露本長官自身が記者会見で「事件性なしと警視庁が言っている」と答えているのです。警視総監が露本長官に検察からの報告を伝えると長官は「私は警視庁が適正に捜査した結果、事件性はないと言っただけで、警視庁としてそれが違うと言うのであれば私として特に意見を言う立場にはありません」と能面のような顔をして答えるのでした。
(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?