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らくだメソッド2年3ヶ月の振り返り

 あっという間の3ヶ月だった。
 この間の最大の変化といえば、150日連続プリント宣言をしたことだ。 2年の振り返り時点のできない期間を経て、もう1度毎日プリントをやってみようという気持ちが湧いてきた。

  そして、2017年の暮れに、2018年は今までの最高継続記録150日を更新することに決めた。以前、その記録を達成した時はまだ始めて半年くらいで、駆り立てられるようにやっていた。 継続できることを心の拠り所にしていたし、明確な数値を決めてやっていたわけではない。
「できる」「できない」を一周した今とはだいぶ状況も心境も異なる。

 今回の150日連続は目標として掲げているのではない。
 達成したからといってなにか商品やゴールがあるわけではないから。達成しても失敗しても翌日は、なんでもない 顔をしてやってくる。
 信賞必罰で飼いならされていると、そこに物足りなさを感じてしまうかもしれない。けれど、自分で決めてやって いることに報酬などいらない。

 だから、ただ150日やると決めただけだ。それ以上でも以下でもない。
 それは、川を渡る時の飛び石みたいなものかもしれない。そのまま川を渡ろうとすれば、濡れたり水に流されてし まったりする。かといって、橋を立てていたら時間がかかりすぎる。だから、飛び石という少し離れた場所に「目安」 を用意することで、そこへ向けてジャンプできる。
 その先さらに進むのか、はたまた戻るのかは、飛び移った後で自由に選べばいい。
 なぜこの継続期間を設けたのかといえば、1つの実験である。 自分の行動や思考パターンを変えるための「がんばらない」実験。

 今更になってわかったのは、僕は精神論だけではどうにもならないら しい。ガンバリズムではすぐに息切れを起こしてしまう。 それは自分の怠慢ゆえにだと思っていたけれど、そうじゃない。
 人間みんなそうなんだ。

「なかなか毎日できない」
 寺子屋塾に行く度に、他の塾生がそう口にする場面に出くわす。 それにも関わらず、僕は他人に「この人は凄いんだ!」とどこかで幻想を抱いているから、事実を認められず「自分がだけができない。そしてそれはガンバリが足りないから」と自責し ている部分が心のどこかにあった。 それもまた現実逃避だろう。
 だから、受け入れるのでも拒絶するのでもなく、確かめてみようと思う。

 人間みんな怠惰なものだと仮定してみる。 そもそも変えられない性質を皆もっているから、無理やり自分を変えようとするのは無意味だ。

 だったらどうするか?
 環境を変えるのだ。 僕は影響されやすい。それ自体は良いでも悪いでもない。だからその特徴をうまく活用すれば良いのだ。
 自分が継続できるような、いやむしろ思わずやってしまうような環境を整えることで毎日できるようになるのではないか? そうすれば、いちいち自分の良し悪しを判断しなくて済む。
 自動的に、考えるまでもなく行動して、無意識でもって思考する。 それができるかの実験なのだ。

 ただ、環境を整えるとは具体的にどういうことか?
 これは毎日やるためにはプリントをやる時間の確保が1番の鍵となる。

 プリントをやる前後の時間、つまり部分を考えているだけでは必ず穴ができる。1日の時間の取り方を考える必要が あった。 「時間のある時にやる」ではダメ。また「夜にやる」のは疲れて寝てしまうのも、既に嫌というほど思い知らされている。ならば、朝にやらなければならない。
 朝にやるためには早く起きる必要があり、そのためには早く寝る必要がある。 そんな具合に、らくだメソッドを中 心に据えて考えてみることで1日全体の時間の過ごし方が大きく変化した。

 結果としては、起床して身体をほぐしたら、まずプリントをやる。 それが定着したことで「やるか、やらないか」を考えなくて済むようになった。
 おかげで2018年1月31日時点で32日連続プリントができている。 道半ばではあるが、なかなかに順調に進んでいるだろう。

 そして、副次的な効果として、段取りがうまくなった。
 もともと壊滅的に段取りが下手な僕が、少しずつでも段取りできるようになったのは、間違いなくらくだメソッド のおかげだ。

 先日、寺子屋塾の新年会で、塾生ではない人に「算数のプリントをやることが日常にどう役立つんですか?」と尋 ねられて、「全部に関係している」と答えていた。
 らくだメソッドを始めた当初は、とにかくプリントをやることしか考えなかった。

 けれど、慣れてくるとある時にふと気づいて舌打ちをする。
「また消しゴムを用意していなかった!」
「鉛筆の芯を削ってなかった!」シビアな目安時間のプリントにおいて30秒程度消しゴムを探すという行為がどれだけ無駄か。それがわかってくる と、鉛筆だけでなく消しゴムも手元に用意してから始めるようになる。
 一見すると本当に些細な違いが、段取りが上手い人と下手な人の大きな差を生むのだ。

 上記の毎日続けるための時間の使い方にしてもそうだ。
 段取りを意識するようになると、世の中の物事は大抵起こるべくして起こるということがわかってきた。
 大事な本番で忘れ物をしたり、直前になって慌てて作業したりする。問題が頻発するということは、その前段階で人為的なミスをしているからだ。

 とはいえ、過ぎたことはもう変えられない以上、これからのことを変える必要があるのだけど、そのために今をなんとかしなければならない。
 今起こっていることからどれだけのことを学びとるのか。

 1つの物事の中には、無限と言ってもいいくらいの可能性が詰まっている。
 ただ、それを引き出そうとする人としない人がいるだけだ。多くの人は何度か咀嚼して、満足すると飲み込み、あるいは吐き出してしまう。
 でもずっと噛んでいれば、いくらでも色んな味わいが出てくる。僕はそれを知ってしまったから、怪訝な顔で見ら れながら飽きもせずに噛み続けているのだろう。

