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マクドナルドでギャルに絡まれた話

   人間の世界は不思議なもので、矛盾した文言があちこちに蔓延っています。「善は急げ」と言う人もいれば、「急がば回れ」と言う人もいる。「好きこそものの上手なれ」という言葉を信じて好きなことに打ち込んでいれば、「下手の横好き」という言葉に頬を叩かれる。はたして「三度目の正直」なのか、「二度あることは三度ある」のか。どっちを信じたらいいのかわかりません。あるファッション誌の12月号には「女のバツイチはモテるらしい」と書いてあったのですが、同じ雑誌の翌年発売の2月号には「統計的には女性のバツイチはモテません」と書かれていました。見事なまでの掌返しです。バツイチでも何でもない未婚独身女性の私まで「どっちやねん」と頭を抱えてしまいました。

  そんな矛盾の中で特に私を悩ませてきたのは、人間の第一印象についての文言です。「人は見かけによらない」と言われることもあれば、「人は見た目が百パーセント」などという言葉も聞こえてきます。人を見た目で判断していいのか否か。難しい問題です。
 実のところ、私は最初、「人は見た目がすべて」派でした。というのも、おそらく親の教育が強く影響していたかと考えられます。人は見た目で判断される。だから第一印象は大事。まあ、その理屈は理解できる。人間ですから、やはり視覚から入ってくる情報は大きな力を持っています。
小さい頃から私は、両親に「お前は顔がきついから、いつも笑っていなさい」と口を酸っぱくして言われてきました。たしかに私の顔はきつい。まったく甘さがない。目が吊り上がり、白目が多い、昼間の猫みたいな顔です。口角も下がり気味で、黙っていたら機嫌が悪いのかと思われてしまいそう。親の忠告に「おっしゃる通り」と頷き、幼い頃から常に笑顔でいるよう心掛けてきました。そのうち、どんなにひどいことを言われても笑顔で受け流す癖がついてしまい、大学時代にはバイト先の先輩に「木崎って、顔では笑ってるけど心で泣いてるよね」と見透かされ、「ピエロ」という渾名を付けられたこともありました。

