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海外生活の記憶 米州2010’s 29 カナダ・ケベック州ローレンシャン

カナダ・ケベック州モントリオールから車で1〜2時間西に走ると紅葉で有名なローレンシャン高原に行くことが出来ます。途中にある休憩所のようなメープルシロップ販売所では甘いメープルシロップのテスティングが出来ました。

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紅葉の木に傷をつけてシロップを回収しますが、まさかこんな大きなバケツとはびっくりです。カナダの国旗は赤いカエデのマークですが、このメープルシロップはカナダが世界の4分の3を生産し圧倒的なシェアを持っています。カエデはまさに国の象徴なのです。

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しばらく走るとモントランブラン・ビレッジという可愛い街に到着しました。まるでおとぎの国に紛れ込んだような、そんな感じです。

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でもこの村は決して古くからある街ではなく1938年にアメリカ人の資産家ジョー・ライアンという人がまだ整備されていなかったモントランブラン山に苦労して登り、その素晴らしさに魅了されたことから始まったのです。翌年末にはスキー・リゾートとしてこの山をオープン、その後オーナーは変わりますが、滞在型スキー・リゾートとしてアメリカ人に人気のスキー場となりました。ところが1991年にリゾート企業が買収すると資金を使って大改造を行い、モントランブラン・ヴィレッジとして冬だけでなく夏も秋も賑わう大人気の観光地になったのです。

もともとスキー場なので当然スキーリフトがあり、紅葉の季節はもってこいの乗り物となります。

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下には美しい湖があり、ジョー・ライアンが魅了された理由もよくわかります。

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実は山頂は875メートルしかないのですが、この辺りは湿地帯や台地ばかりなのでこの地域では2番目に高い山だそうです。

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カナダは16世紀にフランス人探検家がセントローレンス川(サンローラン川)を発見し、17世紀にはルイ13世の宰相リシュリューがこのケベック植民地にヌーベルフランス会社を設立し毛皮や木材を買い取っていました。彼はカトリック以外の人間の入植を禁止します。
下の写真は現在のケベックシティの参考写真です。私は冬に訪れたので本当に中世にタイムスリップしたようでした。何故か写真が見つからないのがとても残念です。

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18世紀になるとフランスとの戦争に勝ったイギリスがケベック領を含むミシシッピ川東流域を領土にしますが、ケベック州住民の多くがフランス系だったころもありイギリス議会はこの地域でのカトリック教会を認め、法律もフランス民法典のままとした為、ケベック州だけは今でもフランス語が公用語とされフランス文化もそのまま残されています。英領カナダ自体はその後も拡大を続け19世紀には自治領カナダとして英連邦の一員となり、20世紀に入った1931年にイギリスと対等な英連邦国となりました。ただカナダ憲法が制定され、正式な独立国家となるのは1982年のことで、この時にカエデのマークの新しい国旗も作られたのです。

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アメリカの独立戦争の後には負け組のイギリス王党派アメリカ住民は大量にオンタリオ州トロント(当時はヨーク市)に移住したそうです。また1960年代「静かなる革命」とも呼ばれたケベック州でのフランス系住民の復権運動や70年代の英語使用制限などの結果、イギリス系住民の多くがトロントに移住した為、現在では人口も経済規模もオンタリオ州が中心となりケベック州は経済的にはやや置いて行かれることになりました。

ブリティッシュ・コロンビア州やマニトバ州などケベック州とオンタリオ州以外の州はイギリス領となった後に主に開拓されたのでフランス文化の影響はほとんど受けていないのです。

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下のシャトーはアメリカ人ジョー・ライアンが建てたものでゴルフ場のクラブハウスにしたかったそうですが、それは実現しなかったみたいです。カナダは英連邦国になってからもアメリカの経済力に頼ることが多く、切っても切れない関係が続いていますが、心のうちは複雑で微妙なものがありそうです。

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次は飛行機で空から紅葉を楽しもうと小さな飛行場にやって来ました。まだ予約した時刻まで時間があったので時間つぶしでその近くを散歩しました。

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すると驚いたことにそこには軽井沢を更に優雅にしたような住宅地が続いていました。

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どんな人達が住んでいるのでしょうか。ここに住んでいる人はこの飛行場からマイ飛行機で遠出をしたりするのでしょうか。

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そんなことを考えている内に時間となり空に飛び立ちます。しばらくは別荘やゴルフ場などの人工物が見えます。

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そのうちに森ばかりになります。カナダはハドソン湾から五大湖辺りまでローレンシア楯状地と呼ばれる台地が大きく広がっていてほとんど山らしいものはなく湖沼が数多く見られます。

殆んどの木はカエデのようでメープルシロップの生産が世界一というのも納得します。

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この風景を見ているモントランブラン山が東部では数少ない貴重なスキー場であることがわかるような気がします。

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セントローレンス川に沿っては肥沃な土地も多く農業も大きな産業になっています。河口近くのケベックシティから始まりモントリオールまでは昔から船での通航が盛んでしたが、モントリオール近くには急流の浅瀬があり、陸路か、その後出来た運河への積替基地としてモントリオールは栄えて来ました。
下の写真はモントリオール市街の参考写真です。

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1959年にはセントローレンス海路が完成し、今では五大湖まで大型船の通航が可能になっています。なお、写真にあるのはセントローレンス川ではありません。この辺りだともし川があってもセントローレンス川に合流するオタワ川かその支流だと思います。

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よく見ると専用の桟橋付きの大きな家も見えます。

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そして飛行機は飛び立った飛行場に戻って来ました。

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カナダの人口3800万人の内、ケベック州に800万人、そしてモントリオール周辺にはその半分の400万人が暮らしています。トロントの都市圏600万人には及ばないもののフランス系カナダの代表としてモントリオールはそれなりに頑張っているのです。




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