「身体で考える」という言葉を気に入って、自分でも使ってきたのだけど、ようやくちょっとだけその意味がわかってきたように思う。

 行為に落とし込む、ということだ。
 立ち止まって腕組みして唸っていることを考えることだと思っていた。けれど、実際にはそういう時になにも考えていなかった。
 それよりも、ある懸念事項が起こった時にとにかく身体を動かす。 図を書き出してみることかもしれないし、記録 を見直してみることかもしれない。とにかく、ある行為をすることで、自然とアイディアが湧いてきたり、結論が浮かび上がってきたりする。
脳と身体を分断せず、身体全体を動かしながら思考する。たぶん、そんな習慣を持っておくことが「身体で考える」 ということなのだろう。


 僕にとってはらくだメソッドが身体で考える手段の1つであり、2年間積み上げてきたものは、馬鹿にならない経験値となっている。ただ、量が増えればかさ張ってしまうものだ。
 だから、僕はいまそれらの情報を整理して、なにが 自分に有用で不要なのかを、実験を通して確かめているのかもしれない。


 自分自身を思い込みで判断しないことは、なるほど確かに大事なことかもしれない。しかし、では実際のところ、どうすればいいのか?
 
 僕なりの答えとしては、自らを取り囲む環境を変えようとすることだ。そうすれば、いちいち自分を評価することから解放される。
 わざわざ変えようとしなくても、人間は変わる。同じ場所に留まっていることの方が実は難しいのだから。
 ただ、東に進んでいる人を無理やり西に引っ張って行こうとするからおかしくなる。 西に進むように身体の向きを変えてやるか、方角そのものを逆転してやればいいのだ。
 それが環境を整えるということだ。現実世界では難しくても、自分の内側とそれを取り巻く世界は自由に変えられるのだ。

 最後に、この3ヶ月間におけるプリント記録の中でめぼしいものをあげておく。


1/3 高-46(?分)15:29 ⑥
 ●(8)の問題が少し考えればわかる問題だったのに、全然意味がわからなくて混乱していた。少しひっか けられただけで、こんなにもあっさりと引っかかってしまう。やっぱり杓子定規的な教えてもらったパ ターンでしか解けないのではダメだ。強くそう思った。そうでなければ、世の中にはびこる悪意と、ボ タンの掛け違えた善意に簡単に惑わされてしまう。 わからないからといって、簡単に諦めるな。解けると信じて、泥臭く粘るんだ。少なくとも「自分で精 一杯やった」と確信してから諦めるんだ。わかってみればなんでもないことなんだ。わかるとわからな いの隙間にある薄紙1枚に気づけるようになることが、人間の可能性を広げるのだ

1/21 高-51(20?分)21:29 ⑤
●8問中全問不正解だと思っていたけれど、正解しているものが3問あったことにむしろ驚きを感じてい る。めちゃくちゃでも全く身についていないことはなかったのだ。以前はこういう時に間違った数に目 が行っていたことを考えると、僕の思考も変わってきたのだなとしみじみ実感する。いや、違うか。自 分にとって捉え方を選べるということができるようになったのだ。

1/25 高-51(20?分)36:40⑤
●ちゃんと答えを書かなきゃ結局間違いになってしまう。だって聴かれたことに対して答えてないんだ から。そういうことって日常会話でもよくあることだ。「知ってる? タレントのAさんが結婚したんだって」「俺、Aさんのこと好きじゃないんだよなぁ」みたいな。問題や問いに対して、きちんと応えられているか? という視点が結構大事。 ところで51のプリントが1回目2回目を解いた時よりも、今回10分以上時間が伸びていることに驚きを感じてる。秒単位で時間が伸びることや最後まで問題を解かなかったプリントで伸びることは今まではあっ ても、最後まで問題を埋めたプリントでこれだけハッキリと時間が伸びる現象は起こったことはなかっ た。つまり、私は自分にとって学力の最前線にいるのではないだろうか? おぼろげでも聴いたことがあるとか、そういう次元でもなく全くの未知の領域に入っている。だからこそ、急がば回れのような真なる理解のためのじっと耐えるプロセスを歩んでいるのかもしれない。


 1年9ヶ月の振り返りから突然この抜粋を始めたのだけれど、今になってこれも意味のあることだと思えてきた。こ れらのプリント記録は、僕のEvernoteに記録されていて、要望がない限り公開していない。

 この振り返り文章は「線」だ。
 けれど、「点」となる毎日の記録がなければ、この線は生まれない。すなわち、こ の記録の1つ1つこそが僕の学びの原点であり、生命線なのだ。だから、僕がどんな点を打ってきたのか記しておくことが、伝わりやすいと思う。

 さて、順調に続けば、次の振り返りでは100日を超えているだろう。 どうなることやらわからないけれど、珍しく楽観的な僕がいる。 (2018年2月9日)

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 自分を変えようとすると、もがき苦しむことになる。
 なぜなら、現在の自己の否定から入ることになるからだ。僕はそれで散々苦しんできた。

 だから、身の回りの環境を変えることに努める。人間は環境の影響を思いのほか強く受けているから。

 赤ちゃんが立ち上がるのだって、身の回りの大人が二足歩行をしているからで、四足歩行の動物に育てられたら、四足で歩くかもしれない。手を使わず、口だけで食べるかもしれない。

 自分が勝手にやるように環境を整える。
 別に難しいことじゃない。

 まずは掃除から。
 だって誘惑が多いと集中できないから。そうやって、積み上げて積み上げて、自分で自分を集中できる状態に導いていくのだ。

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