Lily

海外生活、長生きしたくないよ。 🛋 http://kree-ly.hatenablo…

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海外生活、長生きしたくないよ。 🛋 http://kree-ly.hatenablog.com

最近の記事

山の間から隣町の花火が見えて、母が車を停めた。車を停めてくれる母の、そういうところが好き。

    • 親友になりたかった。

      中学生の頃、通っていた塾で知り合った洋子ちゃん。 塾にいる間だけ会える特別な友達。 ソウルメイトみたいに、すぐ仲良くなった。 親友になりたかったし、そうなれると思ってた。 「学校に洋子ちゃんがいたらなぁ…」と何度も思った。 部活も体育も休み時間も、 洋子ちゃんと過ごしたい中学生活だった。 当時はほとんどの中学生が携帯なんて持っていなくて、 気軽に連絡先を聞けなくて。 私が塾に行くのは、上のクラスに居たいのは 全部、洋子ちゃんがいるからだった。 ある日、急に会えなく

      • 夏の前にまとめ

        数年前、占い師に「髪は長くしておきなさい。短いのは良くない。」と言われてから、美容室に行く度に悩む。何が良くないのか分からないから怖い。 「そういえば、死にたいなぁって泣くことがなくなったな。」と思った。好きなラジオを聞きながら寝落ちしてるからかなぁ。仕事ばっかりしてるからかなぁ。 先月、小説を20冊買ったので、今月は1冊も買わないと思ってたのに今夜10冊ポチッとしてしまって良くないな。でも読んでるから。積んでないから。いっか。 昨日見た夢、すごく幸せだった。隣にいたの

        • どこまでも続く目眩。

          タマネギは切っても切ってもタマネギのままで、 にんじんも切っても切ってもニンジンのまま。 きゅうりもじゃがいもも。 私の人生も進めども振り返れども私の人生のまま。 野菜みたいに一度に使いきれなくて目眩がしそう。 どこまでも私でしかなくて 誰かの人生の敷地にこっそり入ることは許されない。 野菜みたいに使い切りになりたい。

        山の間から隣町の花火が見えて、母が車を停めた。車を停めてくれる母の、そういうところが好き。

          お菓子は1つ

          お菓子を2つ持って離さない子どもに、声を荒げて怒っている親。お菓子は1つというルールがあるのかもしれないけれど、そんなに声を荒げて怒らなくてもいいのに。 病院の待合室で聞こえた親子の会話。次の試合はレギュラーになれるかなと言う子どもに、あんたは無理かもねと言う親。 他人なのに、私の方が泣きたくなるよ。 私は親になったことがないから、育児の難しさは分からない。だけど、日常でそんな親子に遭遇するたびに辛くなる。自分たちの都合で、自分たちの意志で子どもを産んだくせにと思う。親

          お菓子は1つ

          不意に重ねられる記憶の整理

          去年の下書き、ずっと更新したかったけど書いてみると生々しくて、心がウッと締め付けられて載せられなかった。 「もうダメだ。全部ダメだ。3ヶ月の療養期間のうち、1ヶ月が隔離生活で潰れてしまう。病院に行けない。どうすればいいのか分からない。時間がない、余裕もない。みんなが優しくて親切で、それなのに私は自分の心配をしていて嫌になる。隔離施設の部屋でひとり泣いてる。入院してから毎日泣いてる。そして隔離3日目、検査でコロナ陽性。飛行機でうつったのかなぁ。予約していたホテルより綺麗そうだ

          不意に重ねられる記憶の整理

          優しくされて泣いた話、最強寒波。

          「今年も終わる、早かった…」って毎年の1人恒例行事。 新しい仕事が始まった。久しぶりの社会人生活。 しかも日本で、あんなに嫌だった日本で、私は社会人で、会社員で、大人をやってる。 20代前半に好きなことを自由に選んできた代償のような、そんな1週間。日本で社会人として生きるための、年相応の基礎が備わっていないことを痛感した1週間。20代前半をリボ払いにした記憶は無いのに、20代前半の返済に費やされる日々になるのかもとすら思った。 そんな1週間だった。 やりたいことや好きな

          優しくされて泣いた話、最強寒波。

          自分を優先することは困難だ、

          働く目的の話。 給料が低くても好きな仕事をするのか、好きな仕事でなくても給料の高い仕事を選ぶのか。 友人とそういう話をした。 友人は、趣味や休日の充実を大切にしたいから休日に仕事を持ち込む仕事は嫌だと言った。その時の私は、給料が低くても好きなことを仕事にしたいと思っていた。休日が無くてもいいし、休日に仕事をしてもよかった。 けれど最近、30歳に近づくにつれて迷いが出てきている。何のために働きたいのか、何を目指すのかを見失っている。家族のそばにいたいのか、離れていても海外

