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寄稿文 『たったひとつの─ONEに寄せて─』水円 岳

 2021年1月に発行した同人誌「『ONE』いのちのクリムゾン 死のトパーズ」に書いて頂いた寄稿文です。
 水円さまには校閲もお願いしました。(詳細はnoteで公開しています)
 初稿の頃の推敲指導から今回の15稿校閲まで、何から何までお世話になっている物書きの先輩です。私は勝手に師匠と呼んでいますが(笑)
 カクヨムにも作品は掲載されていますが、ホームはアメブロ。「えとわ」は1000話を超えて、kindleで出されています。
 この十年余り、小説を書かない日はなかったのではないかと。大長編から短歌、俳句まで。多才に文字を操る魔法使いです。


 寄稿文 『たったひとつの─ONEに寄せて─』 水円 岳

 ——あなたにとって「たったひとつ」のものはなんですか?
 なんの変哲もない質問です。でも、あなたはその問いに即答できますか?

 わたしは最初に本作『ONE』を読了した時、シンプルなタイトルがとても重厚なイメージに変わったことを今でもよく覚えています。
 わたしたちは、生涯にわたってたくさんのものを手にできます。愛情であったり、生きる目的だったり、危機を切り抜ける知恵だったり、人生を楽しむ方法であったり。
 それらがたったひとつしか存在しないということはありません。でも、どうしても他のものでは代替できない、たったひとつのものがあるんです。
 それが「自分自身」です。

 たったひとつしかない自分自身を失いかけていた主人公カツミが、たくさんの喪失を乗り越えて「ひとつ」の意味を追い求める。そのストーリーは決して美談などではなく、壮絶なあがきでした。
 本作を読み終えた時、わたしは『了』の文字の向こうに隠されたままの「たったひとつ」をなんとかして見出そうとしました。そして、深く考え込んだのです。わたしにとって「たったひとつ」のものはなんだろう、と。

 ◇ ◇ ◇

 本作の舞台になっているのは、母星メーニェと敵対関係にある開拓地シャルー星。その要所に置かれた特区と呼ばれる空軍基地です。カツミは、司令官ロイ・フィード・シーバルの息子であり、優秀な成績で士官学校を卒業していますから、血筋の良さ、優秀さは折り紙つきです。その上、父親と同じA級の能力者です。

 しかしカツミは父から愛された記憶がなく、周囲から父の七光りだと揶揄され続けたこともあって、自己肯定感が極端に低くなっています。たったひとつの自分の中身がほとんど空洞だったのです。拒食、過度の飲酒、不眠……中身のない自分自身を愛せるはずもなく、カツミは自傷にも近い投げやりな自己管理しかできません。

 とてつもない能力を秘めていながら、それを自力で全く使えないカツミ。いや、そんな生易しいものじゃありません。脆弱な精神は、内包している巨大な力をコントロールできず、力が自分自身を壊してしまいかねない危険な状態だったのです。

 その上、異母兄フィーアから激しい敵意を向けられ、父による一方的支配と疎外に悩まされ、軍医シドの狂気に駆られた行動に振り回され……カツミを追い詰める事件ばかりが次々に押し寄せます。もしカツミの思考が悪い意味で「たったひとつ」に収束していれば、本話はカツミの自壊によって早々に強制終了していたはずです。

 しかし、カツミはその危機を乗り越えました。ばらばらだった心と力をつなげるきっかけ……それを自力で得られないのなら、誰かに手伝ってもらわなければなりません。心の空洞を無尽蔵の愛情で満たしてくれた恋人ジェイの存在は、カツミにとって「たったひとつ」の真実だったのです。たとえ、ジェイに残されていた時間が無情なほど限られていても……。

 ジェイを失ったカツミは、欠けていた心の空洞を愛されていた記憶で満たすのではなく、自分自身を愛しなさいというジェイの言葉に従って「たったひとつの自分」で満たしていくことを決意します。もちろん、まだ不安定なカツミがいきなり自己改革を果たせるわけがありません。運命の定めた伴侶と暗示されている同僚ルシファーのサポートが、これからカツミの挑戦を支えていくのでしょう。

 本作では運命の出会いがまだ示唆で終わっていて、今後の展開に含みを持たせた形になっています。まだ「たったひとつ」にはなっていない。たったひとつを目指す旅は、始まったばかりなんだよ……読者にそうささやくかのように。

 カツミは、他者より優れた資質を備えていながらなぜ頑なに自分を認めないの? 本作を読み終えた時に、そういう疑問を抱く方がおられるかもしれません。しかし様々な内的・外的要因によって、たったひとつしかない自分を肯定できなくなった人々は大勢実在しています。

