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700日で出口を見つけた

 毎日更新を続けていて、100日ごとに「継続」について書いている。昨日で700日目だった。

 ある程度の期間を越えると、続けることはもはや苦ではなくなる。むしろ、寝る前の歯磨きのように書かない方がムズムズしてきてしまう。

 経験は少しずつ積み上がっていく。それはイメージしやすいだろうが、同時に失われていくものがあった。自分の中にあった固定観念だ。

 やる気が起きない。書くネタがない。続けられることは偉い。作り込んだ内容じゃないと公開する価値はない。
 その時々に、立ちはだかる壁がある。妨害をしていたのは、自らの内側にある思い込みだった。
 続けるためには、そこに向き合わなければならない。最初は上手くいかない時がありながらも、徐々に折り合いをつけていく。体験の蓄積と一緒に、余分なものは徐々に減っている。

 ほとんどの人は、なにかを手に入れるためにコツコツと続ける。だから、妨げている存在に注目しない。よくある表現だが、アクセルとブレーキを踏んでいるならば、まずはブレーキから足を外した方がいいのだ。手放せるものがないか、足し算よりも引き算に注目してもいいと思う。

 続けるだけなら、大したことない。今は心の底からそう思えている。

 ただ、毎日書くのはやはり楽ではない。
 700日となると、書くネタは枯渇して久しい。時折、思い出したように恵みの雨は降ってくるものの、それも数日をしのぐ程度で、また砂漠の日々が続く。しかし、この過酷な状況が強くする。

 真新しいネタがないならば、既存のネタを使うしかない。とはいえ全く同じことを書いても仕方ない。そこで幅と深度が鍵になる。別の視点から光を照らして、幅を広げる。一歩奥まで深く踏み込んで考えてみる。そうして従来の思考がずれて、広がっていく。継続していく過程で、自然と変化は発生するのだ。

 毎日書くのに困らない刺激的な生活も悪くないが、それだけでは幅と深度は変わらない。繰り返し、同じものに向き合うから思考が深まっていく。
 だから、無駄で退屈な時間が僕達には必要なのだ。考える余白があることが大事なのだ。

幕引きの日

 いつまでも続けようと思えば続けられるからこそ、幕引きを意識するようになってきた。
 思いがけず止めるのか、それとも意図的に止めるのか。

 毎日更新を掲げた人が知らぬ間にフェードアウトしていくのを何度も見てきた身としては、後者を選びたいと思っている。

 大きな決断をしたため、僕の生活はこれからガラリと変わる。そこで、730日を1つの区切りにしようと思っている。書くこと自体は今後も続けていくが、公開を前提とした毎日更新は2年でおしまいだ。

 看板を下ろすだけで、もしかしたらその後も毎日書くのかもしれない。まあ、その瞬間になってみないとわからない。
 どうであれ、僕は明日もまたコツコツ書くだけだ。それは変わらない。

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