見返さなくてもノートを取ってみる
ここ1年でノートを取る習慣ができた。
僕にとって書いたノートは見返さなければいけないものでした。そうやって教わったから、後で見返すために綺麗に丁寧に書くようにしていました。
ただ、現実は非情です。
なんの訓練もしていない人間が丁寧にノートを書けるはずもない。結局、学生時代から僕のノートは字も汚ければわかりづらいものでした。
当然、そんなノートはテスト前くらいしか見返すこともなく、日常的にノートにメモを取ることはありませんでした。
けれど、ここ数年で振り返りの習慣ができました。
そのために記録をする習慣もできました。最初はパソコンに書いていました。ただ、そこに残されるのは文章情報だけで、僕には臨場感が抜け落ちて見えました。
友人にひたすらノートを取ることをしている人がいます。その人はとにかくなんでもノートに書く。良いも悪いも関係なく、自分の見聞きした情報を片っ端から書いていく。
「別に読み返すために書いているわけじゃないですよ」
その人の一言で、「なにかをするためにノートを取らなくてもいいんだ」ということに気づきました。
それから気が楽になって、ある時ワークショップでノートを取ってみたらこれがなかなか面白いのです。
筆圧や文字の汚さ、そしてノートの空間の使い方にも臨場感が宿って見えました。また、見返してみるとその文字を書いていた身体の時の記憶と、その出来事が繋がって思い出されてきました。それから徐々にノートを取るようになりました。
今はひたすら鉛筆で書きまくっています。
先日一冊のノートを使い切りました。妙に嬉しい気分になるだけでなく、最近は新しいノートの使い方はないかなと模索しています。
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