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生活する沖縄 #8|浅煎りの紺色


ここ数日の沖縄の天気は2月であることを忘れるような暑さで、日中は25度くらいになる。もちろん上着の出番なんてないくらいの気温。
この時期になると島全体が春の準備を始めるというのだから、東京から飛行機で2時間半の距離にこんなにも常識の異なる国があるなんてびっくり。

もっとびっくりなのは、ここ最近の空は確実に夏のそれであること。
冬晴れのしんと澄んだ空気とは明らかに違っていて、空はグッと近くにあって、うんと風を浴びたくなるあの夏の空気。
日差しが金色に世界に降ってきている。例年よりも早く夏を思い出しました。

最近の空があまりにも良いから仲間とはしゃいでしまっていて、
だからまだ天気の話をする。

夕方になると、夜になりきれない浅煎りの紺色が、昼の主役である黄金色の空と溶け混じり合う。
見えるはずのない空気の層に、そのちょうど真ん中の色がゆっくりと編み込まれてくる。
マジックアワーと呼ばれる時間。

空気に包まれて生きてるんだなって実感するくらい、触れることができるくらいに世界の色や匂いが変わっていく。

2月、初夏の夕方。

スーパー銭湯を出て窓を開けた車で走っていると、
「明るくてよく見えるのに、なんだか暗い」という非常に微妙なこの時間の世界では、どうも集中できていないような変な気分になる。
みんな集中できていないのではなかろうか。
前を走る車のライト、信号、玄関から漏れる灯り、ランドセルにくっついてる反射板、どれもがやたらと眩しい。

少し綺麗な住宅街に差し掛かったところで、家々を灯すオレンジの光と、もういよいよ夜に差し掛かろうとする空の色が重なって、無視できない何かが胸の辺りにずきんと響いた。

過去の記憶との交錯による信号なのか、あるいは今の自分が感応したのか、わからないけど多分過去の方だ。

時折ある。

25年間のうち、どこかにあった記憶の景色をつつかれて呼び戻されるあの感覚。その感覚はあまりにも僅かだから、しっかり捉えようとしないとすぐに消えていく。

とにかく何かを思い出した。ここに来なかったら呼び起こされなかった気持ちを、景色や匂いも何もかも思い出せないけど、おんなじような空間に立ったその日のその時点の気持ちだけが、どこかにとって置いてあったんだなと思って感動した。

風呂上がりの外出って、なんか変な感じになりますよね。
朝から夜まで動いて外に馴染んできた体がお風呂でリセットされて、逆に普段あんま使わない感覚みたいなのが随分と洗練されちゃってて、さっきまで歩いていた道が全然違ったものにみえる。

こんな感じで、穏やかだけど忘れないような一日がそれぞれの人たちの中にしっかりと存在しているのが割と嬉しいと同時に、その1日をとって置いて取り出せるようにしたいなと、改めて思いました。
今頑張ってそれを実現できる仕組みを作っています。

まあつまりいい一日が続いている。

公園の小学生たちはもちろん元気いっぱいなんだれども、
僕が本を作っていることを知った読書好きの子が「本を買いたい」といってくれた。
どこにいったら買えるの?ジュンク堂?って聞いてきたので、
ジュンクには”まだ”置いてない、
とちょっとだけ見栄を張った。
本が大好きで大好きで仕方がない。本であればなんでも読みたい、とすごい熱を持ったその子に本をあげた。
スキップしてランドセルの元へいった後、大切にしまってくれていて嬉しかった。

本が大好きで大好きで仕方なかったあの頃読んだ本たちが、その後に自分をどう形作っていくかを僕たちは知っている。
僕の本がそのうちの一つとして深い部分であの子の力になってくれたらいいなと願った。

もうすぐ桜が咲く。

鯨が海に帰ってくる。

沖縄料理はとっくに飽きてしまった。


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