 できる人は「なぜできないのか」と言うんですよ。でも、できない人は「なぜできるんだ」と考えてしまうんです。その二者の間の溝は容易に埋まりません。本作はわたしたち一人一人に、「たったひとつ」であることの尊さとそうなれることの難しさをこれでもかとえぐり出して見せるのです。

 ◇ ◇ ◇

 「たったひとつ」というキーワードは、揺るぎない自我以外にも様々なイメージを連れてきてくれました。
 他のもので置き換えられない価値、比類ない能力、自分の全てを預けられる拠り所、困難を打破する唯一の方法……。それらは、最初からたったひとつだったというわけではありません。代え難いたったひとつにするためには、そのひとつを選び取らなければならないのです。本作では、運命の女神がカツミに何度も厳しい選択を迫ります。

 もっとも厳しい二択は、自分を生かすか消すか、ですね。その危機は何度も訪れます。カツミ自身だけでなく、同じ選択肢は他の重要人物にも等しく突きつけられ、選択の結果が話を大きく動かしていきます。たったひとつにしようとカツミが重大な決断をするたびに、引き返すことのできないひとつの運命が定まっていきます。本作では、常に選択を迫られるカツミの苦闘が余すところなく描き出されていて、読む者を惹きつけて離しません。

 「たったひとつ」であることを促す状況設定は、舞台にも色濃く反映されています。
 生と死を示唆するカツミのオッドアイ。ロイとカツミやフィーア、ジェイとアーロンのような親子兄弟間のひりひりする衝突や軋轢。常に生死の狭間に置かれ続ける戦場、そして同性、異性間の様々な愛憎の形。いずれも、どこかで妥協点が見出されるという生ぬるいものではなく、どちらかに天秤が大きく傾かないと安定しない、厳しい設定です。

 カツミが自ら運命を選びとらなければならないように、読者もまたそれぞれの人物の選択を凝視しなければなりません。たったひとつの、定められた運命に導かれて。
 御都合主義の甘さを徹底排除し、ソリッドな成長譚に研ぎ上げようとする如月さんの強い意志が、「たったひとつ」を手にするためにもがき続けるカツミの姿を通してくっきり浮かび上がってくるのです。

 ◇ ◇ ◇

 さて。視点を変え、本作を少し離れたところから俯瞰してみたいと思います。
 本作の初稿は、如月さんが二十代の頃に執筆されたと伺いました。わたしも素人とはいえ物書きですから、長編における主人公の造形がどれほど厄介であるかはよくわかります。主人公の性格は「たったひとつ」のはずなんですが、そいつは作者の言うことをなかなか聞いてくれません。作者の制御を外れて、勝手に動き回ってしまうんです。しかも本作でのカツミはあらゆる面で不安定ですから、もっとも制御が難しいんですよ。

 その上、本作はカツミの一人芝居ではなく、群像劇です。たったひとつであるべきなのは主人公だけではないんです。ジェイ、シド、ロイ、ルシファー、フィーア、セアラ、サラ、アーロン……どの登場人物も他のパーツで安易に置き換えることができないよう隅々まで丁寧に造形し、それぞれ「たったひとつ」にしなければならないんです。

 彼らをきちんとストーリーに乗せて生き生きと動かすためには、全員を分け隔てなく骨の髄まで愛する必要があります。如月さんがどれほどの情熱をもって彼らを鍛え上げたかは、本作を読めば自ずとわかります。しっかり練り上げられたキャラクターの温もりと人間臭さが、舞台背景の硬さや冷たさを和らげ、ドラマ性を格段に高めていたように思います。

 二十年以上の時を経ても、如月さんの中でずっと変わらなかったキャラクターたちへの熱い想い。彼らの輝きは、今に至るまで全く色褪せていません。『ONE』の登場人物たちは、本当に幸せですね。

 ◇ ◇ ◇

 冒頭に戻り、もう一度同じセリフでわたしの拙い寄稿文を締めたいと思います。

 たったひとつの自分を認める。主人公であるカツミ・シーバルがそれを最後に成し遂げていれば、本作は凡庸な作品になったかもしれません。しかし、如月さんはカツミの苦闘の結末を最後まで明示しませんでした。カツミのたったひとつを探す旅は、大作の末尾に至ってもまだ始まったばかり。わたしはそこに、如月さんが「たったひとつ」というキーワードにこめた強い想いを感じるのです。その上で、もう一度みなさんに問いかけることにいたします。

 ——あなたにとって「たったひとつ」のものはなんですか? 


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