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600日で保留する力に気づく

 今日で、600日連続投稿になる。

 だいたい100日ごとの節目に「続けること」については書いているので、今日もそれについて書きたい。

 僕は毎日更新を掲げないようにしている。それは継続の重要性を感じながらも、同時に継続が目的になってはいけないと自戒しているからだ。最初始める時に決まりを作ったわけではない。続けるうちにルールが形を帯びてきた。

 正直、始める理由はなんでもいい。ただ、始めたら必ず想定とは異なることが起こる。その異常事態こそが転換点となる。想像していたのと違ったから止めるのか、適応していくのか。判断が迫られる。

 宣言をして、他者の目を行動する動機にするのは、効果的だ。けれども、それだけでは足りない。薬と同じように、続けるうちに突き動かす効果が薄れていく。そもそもそれ以前に、思っている以上に人々が自分に関心を持っていない事実に直面するかもしれない。だって、今や世の中には魅力的なコンテンツが手の届く範囲に溢れていて、「私」が書かなくても世界は回るのだから。

 その時点で、背を向けるのは1つの判断だ。

 思っていたのと違うから止める。なんの問題もない。

 一方で、決然と「それでもやる!」と逆境で意志が燃え上がる人もいる。それができる人は素直に尊敬する。

 けれど、僕自身の経験と、自分以上に書き続けている人達を見ていて、もっと別の判断もあると考えるようになった。続けている人ほど「保留」の判断をしている。

 今後どうなるかはわからないけど、とりあえずもうちょっとやってみよう。

 そうやって保留しているうちに、また新しい書く理由が芽吹いている。

 ここで注意しておきたいのは、「惰性」と「保留」は違う。やっている行為としてはあまり変わらないかもしれない。しかし、思考を放棄して惰性で続けるのとは違って、保留は一旦どうするかを吟味する。

 丁字路で「これまでと同じで右」と「検討した上で右に行く」では全然違うのだ。なぜなら、他の全ての道のりが全て望み通りだとしても、どこかで掛け違って1つ判断を誤るだけで目指していた方向と見当違いの道を進んでしまうから。

 そして、実は最も怖いのは、判断を間違うことではない。基本的には一方通行じゃないので、間違ったら元来た道を戻ればいいだけの話だ。しかし、間違ったことにすら気づかないまま、だらだらと進んできてしまったらどうだろうか? 戻るにも大変で、戻り方もわからないかもしれない。

 だから、保留するのは一歩間違えば愚かに見えるが、なにかを続ける上で欠かせないくらい高度な能力だと思うようになった。

 すぐに答えを出したくなる。でも、焦らずにもう少し待ってみる。

 さて、700日続けた投稿をする日はくるだろうか? 

 もちろん、答えは保留します。

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