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曖昧なままでいい。

中学生の頃、自分の気持ちを言葉にできず涙が溢れてしまう夜が定期的にあった。そんな日は夜中に家を出て1人でただ夜道を歩いた。夜道でも、1人でも、なにも怖くなかった。大人になって、今でも夜道を歩きたい日があるけれど、夜に1人で歩くことが怖くて出来なくなった。あゝ私はあの頃の強さを、夜の恐怖を得た代わりに失ってしまったんだ。

自分のスマホもパソコンも無かった中学生の頃、何かに迷ったときは図書館で調べるか、大人に聞くしか方法を知らなかった。自分の問いに答えがたくさんあることを知らなかった。先生の答え、親の答え、本の答え、それは多くの中の1つだよってことを知らなかった。

あの頃もっていたもの、失ってきたもの、たらればの話。私は物事をはっきりさせたいタイプだけど、こういうのは考えるほどに辛くなってしまうからはっきりさせたくないことに気づいた。

幸せとして残している記憶には理由がある。話すほど明確に浮き出てしまうかもしれない。明確化してしまえば、幸せな記憶も本当はそうじゃない記憶かもしれない。そして、そんな自分に私は気づいてる。幸せじゃないかもしれないことに気づいている。それでも、幸せな記憶として残している。曖昧に幸せなまま放っておいてほしいと思っている私がいる。

私がはっきりさせたいことも、誰かにとっては曖昧に終わらせたいことなんだろうな。どんな問題も出来事も、曖昧なままでは、明確にされては、どこかで誰かが傷つくんだろうな。意見を求められて、瞬間に相手に寄り添えることがいいのか、正直に私を伝えることがいいのか分からなくて長い間雑木林の中にいる。

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