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落しもの


僕にはSさんという友人がいる。
彼女は大学の先輩でひょんな事から知り合った人だ。

今では同じ職場の同期でもある。
いや、正確にいうと僕が事故で急遽1年遅れの入社となったので、
ここ会社でも一つ上の先輩ということになる。

会社に入社して2週間ちょっとが流れる様に過ぎた昨日、
ふと久しぶりに彼女と話したくなってLINEを送った。

彼女と会うのは今から半年ほど前、
僕が病院を退院し、東京に遊びに来た時以来だ。

かなり激務の部署で働いているとの噂だったが、彼女はその持ち前の軽いフットワークで時間を作ってくれて、早速今日夕食を一緒に取れることになった。

たわいも無い会話で始まった食事。
ちょうど僕が配属希望を出す時期だったこともあり、
その相談にものってもらった。

どれほどの時間が経っただろうか。
ワイングラスが空になった頃、彼女がポツリ呟いた。

「なんか、変わっちゃったね。」

その真意がつかめなかった。

「え、どういうことです?」

思わずそう聞き返した。

彼女いわく、
僕は車椅子に乗ることになっても、以前と変わらずそんなの微塵も気にしない様子で、心から凄いなと思ってくれていたらしい。

しかし今では
どこか車椅子であることを引け目に感じ、それを理由にどこか殻に入って行っている様に感じたらしい。

話が弾む中でどうやら僕はポロリと弱音を吐いていたようだ。
そしてその一瞬を、その時の表情を彼女は見逃さなかった。

いや、もしかすると彼女は
今日会ってからずっと、その様に感じていたのかもしれない。


「落としもの」
毎日の様にそれはこの世界のどこかで生まれている。そう、この1秒の間にも、ぽろぽろと誰かの「大切な何か」がその人の指からこぼれ落ちている。

人は往々にしてその事に気がつかない。
落としたものが「物」であっても「その人の信念」であっても。

気づかれなかった落としものは
雑踏でかき消され、薄汚れた道の端へと追いやられ、最後は誰にも気づかれず、まるで最初から存在しなかったかの様に消えていく。

本人もそれを持っていたことすら、いつの間にか忘れている。


自分の変化ほど自分で気付きにくいものはない。
全くの無意識のうちに僕は大切なものを落としていた。
彼女はそれを見つけ、拾い、僕に返してくれたのだ。


僕が落としていたもの。それは「自信」だ。
彼女に指摘されるまで、僕はそれをこれまでと変わらずにしっかりと持っていると思っていた。

でも実際それは、気がつかない間に僕の腕の隙間からするりと抜け落ち、
かろうじて指に引っかかって止まっている。そんな状態だった。


かつて自分は特別だと思っていた。
誰もが小さい頃にそう思う様に。
でも多くの人は成長とともに自分は特別ではなく凡人だと気がつく。

そんな中、大人になった今も、僕は本気で思っている。
「自分は特別だ」と。

事故で脊髄を損傷し、胸から下が麻痺。
一生立つことも歩くことも出来ないと知った時でも、
それでもまだ自分は最強だとどこかで思っていた。

そんな僕を見て、彼女はすごいと思ってくれ、
「私は誰よりもあなたを尊敬する」とまでかつて言ってくれた。


しかし今振り返ってみてどうだろう。
リハビリの毎日を終えて退院。一人上京し、就職。

「以前の歩いていた僕」を知らない人たちだらけの集団に飛び込む中で、
そんな周囲との関わり方に正解を見出せずにいた。


以前の僕を知らない人から見れば、自分は「車椅子のどう関わっていいか分からない同期の一人」であり「手伝いが必要な気の毒な人」なんじゃないかと思いを巡らせ、肩に力が入る。

電車に乗ろうとエレベーターに並ぶ度に、「絶対歩けるだろ。エスカレーター使えるだろ。」って人たちで満員になったカゴを何度も見送る事になりイライラする。

反対に「自分にとって必要以上の気遣いやお手伝い」をされると、申し訳なく感じるのと同時にどこか虚しくなる。

街を走れば小さい段差にタイヤが取られないように下ばかり見ている。


自分ではその都度意識しないような小さな事だったかもしれないが、
日々それが重なり、
車椅子であることをどこか引け目に感じていたのかもしれない。

そして自分の唯一の取り柄だった「根拠のない自信」を
徐々に失っていたのかもしれない。

確かに思い返せば、最近は何かを選択する際、
これまでの様に「自分がそれをしたいかしたくないか」ではなく、
「車椅子でも出来るかどうか」を基準に物事を考える様になっていた。

つまり全ての選択肢が消去法から始まっていたのだ。


彼女は言った。
「これまでと変わらず、したい事をやりたい時にやりたいだけやるのよ。
そうすれば周りと環境は自然について行くから。」と。

やっと、自分が大切なものを落としていたと言う事に気がついた。
危うく見つからなくなるところだったのを、
手遅れになる前に彼女が拾ってくれたのだ。


帰り道、
視界を覆っていた霧がぱーっと晴れた様に周囲のものの輝きが増して見えた。
街のネオン、すれ違う人々の顔、駅の薄汚れた壁さえも。

他の人から僕を見れば
きっと暗く濁っていた瞳に光が戻り、
黒々とした輝きを取り戻した様に見えるんじゃないかと思うほどに。


きっとこれからも色んなことがあるだろう。
それでもこれまで通り、自分を信じてやりたい様にやればいいんだ。

だって自分の人生を特別なものにできるのは自分だけなのだから。


まる。


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