 そんなことはさて置き。幼い頃に「人は見た目がすべて」という価値観を植え付けられた私。優しい顔の人は心が優しい、怖い顔の人は性格も怖い、そういう考えを持ったまま成長していきましたが、後にそんな価値観を大きく覆す出来事がありました。私がまだ中学一年生、13歳だった頃の話です。
 その日は学校が休みで、私は同じクラスの友達と二人で遊んでいました。ただゲームセンターでプリクラを撮り、マクドナルドでご飯を食べるという、中学生らしい一日です。テーブル席に向かい合って座り、撮ったばかりのプリクラを手帳に貼りながら、友達と楽しくおしゃべりしていました。
 そんなときでした。隣の席に、二人組のギャルがやってきたのです。二人ともとにかく派手で、強烈な容姿でした。髪は明るく染めていて、肌は真っ黒。目の周りはパンダのように黒く、唇は白いラメ入りのグロスでテッカテカに輝いています。スカート丈はパンツが見えそうなほど短く、伸ばしたら身長の倍くらいの長さになりそうなルーズソックスをはいていました。ひと世代昔に流行した「ガングロギャル」というやつです。『GALS!』という少女漫画にモブ役で登場しそうな感じでした。
 そんな彼女たちを見た私は、率直に「怖い」と思いました。すぐ横に不良染みた少女が「あー、だりー」「まじだりーよねー」と文句を垂れながら座っているのですから、ごくごく普通の中学生だった私は怯えるしかありません。絡まれたらどうしよう。「うちら、金ないんだけどさー。ちょっと貸してくんねー?」とか言われてカツアゲされたらどうしよう。途端に不安になってきました。目の前に座っている友達も同じように考えていたようで、心なしか顔が強張っていました。
「どうか絡まれませんように!」と心の中で願いながら黙々とハンバーガーを食べていた私たちでしたが、恐れていた事態が発生します。隣の席のギャルが私の方を向き、「ねえ、どこ中?」と声をかけてきたのです。
 やばい、まずい、絡まれた。私は冷や汗をかきながら「○○中学校です」と声を震わせて答えました。するとギャルたちは、「そうなん? うちら○○中」と近所の中学校の名前を挙げました。……というか、この人たち中学生だったのか、と私はびっくりしました。老けてる(失礼)から高校生かと思った。
 その後も、二人のギャルは私たちに絡み続けました。「プリクラ撮ったん? 見せてー」と言われ、私は「ど、どうぞ」とおとなしく差し出しました。拳銃を持った強盗に札束を渡す銀行員のような気分でした。誰か助けてくれ。早く帰ってくれ。というか早く帰りたい。そんな願いもむなしく、「彼氏おるん?」やら「○○って先輩、知っとー?」やらと、ギャルたちはかなりどうでもいい話を振ってきます。
 ギャル二人組と遭遇して、十五分ほど経った頃でした。恐怖と緊張のあまりブルブル震えていた私に、さらなる災難が襲い掛かります。テーブルの上に置いてある紙ナプキンを入れている箱に、私の肘がちょんと当たってしまい、その衝撃でナプキンホルダーが床に落下してしまったのです。
 あっと思ったときにはもう大参事。百枚以上はあるだろう紙ナプキンたちが、床一面に散らかってしまいました。「やってしまった……」と私は真っ青になりました。真新しい紙がすべて台無し。店にも環境にも申し訳ない。店員さんに怒られるかもしれない。目の前のギャル二人組に「なにやってんのー、バッカじゃねえのー」と嗤われるかもしれない。いろんな不安がぐるぐると私の頭を駆け巡りました。
 ところが次の瞬間、予想もしないことが起こりました。なんと、ギャル二人組がさっと立ち上がり、床に這いつくばりながら、私が散らかした紙ナプキンを拾いはじめたのです。拾った紙ナプキンで鼻を拭いては、店員さんをチラチラ見つつ「あー、今日は鼻水がよく出るなー」と言いながら、あっという間に片付けてくれました。
衝撃的な光景でした。床に両膝をついて紙ナプキンをかき集める二人の姿が、今でも忘れられません。なんて心の優しい人たちなんだと、私は感激のあまり体が震えました。見た目は怖いけど、すごくいい人じゃないか。彼女たちを勝手に怖い不良だと決めつけていた自分を反省せざるをえません。その後、私は助けてくれた二人に何度もお礼を言い、彼女たちと仲良くプリクラを交換して帰りました。
 その日以来、私は「人は見かけによらないものだな」と思えるようになりました。たしかに見た目で判断されることは致し方ない部分もありますし、下手な誤解を生まないよう、見た目に気を配ることも時には必要かもしれません。今でも私は自分のきつい顔をカバーしようとピエロを演じてしまいます。とはいえこの日の出来事は、人を見た目で判断する癖がついていた私にとって、良い戒めとなりました。

 それから数年後。高校に進学した私は、部活に入部し、ある同級生と出会いました。その子はとてもクールで、私が「初めまして、よろしくね」と笑顔で挨拶をしたところ、「あ、はい、どうも」と素っ気なく流されてしまいました。「なんだこの子。怖いな。この子とは絶対仲良くなれないだろうな」と当時は思ってしまいましたが、いつの間にか打ち解け、高校を卒業して大人になった今でも毎年一緒に旅行に行くような大事な親友となりました。あのギャル二人組との出会いがなければその子と仲良くなることもなかったかも、というのは言い過ぎかもしれませんが、偏った考え方をニュートラルに正してくれた彼女たちにはとても感謝しています。

 街中でギャルを見かける度に、彼女たちは元気にしてるかなぁと思い出し、懐かしくあたたかい気持ちにさせられます。大人になってからというもの、すっかりファストフード店から足が遠のいてしまっておりますが、久しぶりにてりやきバーガーでも食べに行こうかな、と思っている今日この頃です。


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2019年1月の前ブログ記事より転載しました。

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