          自分を優先することは困難だ、

          曖昧なままでいい。

          中学生の頃、自分の気持ちを言葉にできず涙が溢れてしまう夜が定期的にあった。そんな日は夜中に家を出て1人でただ夜道を歩いた。夜道でも、1人でも、なにも怖くなかった。大人になって、今でも夜道を歩きたい日があるけれど、夜に1人で歩くことが怖くて出来なくなった。あゝ私はあの頃の強さを、夜の恐怖を得た代わりに失ってしまったんだ。 自分のスマホもパソコンも無かった中学生の頃、何かに迷ったときは図書館で調べるか、大人に聞くしか方法を知らなかった。自分の問いに答えがたくさんあることを知らな

          曖昧なままでいい。

          親子なんて、たかが血の繋がりの関係でしかないのに。子育てなんて、賃金が発生するわけでもないのに。そして私は赤ちゃんでもないのに。 先週末、朝起きると冷えピタが貼られていた。母が「触ったら熱があったから」と言う。そして、カフェオレと果物をテーブルに置いた。こんなこと愛情がないとできない、でしょう?洗って、皮を剥いて、食べやすく切って、皿に乗せて、フォークも一緒に持ってきてくれる。私は、自分のために自分で用意するのもめんどくさいのに……と思いながら食べる。 つい、「お母さんっ

          普通の大人にもなれなかった。

          遠い未来のために良い社会を目指すより、自分のことだけを考えて生きている方が幸せそう。自分のことだけを考えて今を生きる方が、難しいことを考えるより軽く前に進めそう。 大人って、(女でも)年収500万くらいで、一人暮らししていて、欲しい時に欲しいものを買える。30歳くらいになったら結婚して、子どもを産む。そうやって普通に暮らす。子どもの頃は大人ってそんなものだと思ってたけど、全然違った。 私の世代は生まれてからずっと不景気で、物価は上がっても給料は上がらない。ニュースから聞こ

          普通の大人にもなれなかった。

          死にたいときに死ねたらいいのに。

          Twitterのトレンドに「国民年金」の文字。 老後は年金だけじゃ暮らせないらしい。 国民年金から介護保険や国民健康保険も引かれるらしい。そして、私たち20代は貰えるかも分からないらしい。 老後に2000万貯めておけと言われても…。 物価高で賃金上がらない重税国で、どうやって…。 いっそのこと、死ぬ権利を認めてもらえたらいいのに。私が「死にたい」と言ったら死なせてほしい。ちゃんと働いて納税するし、老後は誰にも迷惑をかけないように「死にたい」その時に死なせてほしい。 命を

          死にたいときに死ねたらいいのに。

          満員電車の折り合いと祖母。

          途中に乗った夕方の電車は、 田舎なりにも混んでいて席が空いていない。 杖をつく祖母を見て若い女性が席を譲ってくれた。 次の駅で数人の老人が乗ってきても、 若いおじさんやおばさんは動かない。 加齢を前面に押し出して太々しく座っている。 さっきまで起きていたはずの若いおばさんに 思わず冷たい視線を送ってしまいそうになる。 老人が電車の真ん中で杖を頼りに踏ん張って立っているのに誰も席を譲らない。 「座っている全員が本当に席を譲れないのかよ」と 他人を疑い軽蔑してしまう。

          満員電車の折り合いと祖母。

          ガラケーから受け継がれたデータ

          スマートフォンがかなり少数派だった高校生の頃。 当時ガラケーに登録した友達の誕生日を、MacBookが通知として教えてくれた。 既に私の記憶から消えかけていた友達の誕生日。 10年が経とうとしている2022年の今日になっても、MacBookは未だ覚えているなんて。 感動と驚きと、ちょっとした恐怖。 そういえば去年、初めて持った携帯電話のSDを繋いでデータを移したことを思い出した。カレンダーには友達の誕生日が登録されていて、メールや画質の悪い写真も残っていた。保存されていた

          ガラケーから受け継がれたデータ

          縁とか、出会いとか。

          運命の話。 大学生の頃に行っていたコンビニの店員さんと数年後に会った。その時はただの客と店員だった。研修の帰り、電車に乗っていたとき「実は、大学が〇〇なんです。学生のとき近くのコンビニでバイトしてて…」「もしかしてローソンですか?私、よく行ってました。」「え、そうなんですか?」「はい、近くに住んでたので。友達と週に一回は行ってました。」「すごい!数年前に僕たち出会っていたんですね。」という会話をした。まさか数年後に会うことになるとは。数年後に一緒に電車に乗ったり、LINEを交

          縁とか、出会いとか。

          戦争

          深夜、テレビで第二次世界大戦中の映像が流れていた。ナレーターが「精神力と銃剣で挑む日本兵をアメリカ兵はマシンガンで撃ち抜いた」「右へ逃げても、左へ逃げても、雨霰のように降り注ぐ弾丸、耳が壊れるほどの銃声だった」と言う。テレビを見ながら祖母が言う。「私の1番上の兄も戦争に行ったの。私は小さくて戦争のことはよく覚えていないけど、兄が戦争に行ったおかげで家は畑をもらったの。その畑で11月に芋を収穫したの。」と。 祖母が続ける。「外で遊んでいたとき空からキラキラしている何かが降って